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#科学哲学
ウィトゲンシュタイン「論理哲学論考」より-3
2.0121. かりに、物がまずそれ自体単独で成立しえて、そのあとにそれがある状況のうちに現れるというのであれば、そのものがその状況に現れたことはまるで偶然であるかのようにも思われよう。
ものが事態のうちに現れうるのなら、そのその可能性はもののうちに最初から存していなければならないのである。
(論理的なことは、たんなる可能性ではありえない。論理はすべての可能性を扱い、あらゆる可能性は論理におい
ウィトゲンシュタイン「論理哲学論考」について
論考にあっては、世界は生き物ではない。
しかし、これは一つの、対極、両極の一方なのだとおもう。論考の描く世界には、確実に意味があり、かつ魅力的である。
両方考えなければならないとすれば、不思議ではない。
ウィトゲンシュタイン「論理哲学論考」は、その可能性において捉えなければならない書物であると、私も考えている。しかし、「論考」の描く世界は、鑑賞用だと思う。写真ではない、絵画である、写真よりも精緻