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【夢日記】朧げな注射痕

 昔、重度の糖尿病を患った女の子と付き合っていた、という記憶がある。でも、顔も名前も、どうやって付き合うに至ったのかも、なぜ別れてしまったのかも、一切思い出せない。本当に付き合っていたのかさえ分からない気がする。唯一思い出せるのは、彼女の雰囲気と、彼女がインスリン注射する姿だけだ。

 彼女は大阪に住んでいて、僕が住む東京と大阪の中間の熱海や小田原でよく会っていた。初めて彼女と食事に行った時、彼女は平然と指に針を刺し、血が指から滴ると、ある機器を取り出しそこから伸びる細い紙に血を塗り、血糖値を測り、インスリンを注射する。明るくて長い髪。なにか上手くいかず、もう一度針を刺すこともあった。彼女の申し訳なさそうな苦笑いが頭から離れない。

 ある冬、彼女と箱根の温泉旅館に訪れたことがあった。丁度お正月の時期で、駅伝をやっている上を山岳鉄道とロープウェイで超えて、割と奥地の温泉宿まで行った。ロープウェイの中継地の道の駅、イルミネーションがキレイな美術館にも行った気がする。そして彼女の体に付いた注射痕は、とても美しかった。ただその日が彼女の顔を見た最後だ。

 彼女は今生きているのか、そもそも存在していたかさえ、僕はわからない。ただ胸の中で沸る記憶は、沸騰したチョコレートのように甘く、鼻血が出た時の様に鉄臭い。

2021年5月3日


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