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黄金を巡る冒険④|小説に挑む#4

黄金を巡る冒険①↓(読んでいない人はこちらから)

時計の針は十一時を回っていた。
僕はコーヒーを飲みながら、これからのことについて考えてみた。

まず、彼女たちは僕をいつ迎えに来るのだろう?
長い旅とは具体的に一体どこへ向かうのだろうか?
僕は何を持ち、何を持たなくていいのだろう。

考えても仕方がないことが山ほどあった。
だが先の不安からか、どうしても明暗の分からない未来を想像してしまう。

彼女たちを待つことを中心とした生活がこれから始まると思うと、急に部屋の中に束縛感が生まれた気がした。
そしてより一層の孤独が、四角い壁から僕を圧迫しているようだった。
僕は頭を振り、溜まり積み重なっていた未読の本たちへと回路を切り替えた。

僕の思考は電気回路のようなもので、別の事へと頭を働かせるためには、カチカチと意識のスイッチを強制的に他方へ切り替えなければならないが、この回路+スイッチは思考を分断できるという特徴を持っているので、意外と便利だ。

だけどその所為なのだろうか、よく周りからは人間味が薄いと言われる。
確かにそうかもしれない。
おそらく僕は、絶望的な何かがあったとしても回路を切り替えるだけでそれを受け入れることができるだろうし、考え方を180度変えられるであろう。
ある意味では柔軟に、ある意味では冷徹に。

部屋には大きな本棚があった。
壁一面の半分を占有していて、小高く様々な書物を並べられる木立の色調静かな本棚だ。僕はこの本棚に、多岐にわたるジャンルの小説を並べていた。

棚にある小説は次のようなものだった。

ロシア文学列:ドストエフスキーの小説が多くを占めている。
アメリカ文学列:幾らかの年代で分かれている。
 ・初期アメリカ文学:アランポー、ホーソンなど。
 ・ロストジェネレーション:ヘミングウェイ、フィッツジェラルドなど。
 ・ビートジェネレーション:ケルアック、ブローティガンなど。
イギリス文学列:オーウェル、アーサーCクラークなど。
日本文学列:夏目漱石、森鴎外、谷崎潤一郎から太宰治まで。あとは村上春樹など。
その他文学列:色々。

文学の全盛期、アメリカは凄かった。文学の型にハマらない前衛さがあり、多様な体系を作り上げ多くの文学が生まれた。
そしてその波は日本の文学を大きく飛躍させた。(その飛躍の方向の良し悪しは分からないが)

僕はアメリカ文学をよく読んだ。
彼らの言葉は僕の体組成の一要素となり、僕という存在を今も支えている。
それにロシア文学も熱心に読んだ。
特にドストエフスキーは偉大な作家だ。
彼に人間の本質と人生の価値を教わった。
そして日本の文豪たちが、僕の言語を体系づけた。

つまり僕の身体はこの本棚でできているということだ。

僕は未読の列にある本を一冊取った。
カート・ヴォネガット・ジュニアの「タイタンの妖女」。
カート・ヴォネガット・ジュニア? 
ヴォネガットにジュニアなんて付いていただろうか? 
きっとどこかで改名したのかもしれないが、名前なんて好きに名乗ればいい、定まった形で生きていくのはヴォネガットにとって酷く退屈だろうから。

僕はその本を開き、ぱらぱらとページをめくって閉じた。
昔に読んだことがある気がしたが(ジュニアを知らない時点で、やはり読んでいないのかもしれない)、ヴォネガットの小説は、僕が置かれている今の状況において読むべき本であった。
訳が分からないという点において。

僕はまた本を開き、序文を読んだ。
「たぶん、天にいるだれかさんはおれが気に入ってるんじゃないかな」
--マカライ・コンスタント

そして僕の倦怠的なひと月が始まった。

***

あれから一週間経ったが、彼女たちは未だ僕を迎えに来ていなかった。
僕は長期休暇と言って仕事を休んでおり、友人との連絡もしばらく絶つこととしたので、特にやることも無く読書をしながら一日を過ごした。

僕は朝食、昼食、夕食に合わせて必然的に生活をするようになり、前よりも生活のリズムが規則正しくなっていた。
外出は食材の買い出しとそれに合わせて散歩するくらいなもので、他者とのコミュニケーションが無いと一日がとても長く感じられるものだ。
人間、暇ができると普段考えないようなことを考えてしまう。
余計なこととして、僕は一日を正確に目盛り付け、そこに行動を一つずつはめ込んでそれをルーティンとした。

起床後に朝食を作り、コーヒーと一緒にそれを食べて読書する。
昼食を作り食べ終わったら散歩と買い物。
家事をし、何かを読んで夕食の準備をしたら夜になる。
夕食にビールを飲んで風呂に入り、読書の続きをして眠くなったら寝る。

僕の生活ルーティンはたったこれだけである。
四行で纏められる。
そしてその四行を正確に目盛りに従って実行する。

一週間も経つと、この生活をさっぱりと熟すようになっていた。
なんだか人生とはこれで良い気がした。
これまでの僕の生活は慌ただしすぎたのかもしれない。
孤独の静かさは少し物寂しいが、今までに無いとてもひらけた気分でもあった。

「タイタンの妖女」は相変わらず突拍子もない話だった。
ウィンストン・ナイルズ・ラムファードは波動現象として存在し、世界を導き動かしていた。
主人公のマカライ・コンスタントは彼の計画の一部とされ、大仰にてんやわんやする。
結局彼は既に決まっていた未来に向かって、のたれまわる哀れな主人公を演じさせられたにすぎない。

僕は時間等曲率漏斗なんて訳の分からない力で振り回されるマカライを、とても可愛そうだと思った。
それはきっと、サーカスの大道芸人が滑稽に踊る人生のようなものかもしれない。
なんて悲運な登場人物なのだろう。

世界は突拍子も、なんの前触れも無く僕たちに無遠慮な役割を与える。
選択肢なんか無い。
僕たちは誰かに決められて、誰かの思い描く通りに踊り狂うだけの仮面舞踏会に参加しているのだ。
ヴォネガットはそう教えてくれた気がした。

僕も時が来たら踊り狂いだせば良いのだ、誰かが思い描く通りに。

***

だが、その時が来るのはしばらく先のことである。
不思議な老人を見つけたあとに、その時はやってきた。

第四部(完)

二〇二三年十二月
Mr.羊


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