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「さかさまの世界LUOESに 私を描く」グカ・ハンへのインタビューVol.2

グカ・ハン『砂漠が街に入りこんだ日』は、架空都市LUOESを舞台に、さまざまな「越境」を描いた8つの短編からなる小説集です。
小社では、その魅力を日本語でも味わえるように訳し上げた原正人さんにお力添えいただき、グカ・ハンさんへのインタビューを敢行しました。

Vol.1はこちらからお読みいただけます

【2】さかさまの世界LUOESに 私を描く

—— タイトルにある「砂漠が街に入りこむ」というイメージが印象的です。グカ・ハンさんにとって「砂漠」とはどのようなものなのでしょう?

 「砂漠」を意味する韓国語の「사막」には、地理的な意味しかありません。ところがフランス語の「désert(デゼール)」は、人がいないからっぽの場所を指すときなど、形容詞として使うこともあります。例えば、「Paris est désert en été.(夏になるとパリは砂漠[=無人]になる)」というように。これはとても興味深い言葉だと思います。サハラ砂漠のような具体的な場所を指す一方で、からっぽであることを、「不在」を示すこともできるのです。この本には最初から最後まで、このような意味の二重性が透けて見えるのではないかと思います。存在と不在の終わりなき戯れとでも言ったらいいでしょうか。砂漠は街に入りこんだのですが、それを見つけることはできないのです。

—— フランス語のある記事で読みましたが、本作はもともと「猫に九生あり」という言い伝えに基づいて、9編の短編集を予定していたそうですね。最終的には全8編の短編集となりました。いくつかのモチーフは何度も登場するので、ひと続きの連作小説という印象も受けます。構想はどのように練られていったのでしょうか?

 1編省いたのは事実ですが、それを除けば、本のコンセプトは当初からまったく変わっていません。私が作りたかったのは、最初から短編集でした。執筆は本に収められた作品の順番通りに、1編ずつ行っていきました。実は、フランスで出版するなら、最初は長編がいいよと言われていました。実際、長編のほうがよく読まれますし、短編より高く評価されます。それでも私が作りたかったのは短編集でした。ひとつひとつの短編は独立しているのに、それぞれが何らかの形で関連しうるという点が気に入っていたのです。私の物語には、この短編という形式のほうがよりふさわしいと思いました。

 この本の登場人物たちには共通点があります。誰もが世界を独特な見方で眺め、社会の周縁に位置しているのです。それこそ私が当初、これを「猫に九生あり」の物語にしようと思った理由です。ある猫が9回生まれ変わる。それぞれの一生はどれも異なっていますが、それでも同じ猫であることに変わりはありません。私の本も、短編ごとに主人公は変わるのですが、同じ主人公のままだと考えることもできると思います。

—— 物語の舞台になっている世界は西洋的でもアジア的でもあって印象的です。最初の短編の舞台である「ルオエス(LUOES)」は「ソウル(SEOUL)」の逆さ言葉だそうですが、この都市を創造するに当たって、やはりソウルを参照しているのでしょうか? それともこれは、西洋とアジアを折衷した幻想的な都市なのでしょうか? 「架空」の都市を描くときに意識をしたことはなんですか?

 実際、これらの短編を執筆していた頃、私はソウルのことをとてもよく考えていました。とはいえ、あの都市の忠実な似姿を作りたかったわけではありません。おそらくこれらの物語に、ソウルの生活のさまざまな要素を見出す読者の方もいるとは思うのですが。そうではなくて、私が興味を持っていたのは、別の空間を創り出し、そこに自分自身を投影し、私の物語を書くことでした。それは、私自身がより自由を満喫でき、私のリアルを創造できる空間です。最初の短編のタイトルでもある「ルオエス(LUOES)」という名前が、多くのことを物語っていると思います。それは、分厚い曇った鏡に映ったさかさまの世界であり、幽霊めいた存在たちがさまよう歪んだ世界なのです……。

——「放火狂」は2008年の崇礼門放火事件がインスピレーションの源になっていると聞きました。「真珠」は2014年のセウォル号の事件を想起させます。韓国の出来事は他にもこの作品に影を落としているのでしょうか?

 そのふたつの出来事は私の心に深い傷痕を残しました。とりわけセウォル号の沈没事故です。この種の事故でこれほど打ちのめされ、無力感を感じたことは、他にはありませんでした。「真珠」の夢のくだりは、沈没事故のしばらく後に私自身が見たある夢をもとにしています。犠牲になった人たちに知り合いがいたわけではないのですが、悲しくてやりきれない気持ちになりました。
 ふたつの出来事を除けば、この本の中で韓国の具体的な出来事を参照しているものはありません。でも、政治にしろ社会にしろ、韓国で今起きていることにはとても関心があって、なりゆきを見守っています。概して韓国社会は、フランスよりもずっと移り変わりが激しいのですが、その変化の激しさそれ自体は、議論の対象にすらなっていない印象です。私たちはなすすべもなくそれに従うしかありません。韓国に帰国するたびに、私が愛着を持っていた場所がなくなり、跡形もなく消えてしまっているのに気づき、驚かされます。ソウルの変化はとりわけ急速で、勝手を知っているはずの場所においてすら、迷子になってしまうことがしばしばです。

 この本には、私のそうした傍観者としての体験が、たっぷりと沁み込んでいるんじゃないかと思います。私の本の登場人物たちは、彼らが生きている社会とうまく折り合いをつけているわけではありません。彼らは途方に暮れ、満たされない思いを抱き、しばしば怒りを感じているのです。

—— 作品のなかにはいろんなモチーフがちりばめられますが、「白」いもの(封筒、雪など)が特に印象的です。あなたにとっての「白」はどんなものなのですか? 韓国語とフランス語、それぞれに「白」のイメージがあるのですか?

 実を言うと、この本の中に白という色がこんなにたくさん登場しているとは思ってもみませんでした……。これはひょっとすると、白が色ではなく、どちらかというとある状態だからなのかもしれません。私の本の中では、白はある種のもろさ、傷つきやすさと関連づけられています。「ルオエス」には、「白翡翠のように」白い封筒が登場しますが、それは最後にはいくつもの靴に踏まれて汚れてしまいます。また、他の短編に登場する雪は、ある幸せな光景でありながら、いまにも壊れそうな頼りない思い出として結びついているのです。

(次回につづく)

書影帯付き

砂漠が街に入りこんだ日
164頁/四六変形/並製/リトルモアより、2020年8月1日発売。
全国の書店、ネット書店、またはLittleMore WEBにて好評発売中。

◆著者略歴
グカ・ハン(Guka Han)1987年韓国生まれ。ソウルで造形芸術を学んだ後、2014年、26歳でパリへ移住。パリ第8大学で文芸創作の修士号を取得。現在は、フランス語で小説を執筆している。翻訳家として、フランス文学作品の韓国語への翻訳も手掛ける。
(Portrait ©️Samy Langeraert)

◆訳者略歴
原 正人(Masato Hara)1974年静岡県生まれ。訳書にフレデリック・ペータース『青い薬』(青土社)、トニー・ヴァレント『ラディアン』(飛鳥新社)、ジャン・レニョ&エミール・ブラヴォ『ぼくのママはアメリカにいるんだ』(本の雑誌社)、バスティアン・ヴィヴェス『年上のひと』(リイド社)、アンヌ・ヴィアゼムスキー『彼女のひたむきな12カ月』、『それからの彼女』(いずれもDU BOOKS)などがある。


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