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プライドを捨てると身軽で自由に生きられる

海外生活は楽しいことばかりではなく、「なんでこんな苦労せにゃあかんねん!!」ということもある。
それでもやっぱり、来て良かったなーと思うことの方が圧倒的に多い。

今日思った「来て良かったこと」は、プライドを捨てられたから。

そもそも日本にいた時、自分が余計なプライドを持っているとは思っていなかった。 しかし海外に出たことで、プライドが”高い”というほどではないが、要らないプライドを持っていることに気付かされる場面が多々あった。

海外では、そんなプライドを持っていたらサバイブできない。(少なくとも私の状況では。もし私がオックスフォードなど、世界トップクラスの大学の博士号を持っていて主席で卒業していたり、ジェフベゾスばりの起業家&経営者だったり、村上春樹さんばりに世界的に著名な作家だったらまた別だろうが。)

とにかく、日々サバイブするために、どうでもいいプライドをかなぐり捨てていく必要がある。

2年前のちょうど今頃(まさに2年前の2日前!)スーツケース1つでオランダに移住した時に比べたら、今の私はだいぶプライドがなくなっていると思う。

今日もある出来事があったのだけど、ーーーそれは、2年前の私だったら「この私がなんでこんな扱いを受けないといけないわけ!?」と心がザワついていたようなことだったのだけどーーー今の私は、まったく心がザワつかない。 「ま、そういうもんだよねー」という感じ。

そうなってみて感じるのが、プライドがないって、なんて自由で身軽なのだろう!ということ。

さらに思ったのが、プライドと自尊心(あるいは自己肯定感)というのは反比例するんだな、ということ。

というのは、今の私は、「ただの新参者の移民」として、誰かから心無い扱いを受けても、まったく何とも思わないし、感情も乱されなくなっているわけだが、その深層心理を探ってみると、自分の存在価値に対して揺るぎない自信があるから。だから、誰にどういう扱いを受けても心が乱れなくなったのだと思う。

裏を返すと、日本にいた頃の私は「自分の存在価値」そのものにOKを出せていなかったのだと思う。だから、無意識のうちに、過去のアレやコレやと自分の存在価値をくっつけていたのだと思う。

(なお、「自分の存在価値に揺るぎない自信がある」と言い切れるようになったのは、海外生活というより、いま絶賛ハマって学んでいるNVCほか、心の探求&内なる平和への旅をしまくっているおかげ。)

そう言えば、大学生の頃に読んで感銘を受けた高橋歩さんの本に「永遠に雑魚であれ」と書いてあったけど、まさにそれだなと思う。
要らないプライドはガンガン捨てて、いつでもゼロの、それ以上でも以下でもない自分で在ると、超身軽で、超自由で、思いっきり、この世界を冒険できる。

私はわたしである。
それだけでいい。

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