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黄金を巡る冒険⑤|小説に挑む#5

黄金を巡る冒険①↓(読んでいない人はこちらから)

僕は規則正しい生活の中で、一番散歩を好んだ。
昼食後の満腹と気怠さが占める昼下がりの最も快活な活動、それが今の僕にとっての”散歩”だ。午後の陽光が鬱屈な気持ちを浄化させ、街の喧騒が活発な精神を情火させる。
まるで長い間使われずしばらく固化した蝋燭に火を灯し、蝋が溶けていくみたいに。

ただ舗装された歩道や公園の小道を歩くだけの行為ではなく、僕にとっては外の世界と繋がる道を歩く行為でもあった。
だから散歩は欠かせなかった。
規則正しい孤独な生活では特に。

家の近くには公園があった。
歩くとさっぱりとした気持ちになる開放的でアイコニックな公園で、僕は散歩のときには必ずそこを通るようにしていた。
公園の中央には大きな芝生の広場があり、その周囲には桜やイチョウの木々に囲まれた遊歩道が広場を枠作っている。
そしてその枠から中央の芝生を横断する砂道が一本伸びて、向こう側に繋がっていた。

砂道を歩いていくと芝生の中心に年季の入った大木がひとり立っていて、その下には太陽と競合して大きな日陰を作っていた。
芝生の鮮やかな緑と深く暗い緑がはっきりと区切られているその様は、何か巨大な力が一つの世界の明暗を分けているかのように見えた。

あらゆる物事は区切られて二分されてしまうのだ。
それがこの世界の真理なのかもしれない。

いや、それは見方によるのだろう。
多くの人にとっては素敵な公園であり、休日には子供たちを連れた多くの家族がやってきて、その大木の下を憩いの場としている。
青い空と緑の大地が健全な心を育む朗らかな場所だ。

まともな人間はきっと春が来たら芝生に寝転んでビールを飲み、花を見ながら家族と心地よい時間を過ごすのだろう。
秋には自然の香りを楽しみながら、ベンチで本を読むのだろう。
だが僕は客観的な感情でその公園を見ることしかできなかった。

ふと、「炒飯」の代表である彼女と来たら素敵な時間になるかもしれないと思った。
なぜ彼女を思い浮かべるのだろう?
まだ耳の奥に彼女の声の余韻が微かに残っている気がするからだろうか?

***

公園を通り抜け、舗装された社会インフラの上をいくらか歩くと、スーパーマーケットとドラッグストアが立ち構えている。
とても仲の良い兄弟みたいにどんな時も一緒にそこにいる。

公園とその兄弟の間には、幾つかの公道と幾つかのバス停がある。
僕の日課は公園を散歩した後に買い物をする。
なので僕は毎日そこを通る。

一週間経ったころ、一つのバス停が少し奇妙だったことに気づいた。

そのバス停には青いベンチが一台あり、そこには老人が一人ぽつんと座っていた。
ほとんどは顔を俯け下を向いているが、定期的に顔を上げ周囲をきょろきょろと見渡していた。
それはバスを待つ人の行動だった。
だからおそらく、この老人は何らかのバスを待っている。
しかし、そのバス停は数年前に廃線していて、もうそこにバスが来ることはありえなかった。

だが老人は待っている。
おそらくここに来る(少なくとも老人はそう思っている)バスを。

僕はその老人を見ることが生活の一部となっていた。
公園、老人、スーパーマーケット。
とても奇妙だが、これが僕の毎日の散歩ルートである。

公園、老人、スーパーマーケット。悪くない響きだ。
もし小説を書くなら、タイトルは「公園、老人、スーパーマーケット」にしてもいいかもしれない。
これから始まる旅が終わったら、小説でも書いてみよう。
山々や田畑が広がる自然に囲まれた家で、小説を細々と書いて生きるのも良いかもしれない。
ーーカチッ。(回路が切り替わる音)

道を往来する人は、その老人を全く気にしていないようだった。
老人はいつも寸分違わずに同じベンチで、同じ場所に座っている。
そのあまりにも同じ光景の連続は、老人から現実味を奪っていた。

この街にとって、老人とバス停という組み合わせは当たり前のことなのかもしれない。それが現実であろうと幻想であろうと、この街の住人には全く関係ないのだろう。
それはただの風景に過ぎない。
誰も道端に立っている銅像に関心がないことと同じだ。

来るはずのないバスを待つ老人は、
欲も無く、決して動かず、いつも静かに座っている。
バス停の一部に溶け込みながら。

僕と老人の関係は車線を挟んだ対向の歩道、距離30メートルにしか過ぎない。たった数十秒の時間の触れ合い(実際には30メートル先から見るだけだが)。

孤独の親近感のせいか、僕と老人はお互いを認め合っていた。
それは表面に出るものではなく、内面にある”見えない繋がり”だ。
透明な言葉でのコミュニケーション。

僕らの関係に、名前はまだない。
もし名前を付けるなら「友人」と呼んでも良いですか?
と聞いてみよう。

僕は一人じゃない。
老人と共に待っているのだ。

***

「バスを待っているんですか?」と僕は透明な言葉で聞いた。
「そうじゃ。もうすぐ来るはずなんじゃ」
「もうすぐですか。僕も人を待っています、独りは寂しいですか?」
「何じゃ、まだ孤独ひとりをわかっとらんのか?
一人でいることは誰かを待つということじゃ。待っていれば必ず来る。
心して待つのじゃ」

老人のその透明な言葉は、明日の僕の励みとなった。


第五部(完)

二〇二三年十二月
Mr.羊

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