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「韓国からフランス語の世界へ飛び込んで」グカ・ハンへのインタビューVol.1

グカ・ハン『砂漠が街に入りこんだ日』は、架空都市LUOESを舞台に、さまざまな「越境」を描いた8つの短編からなる小説集です。
小社では、その魅力を日本語でも味わえるように訳し上げた原正人さんにお力添えいただき、グカ・ハンさんへのインタビューを敢行。メールで投げかけた質問に、ひとつひとつお答えいただきました。8月1日の発売直前に届いたお返事をまとめたVol.1。気になるデビューのいきさつや、母語ではないフランス語で書くことについて、語られます。

【1】韓国からフランス語の世界へ飛び込んで

——グカ・ハンさんは、26歳のときにフランスへ移住されたそうですが、それ以前に、母語の韓国語で小説やエッセイを書くことはあったのですか?

 韓国にいるときに作品を出版したことはないですし、そのほかに創作物を発表したこともありません。私はソウルで造形芸術を学んでいたのですが、卒業するとすぐにフランスへ向かいました。

——フランス語は韓国ですでに勉強していたのですか? それとも渡仏してから学んだのでしょうか?

 フランスに着いたときには、フランス語はほとんど話せませんでした。渡仏直前に韓国でフランス語の短期集中講座を受けたのですが、本格的に学んだのはフランスに着いてからです。フランスで暮らし始めた、あの時期のことはすごく印象深いんです。それまでフランスを旅したこともなかったので、何もかもが新鮮で強烈でした。

 つい最近、ある友人から聞いたことですが、彼女はフランス語を学んでいるあいだ、しばしば頭痛を覚え、不安な気持ちになったそうです。やがて精神分析家に診てもらい、精神分析の本を何冊か読んで、新しい言語を学ぶというのは、「母なるもの」から離れ、それに別れを告げることなのだと、彼女は知りました。それは私たちが生まれ育った世界であり、私たちが最初に出会う世界です。精神分析のことはあまり知りませんが、彼女が言っていることはよくわかりました。それは私たちが最初に学ぶ「母」語のことなのです。

 私自身のフランス語修業時代を後になって思い返してみても、奇妙なことに、苦しんだり、不安になった記憶がありません。それどころか、どちらかといえば楽しかったし、なんだか解放された気持ちでした。おそらくそれまでに私が生きていた世界から逃げ出し、まったく異なる別の世界に飛び込みたい気持ちがもともと強かったからなのでしょう。きちんとした答えがほしければ、それこそ精神分析家に診てもらったほうがいいのかもしれませんね。
 いずれにせよ、私の母語ではない言語——私のそれまでの人生や感情とは結びついていない言語——を話すことで、私はある種の軽さを感じました。そのおかげでフランス語で書き始められるようになったのだと思います。

——フランスで外国人が小説を発表することは決して簡単なことではないと思いますが、どういった経緯で『砂漠が街に入りこんだ日』を出版されることになったのでしょう?

 じつは経緯はとてもシンプルだったんです。私はフランスへ渡った後、パリ第8大学の修士課程で文芸創作を学んだのですが、卒業制作の口頭試問の審査員のなかに、現在ヴェルディエ社で私の担当をしてくれている女性編集者がいたのです。私の文章を読んだ彼女は、すぐさま出版しないかと提案してくれました。それからが本当にたいへんでした。文章を何度も何度もそれこそ数えきれないほど読み直さなければなりませんでした。友人が文章の修正を手伝ってくれたのですが、それだけでなく、編集者と校正者ともたくさん修正作業をしました。この人たちの手助けがなければ、作品は到底完成しなかったでしょう。ここで改めて感謝の意を表したいと思います。

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原書 Guka Han "Le jour où le désert est entré dans la ville"

——韓国語ではこの作品は書けなかったとお思いですか? 

 この質問にはうまく答えられそうにありません。というのも、そもそもこの作品を韓国語で書こうとしたことはないのです。ただ、「韓国語で書こうとすらしなかった」ということが、意味深長ではありますよね。この本に書かれているものは、実在する世界であれ、想像の産物であれ、私の母語に近すぎるのかもしれません。私は、自分が話している内容とそのために使う言語のあいだに、ある種の距離を持ち込みたがっているのだと思います。

 とはいえ、この作品を執筆しているあいだ、常に韓国語がそばにあったことも事実です。ボキャブラリーから文法、韓国語を使うことに由来する物事の考え方にいたるまで。

——この8篇の物語には、それぞれ名前も年齢も性別も明かされない「私」という曖昧な語り手が存在しますね。このように一人称を曖昧にして書くことは、韓国語では難しいのでしょうか?

 仰る通り、この作品の主要な登場人物たちは誰もはっきりと定義されていません。名前も年齢も、しばしば性別さえも不明です。この不明確さや不確定性は、ことによると韓国語に由来するのかもしれません。

 例えば韓国語では、名前に男女の別がありません。男女の性の曖昧さが言語に刻まれているのだと言えます。逆にフランス語では、ある人物の性別を決めないで書くいうことは、とても難しいことです。私はそのことに強く興味をひかれました。どうしてフランス語では、性別を曖昧なままにしておかないことが、こんなに重視されるのか? ある物語が男性によって語られるときと、女性によって語られるときでは、何か異なるのか? この本を執筆していたとき、私の頭の中ではこういった問いが飛び交っていました。最初の物語「ルオエス」では、登場人物の性別は、文法的にも、他の観点からもはっきりしていません。けれど、女性だと捉える読者が多いみたいです。その他の物語も同様です。読者にはなにかと混乱を与えているようです……。

——その混乱が、不思議と心地よいものでもありますね。ところで、グカ・ハンさんがパリに来た当初の、街や人々の印象はいかがでしたか? 1作目「ルオエス」や7作目「一度」の語り手は初めて訪れる土地によそよそしさのようなものを感じている印象ですが、それはご自身の体験と重なるものがあるのでしょうか?

 そうとも言い切れないですね。私は友人と一緒にフランスにやってきたので、そのことも大きかったと思います。むしろソウルにいたときのほうが孤独感や疎外感を覚えました。今でもソウルにいると自分をよそ者のように感じます。

——この小説集は、今日世界のどの街で生きる人々をも魅了するのではないかと感じます。ご自身は、とりわけフランス語を使う読者を思い浮かべて書いたのですか?  それとも母国である韓国の読者を始め、世界中の読者を想定していたのですか?

 実をいうと、執筆していたときには読者のことはほとんど考えていませんでした。「読者」というのは、私にとって実体のないどこか抽象的な存在だったのです。何しろこれは私の最初の本なのですから。

(次回につづく。更新をお楽しみに!)

書影帯付き

『砂漠が街に入りこんだ日』 
164頁/四六変形/並製/リトルモアより、2020年8月1日発売
全国の書店、またはLittleMore オンラインSHOPにて

◆著者略歴
グカ・ハン(Guka Han)1987年韓国生まれ。ソウルで造形芸術を学んだ後、2014年、26歳でパリへ移住。パリ第8大学で文芸創作の修士号を取得。現在は、フランス語で小説を執筆している。翻訳家として、フランス文学作品の韓国語への翻訳も手掛ける。
(Portrait  ©️Samy Langeraert)

◆訳者略歴
原 正人(Masato Hara)1974年静岡県生まれ。訳書にフレデリック・ペータース『青い薬』(青土社)、トニー・ヴァレント『ラディアン』(飛鳥新社)、ジャン・レニョ&エミール・ブラヴォ『ぼくのママはアメリカにいるんだ』(本の雑誌社)、バスティアン・ヴィヴェス『年上のひと』(リイド社)、アンヌ・ヴィアゼムスキー『彼女のひたむきな12カ月』、『それからの彼女』(いずれもDU BOOKS)などがある。



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