【旅日記】京都七条 雪舟伝説
京都国立博物館、最終日に行ってまいりました。
雪舟は思い入れのある画家です。
私は日本史の中でも文明〜永正年間を特に愛好していますが、雪舟の晩年にして最盛期の活動が、すっぽりそこに当てはまります。
そして彼を庇護した西国の雄・大内義興は、細川政元、足利義尹、畠山尚慶らをめぐる時代の後半の中心人物でもあります。
国宝6点を初めとして、今まで図版でしか見たことのなかった雪舟の真筆が、惜しげもなく目の前にがんがん現れてきました。
そりゃもう、すごいものです。
もはやキュビズムに匹敵するような、極度にデザイン化された山水表現。
これを本流として受け入れてしまう日本美術というのは、一体どういう世界だったんだろうと考えてしまいます。
👆尾形光琳の虎の絵をモチーフにしたゆるキャラ、トラりん。
ほぼ原画ママなのが驚きです。
ことほどさように、雪舟を源流とした墨絵の系譜は、現代のマンガ表現と極めてダイレクトにつながっているように感じられました。
狩野派が盛んに模写した滝の表現など、ほとんどマンガです。
現代の我々もみんな、遠い雪舟チルドレン(せっチル)なのではないかとすら思えてきます。
ヘリコプターもドローンもない時代に、一体どうやってこんな構図で精密に描けたのか。
すごいの一言です。
そしてこの眺めこそ、戦国黎明期に現れた魔将・赤沢宗益が、生涯の最期を迎えた場面でもあるのです。
伝説の大作「山水長巻」も時期を区切って全公開されていましたが、一連の作品の中で最も圧倒的だったのは、やはり「慧可断臂図」です。
そのサイズもさることながら、写実とデフォルメ、画面上部の空白とデザイン化された洞窟描写の対比、そして作品に込められたテーマ性など、まさに圧倒される作品でした。
鴨川沿いのうどん屋さんで働いているのは、みんな東南アジア系の若者たちでした。
時を超え、空間を越えて、雪舟の本物の作品と向かい合えたことに、大きな幸せを感じました。
帰りは七条から京都駅まで散歩。
京都駅は位置的には八条烏丸なのですぐです。
今回も天気が良くて、鴨川沿いが気持ちよかった。
おしまい。
エンディングテーマ 岡崎体育「鴨川等間隔」
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