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黄金をめぐる冒険⑰|小説に挑む#17

黄金を巡る冒険①↓(読んでいない人はこちらから)

僕の認識は門という存在そのものに圧倒されて、目に映るものが持つ実在性を極限まで不明確にしていた。それほどまでに巨大で荘厳そうごんな建造であった。

門柱の外周は、五人の大人が手を目一杯まで広げてやっと囲めるくらいの太さで、直径で考えたらおおよそ3メートル程度はある。屋久島の縄文杉の直径が2メートル50センチ程度、それよりも大きい。一体どんな石材を使ったらこんなモノが作れるのだろう。そしてどうしてこんなにも巨大にしなけばならなかったのだろう。

僕は恐る恐る門をくぐった。おそらく潜るという表現はその行為に似つかわしくない。別の空間へ足を踏み入れたと言ったほうが適切かもしれない。
その門の巨大さは、神秘性を演出し、門の外側と内側をはっきりと分断するように、空間ごと別な何かに置き換えられている、そんな感覚の錯乱を含んでいた。建造物の拡大性は、二分性そのものの露呈が目的なのかもしれない。

門の内側に入ると少し肌寒さが増した。振り返ると、そこに門と門番の姿は無かった。それに、細木で支えられていた東屋さへ無くなっていた。草原も砂道も消え、辺り一帯が岩石と砂に囲まれた無機質な山道のように人の侵入を否定していた。やはり、まるで別の空間なのだ。

空間と空間の間には必ず”壁”と”門”が存在する。逆説的に言ば、”壁”と”門”は必ずその内側と外側を作るということだ。門の不在は戻ることができないことを意味している。
少し先に進んでみて、もう一度振り返ってみても、門と門番の姿はやっぱり無かった。門番(一本の樹)はまた煙草を吸っているのだろうか。

***

一体彼女はどこへ行ってしまったのだろうか? 無事なのだろうか?
彼女の横顔が脳裏をよぎる。その美しい記憶はまた別の記憶へとアクセスし、また別の記憶へと繋がっていく。脳のニューロンが互いに紐のような「ヒゲ」で接続され、相互に作用するネットワークを形成するみたいに、彼女の記憶が別の記憶を共起させて、僕の記憶の奥底にある閉じ込められた思い出が開いていく音がした。カチッカチッと何度も繰り返し。

またひどく頭が痛んだ。だが、前みたいに倒れるほどではない。頭の中で響く音に耐えながら、僕は無機質な山道を進んだ。

少し歩いてみると、中々に急な勾配で足腰の疲労が洞窟よりも顕著に現れた。それが際限なく眼前を埋め尽くす絶望。地面には所々細かい砂が十五センチ程度積持った砂溜まりがぽつぽつとあった。
そこを踏み込むと、ゆっくり足が砂に沈んでいき、地面を踏む力が加えられるようになる頃には、くるぶしまですっぽり砂に食われてしまった。ニ歩三歩と砂溜まりを歩いてみる。なるほど、これが地獄の道か、まるで楽な道では無いな。

食われた足を地面から引き抜き、前に出してはまた食われる。次に反対の足で同じことをする。この繰り返しが何度も続く。慣れてきた頃に固い岩盤の道が現れ、安心するとまた砂溜まりとなる。剛と柔が繰り返される不親切極まりない地獄だった。

どこまでこれが続くか全く分からないが、ひとまず歩かなければならない(斜面の角度的には登るという表現が適切だ)。歩いては足が食われ、次にゴム底のグリップが固い凹凸を捉える。それを黙って繰り返していくうちにテンポを掴んできた。これでいい。

テンポを掴むと、周囲を気に掛ける余裕が出てきた。見渡す限り、生き物は僕以外に存在なく、周囲は砂と僅かばかりの枯れ果てた枝だけが生えていた。聞こえてくるのは風と砂が擦れ合う音、あとは自分の吐息からなる音だけでとても孤独で静かだった。

ザクッザクッ、ゼェゼェ、ビュウビュウ。
ザクッザクッ、ゼェゼェ、ビュウビュウ。

簡単なオノマトペたちのみが存在するこの世界は、少し心地好い。まれに風が止むので、足を止めて、大きく息を吸い、吐いてみた。すると見事に音が消え去ってしまった。音の無い世界には、完全な静寂と沈黙が存在し、不思議なことに自分の鼓動の音さえも聞こえない。
音が無いと見えている風景も全く違った。聴覚がどれだけ視覚に干渉していたかが分かる。この新たな発見に僕はとても満足した。

暫く進むと、前方に影らしきものが動いているのが見え、まさか他に誰か居るなんて思いもよらないから、僕は目頭を押さえてはその影らしきものを見て、また押さえてはそれを見て、という動作を何度か繰り返し、やはりそれが人影であることを認めた。

進むにつれ、徐々にその影は大きさと色調を所有していき、距離が残り三メートルほどに迫ると、はっきりと現実化した。男はひどく歳をとっているようだった。横から見るその顔は、古代ギリシャの哲学者のようであり、顎鬚あごひげは無造作に生茂り、口元に関しては鼻毛か顎髭か分からないほど伸び散らかしていた。
目は大きく見開かれ、幾らか前に飛び出し、前に飛び出た眼球は絶えずぎょろぎょろと動いている。

奇妙な目玉を持つ老人は、持っている二本の杖を器用に使いながら四足歩行で亀のようにのそのとゆっくり歩いていた。右足を出すのと同時に左手で持っている杖を前に出し、それを地面に刺しバランスをうまく取り、左足を出すときもしかり、四肢を支点とし体の重心はその囲いの中心に必ず持っていき、というような歩き方だった。
もう二本の脚だけでは歩くことはできないだろう、そう思える歩き方だった。ゆっくりゆっくりと着実に前へ進んでいる。それが奇妙な目玉のスタイルなのだ。

目玉の服装は、頭に褐色のニット帽、上部は青のレインジャケット、下部には白のレインパンツ。靴は丈夫そうな縫い目の少ない黒のナイロン地でできており、ゴム製の靴底は厚く、足首がしっかりと保護されるようにハイカット作りで洗練されていた。ナイロン地の質感は砂を流し、縫い目を抑えることで余計な砂が付着せず、厚手のゴム底はグリップを効かせて砂だろうがどんな摩擦力でも捉える。まさに理想的な登山靴だ。

左手には杖を持つ手の首に一リットル入る程度の水筒がゆらゆらと小刻みに振幅していた。どんな険しい山でも登ってきた風格が、目玉にはあった。

その目玉は急に立ち止まり、ぐるっと辺りを見回し首を大きく旋回させ、僕の方を見た。見ただけで何も喋らない。僕も立ち止まり、そのぎょろぎょろ動く目玉を見ていた。そんな時間がしばらく続いた。
あまりにもその”暫く”が長かったので、僕は居た堪れなくなって、とっさにこんにちはと言ってみた。返事はない。こんにちはという言葉はあまり良く無かったかもしれない。

その奇妙な目玉はこちらを奇妙そうに見ているのだが、実際には僕を見ていなかった。僕の後ろに在る”何か”を見ている、そんな気がした。また暫くして、目玉はぎょろぎょろっと白と黒を何度か素早く入れ替え、結局は黒が真ん中に落ち着いてもう一度僕を見てこう言った。

「あなた、たび、びとか。こ、ここはながい、みち。あな、あなた、もとうえ、えゆく」
目玉はとても奇妙な話し方をした。発音には抑揚が無く、感嘆符が全く汲み取れない。吃音により単語が崩れていて、単語間の接着がひどく曖昧になっている。そして何より声が細くて聞こえにくい。

おそらく、あなたは旅人か? ここは長い道だ。もっと上へと行くのか? というような趣旨だろう。そう思い、僕は目玉に答えた。
「ええ、もっと先へ登ろうと思います。この道は傾斜が高いですね。ここから先は雨が降るのでしょうか? 雨除けや上着を持ってきていないのですが……」

挨拶儀礼として天気のことを話してみたが、返事は無い。沈黙。
暫くしてまたぎょろぎょろっと目玉が動いた。
「わ、わたし、ここな、がい。あめか、ぜは、つよい、している。あ、すすむ、ともう、もど、れない。たび、ひとみた。あなた、ひ、ひとり。あな、あなた、いい。こ、こころ、みれば、わかる」

目玉の周りだけ時間の流れが遅いようなズレがあった。話の応答もそうだが、体の動きも、それに付随して動く周りの物体も動きが遅くなっていた。僕と目玉の距離は二、三メートルだけだが、ある星の光が僕たちの目に届くのに何万光年かかるように、目玉の声が僕に届くのにはずいぶん時間がかかるのかもしれない。
目玉に届くころには、僕の声は僕にとって過去になり、目玉には現在となる。それは逆も同じである。まるで宇宙規模の距離が二人の間に存在するかのように。

その奇妙な目玉はまたぎょろぎょろっと動いた。なぜだかその目玉だけは素早く動いていた。

第十七部(完)

二〇二四年六月
Mr.羊
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