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「もういいよ、ササ美さん」(4)_完


「ねえ、ママ!!ちょっと聞いてる!!」


娘のササ子に揺さぶられ、ササ美は我に返った。

覚えていらっしゃる人がいるだろうか。(1)の冒頭だ。

ワカナさんに大葉をそっと挿入されてからというもの、ササ美さんは頻繁に物思いに耽るようになった。無論、冷蔵庫内及び冷凍庫での数日の話であり、人間の時間感覚とは違う。だが、そこはさほど重要ではない。とにかくササ美さんは考えた。そこには生真面目な彼女らしく、自分への憤りと悲しさに包まれていた。

私に隙があったのかしら。ササ男さんを愛する気持ちはこんなに強いのに。。私はなんてふしだらで愚かなササミなんだろう。。

kimajime★なササ美さんの思考

「ふしだら」「愚か」ー。どのような評価や意志が存在しようと、それとは無関係に、食品は調理される運命。愚かか否かなんて、本当は関係ない。無論、人間だって、地位や名誉、小さな社会のマウンティングなど、愚か極まりないことに人生の大半を費やしているが、これもスパンが違うだけで、大した意味がない。ただ、意味があるようにしないと、過剰に発達した思考の行き場がないだけだ。所詮は神の遊戯。宇宙の中ではササミも人間も一瞬にも満たない存在でなんら大差ない。

「もういいよ、ササ美さん」


ササ美さんがふと我に帰ると、ササ男さんの声がはっきりと聞こえた。

「ササ男さん!? ササ男さんなのね!? ごめんなさい、私・・。」


「ふうー」。
ササ男さんが微笑みながら深い息を吐くような音が溢れた。それは、幼い子が駄々をこねた時に母親から出る、幸せなため息の類だった。

「ササ美。落ち着いて。僕は大丈夫だよ。確かに、丁寧な処理をされたとは思わなかったけど、サキさんは基本、食べ物を無駄にしないから、ボイルササミは冷凍され、その後サキさんは筋ごと食べてたから、僕は嬉しかったよ。」

まさかのササ男さん再降臨

「だけど、ササ男さん、あんなひどい捌き方ないわ、私、許せない・・・!」

「ササ美。僕の一部はまだ冷凍庫に入ってるから、自分の分身のコントロールがまだうまくいかない。けど、食べられ前に、君と一緒に会話していた時と、今と一体何が違う? 同じだよね。そして、面白いことに、自分の一部が食べられることで、僕は今までの記憶の一部を少しずつ取り戻しているんだ」

おいおいちょっと男前になってないかササ男

「僕が昔人間だったとは話したね。人間は食べ物みたいに、食べられたりはしない。だけど、人間だって、生きている間に、哲学的な死を何回も経験してるんだ」

まじかササ男

「哲学的な死? どういうこと?全く意味がわからないわ」

「ごめんよ、ササ美。これを説明するには、すごく時間がかかるし、うまく説明できる自信はない。けど、そういった精神的な死と物理的な死は、僕には大差はないんだ。人間としての人生も、僕はやりたいことをやったし、そしてササミとしての一生も、きちんと食べてもらうことで全うしようとしている。まあ、人間に比べたら、確かにあまりにも短いけど。けど、それってすごく美しいことじゃないかな。前世で漠然として感じていたことが、今回、明確になった。そんなすがすがしい気持ちなんだよ」

かっこよ、ササ男

「ササ美。僕たちはすごく幸せなんだよ。どのようなものであれ、生が有る限り、死は必ず訪れる。技術の進歩によって、退化してしまった人間は、こうやって離れてたり、体の一部がなかったら、なかなかコミュニケーションは取れない。でも、僕たちはこうやって交流できている。スーパーでパックされて、その後、全く調理もされず廃棄されたりしたら、僕もちょっと悲しいけどね。ちゃんと料理してくれるところに行けただけで、幸運だよ。調理した人とその周りの人が、ちゃんと食べてくれて、それがその人の体の栄養となる。こんな感覚、人間だった僕にはなかったんだ」

ササ男の前世はサキが絶対好きなタイプ

「それに、ワカナさんが調理してるところ、僕はちゃんと見ていたよ。いい人じゃないか。筋取りなんて、すごく丁寧だし、僕は興奮すらしたよ。一体、何に遠慮してるの? 安心してササミであることの幸せを享受してほしいって思うよ」

さりげなく「興奮した」って変態性を告白するササ男

「やだ、ササ男さん、見てたなんて、なんだか、すごくエッチだわ」

ササ美さんが、一層、頬、いや全身をピンク色に染めていたところ、ふっとササ男さんの気が遠くに行った。分身の冷凍ササミが食べられたのだろうか。

ササ美さんには彼が言ってることは、ほとんどよくわからなかった。だけど、彼の言葉は甘美で高貴なことのように思えた。王女がこっそりと食べる極上のチョコレートのように、しっとりとササ美さんを包み込んだのだ。

「ササ男さん、初めて私を呼び捨てにしてくれた」

翌日。

ササ美さんは少しだけ、和らいだ表情を見せていた。二回目であるにもかかわらず、ワカナさんは初回同様にササ美さんの曲線に沿ってそっと包丁で撫でた後、丁寧にフォークで筋をとり始めた。人間だってそうだ。常に初めて出会った頃のように新鮮な気持ちでいられたら、狂おしいほど愛おしく思う気持ちだけでいたら、どれだけ幸せなことだろう。忘却とは博士が愛した公式と同様、一種の幸福。いつでも「初めまして」でいられることと、目に見えぬほどの日々の微量な積み重ねが、「人を愛する」ということに繋がるのではないか。

「あん。もう、いや・・・」

そう、ササ美さんは呟き、ワカナさんが中に大葉を入れやすいように、少しだけ自らを柔らかくした。ワカナさんは今日は大葉だけでなく、梅肉もそっと挟んだ。爽やかな酸味と甘味がササ美さんの全身へ駆け巡り、えもいわれぬ快感が訪れた。

もうこれ以上、抗うことはできなかった。理由や根拠を説明できる領域ではない。ササ美さんは人知れず絶頂を迎えたのち、ピクピクと全身が痙攣した。それは誰にもわからないほどの、微かな変化だった。遠のく意識の中で、ササ美さんは呟いた。

「ササ男さん。私、なんとなくわかった気がする。きっと全ては巡り合わせなのね。私と出会ってくれてありがとう。私、あなたと過ごしたこの時間を決して忘れない」

ササ美さんは女として、いや、「ササミとして産まれてよかった」と心底思えた。豚肉や牛肉だったら、脂身が邪魔して、大葉や梅肉の酸味の爽快さが薄れる。同じ鶏肉でもモモ肉の脂が冷えた時のうっすら白い膜が大葉につくのは、やはり美しくない。なのに、濃厚なチーズといったものにも柔軟に自分のものにできる。

持ち前の淡白な肉質のおかげで、様々な姿に変えられる。そう、それがササミ。 生まれ変わりが肉と指定された上で選択肢があるならば、私は迷わずササミを選ぶだろう。

だって、ササミも女もどうしようもなく貪欲で美しいのだから。

「ワカナさん、なかなかの捌き方だったわ。
大葉も梅肉も、すごく、すごーくよかった!! 
次は、バジルとトマトで洋風ねっ♡ 
あっ、今度はカレー粉を全身にまぶして、
中にぎゅっとチーズも入れて欲しい。もう、早く♡」

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