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ウィトゲンシュタイン「論理哲学論考」について


論考にあっては、世界は生き物ではない。
しかし、これは一つの、対極、両極の一方なのだとおもう。論考の描く世界には、確実に意味があり、かつ魅力的である。
両方考えなければならないとすれば、不思議ではない。

ウィトゲンシュタイン「論理哲学論考」は、その可能性において捉えなければならない書物であると、私も考えている。しかし、「論考」の描く世界は、鑑賞用だと思う。写真ではない、絵画である、写真よりも精緻な絵画である。
そこには、動きがない。街の道路を走る車も、ベットから起き上がる男もいない。人間だけでなく、飛ぶ燕も、忍び歩きする猫もいない。
彼自身は、「ざらざらした大地へ戻れ!」と呼びかけ、重要な書籍も残したからいいが、後に残る者は、なお、「論考」にダイアモンドを探すことに一生懸命なのである。
私自身、科学哲学が専修だったので、無縁ではない。今はゲーデルからクリプキの線を当たっている。数学の哲学である。ウィトゲンシュタインは数学で取り上げられることはあまりないので、今まで無関係ですごしてきた。私の理想としては、歳をとった時に、兼好法師と共にその著作を読んで過ごしたい。贅沢な老後である。

しかし、そうも言っていられない。やはり、読んで、書かなければならない対象である。

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