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【社会】私が歴史にハマった理由

みなさんこんにちは!
LITのノスケです。
私はこれまでに「数学が嫌いな私の勉強法」などの数学に関する記事を書かせていただいているので、私といえば、数学の人というイメージがついている方もいらっしゃると思います。しかし、実は日本史が数学と同じくらい好きなんです!そこで、今回は私が日本史にはまった理由をお話しします。

日本史との出会い

・5年生の春、自習で挫折

私が初めて日本史を学んだのは小学5年生の春休みでした。
 6年生の予習をしようと思い、自習を行っていたのですが、教科書を開いてパラパラと見ていると、覚えなければいけないことが多いことに気づき、「こんなの覚えられるかぁ!」とあきらめてしまいました。

・面白さに気づかせてくれた恩師との出会い

こんな感じで5年生の春休みで日本史のやる気が0になり、これから授業についていけるか不安でした。

4月になり、初めての日本史の授業がありました。

 授業が始まる前から「早く終わらないかな」と思っていました。
授業はガイダンス的な内容だったのですが、その中で日本史の勉強法についての話になりました。そこで先生が、「歴史で一番重要なのは流れをつかむこと」だと教えてくれました。私はこの学び方によって日本史にはまっていくことになります。

・流れで見る天下統一

例えば、1590年に豊臣秀吉が天下統一を成し遂げたことについてですが、単純に覚えるだけではなく、なぜ豊臣秀吉が天下を統一できたのかを考えてみましょう!

 1582年、当時、一番天下統一に近いとされていた織田信長が家臣の明智光秀に暗殺されました。数日後、明智光秀は秀吉によって倒されたのですが、元の信長の家臣たちは今後誰についていけばよいのか迷います。

 結果として、ほとんどの家臣は秀吉と柴田勝家という人物についていくことになります。
しかし、お互いの方針の違いから戦うことになり、秀吉が勝ちました。そのため、秀吉が信長の正統な後継者となり、天下統一を進めていきました。

 このように流れで覚えることで、その周りで起きたことなども含めて覚えることができ、漫画やアニメを見ている感じがしてとても面白いと思いました。

歴史の面白さ

・本能寺の変の黒幕は誰

ここでは日本史の面白さについて語ります。
さて日本史最大の事件といえば、本能寺の変が挙げられます。
皆さんは本能寺の変を知っていますか?
本能寺の変とは家臣の明智光秀が大将の織田信長を自害に追い込んだ日本史最大の事件です。
明智光秀が本能寺の変を起こした張本人なのですが、実は明智光秀に本能寺の変を起こすように命令したまたは援助した黒幕がいるのではないか?という噂があります。

 なぜ、黒幕がいたのではないかという噂があるのでしょうか?
まず光秀は本能寺の変の1か月くらい前に、広島で戦っていた羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)の手伝いをするよう、信長に命じられます。
軍を集めた後、広島に向けて出発し、中継地点の京都に入ります。
光秀の軍勢は13000人にも上りました。

 また信長は本能寺で天皇の側近と会談をする予定でした。天皇の側近に合うのに大勢の護衛を連れていくなんてとても非常識です。その為信長の護衛を任されていたのは130人くらいでした。

 光秀は信長にひどい扱いをされていたので、この状況を知って信長を倒してやろうと考え、実行したのではないか?と考えられます。
しかし、光秀の軍はもともと秀吉を助けるという目的で集められた軍です。果たして13000人も、本来の目的と違い信長を倒そうと考える人はいるのでしょうか?そもそもそんなに信長が嫌いなら家臣をやめて他の人についてしまえばよいです。なのでこの13000人が信長の家臣たちだったということは考え難いのです。

 ここで黒幕が兵力などを光秀に貸したのではないかといわれています。果たして黒幕は存在するのでしょうか?

・黒幕候補① 羽柴秀吉

黒幕候補1人目は羽柴秀吉です。
羽柴秀吉は織田軍の人間なので、光秀と同じ理由で群を集められないと思われるので、黒幕ではないと考えられるのですが、本能寺の変後の秀吉の行動がかなり不可解なんです。

 元々秀吉は広島でそこを統治していた大名と戦っていました。しかし、本能寺の変が起こると、すぐに休戦協定を結び、京都に3日くらいで帰ってきて、光秀と戦い、倒しています。

 広島から京都の距離は約380kmです。休戦協定に1日かかったと仮定します。すると、380÷48=約7.91667(km/h)となります。
このことから1時間で7.91km進んでいることになります。
つまり1分間で約132m進むスピードです。
人が歩くスピードはだいたい1分間に80mです
また、このころの軍人たちは甲冑という鎧をまとっていました重さは約30kgです。
また、戦に必要だった道具、旗、鉄砲、刀なども持っています。
皆さんはこれらを持ちながら1分間に130m歩けますか?

 またこれはあくまで休戦協定が1日で済んだらという仮定の話です。休戦協定は両者の大将やその側近が、賠償金や領土等様々なことについて話し合うので1日では終わらないでしょう。すると、実際にはもっと速いスピードで、京都に戻ってきていたのではないか?と推測されます。この京都に戻るまでの速さが異常だったので黒幕だったのではないかと疑われています。

 また、推理小説でも、被害者が死んで一番得をした人が黒幕というのはよくある話ですが、信長が死んで一番得をしたのは誰でしょうか?

・黒幕候補② 徳川家康

黒幕候補2人目は徳川家康です。
徳川家康は桶狭間の戦いで、今川義元を倒してくれた織田信長にとても感謝していました。そんな人が黒幕なんてありえない!と思いますが、家康も本能寺の変後に奇妙な行動をとります。

 光秀はもともと斎藤利三の家臣でした。とある戦いで協力した信長に光秀を預けていました。本能寺の変後、利三は責任を追及され処刑されます。
処刑されてしまった利三には娘がいました。名前は春日局といいます。どこかで聞いたことありませんか?春日局は江戸幕府3代目将軍、徳川家光の育ての親です。尊敬している信長を殺した光秀の主の娘を、将軍を育てるというとても重要な役を任せているのは奇妙ですよね。

またこれ以外にも家康と光秀がつながっていたのではないか?という噂はあります。
例えば、家康が眠る、日光東照宮のある土地は明智平といいます。
また、家康の息子の秀忠、孫の家光と名を付けましたが、その名の中に光秀が隠されていますね!

 また今回は紹介できませんでしたが、秀吉、家康以外にも黒幕候補はいます。例を挙げると、以下の通りです

・足利義昭(室町幕府15代将軍):信長によって京都を追放された
・比叡山延暦寺の僧侶たち:信長によって比叡山を焼かれ、多くの僧侶などがなくなった
・朝廷:信長に征夷大将軍になる提案をしたが、断られた。(朝廷が思い通りに扱えないと判断した)

 こう見ると歴史って推理小説みたいですね!
皆さんは誰が黒幕だと思いますか?
ぜひコメントで教えてください!

まとめ

みなさまお読みくださりありがとうございました。
今回は私が日本史にはまった理由を話させていただきました。私ももともと日本史が嫌いだったので、嫌いな人や、苦手な人の気持ちもわかります。
嫌いな人や、苦手な人はまずは歴史を流れで見ることをやってみてください。

 その際にぜひお勧めしたいのが、日本史の漫画です。流れがわかりやすいし、面白いため、ついつい読みすぎてしまいます。
これは全教科に言えることだと思いますが、最初から、きっちりやろうとせずに、漫画やアニメ、雑誌などから興味を持ち、そこから専門的に学ぶのが良いと思います。ぜひ試してみてください。

 ついつい熱くなってしまい、まとめが長くなってしまいました。
ぜひ次回の記事もお読みいただけると嬉しいです!

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