イエスは私を愛している
海外の有名な曲のサビにこんなワンフレーズがあります。
"Yes, Jesus Loves Me. The Bible tells me so."
[そうだ。"イエスは私を愛している"と聖書が教えてくれた。]
「イエスが私を愛している。」
この事実をどのように実感している(できる)でしょうか。
私は最近になって、『人を愛すること』で、
この『イエスから私への愛』、『神さまからの愛』を
実感するようになりました。
今日はその例をひとつご紹介します。
EP1.戸の外で待っている友人イエスさま
ある日曜日の朝、前日に教会に行こうと誘った友達の部屋に行くとき、まだ起きていないであろうその友人のため、朝食に作ったパンケーキを持って彼を起こしに彼の部屋に行きました。そして部屋の前に立ち、ドアにノックをしたとき、私は「イエスの愛」をドーーンっと感じました。それは、そのとき聖書のこんな一節(いっせつ)を思い出したからです。
私がその友達の部屋のドアの前に立った時に、この箇所が心に浮かび、思わず泣いてしまいました。
以前この聖書の箇所を読んだ時、私は全然関係のないようなある事が気になっていました。
「食事をする。と書いてあるけど、この食事を用意するのは僕かな?イエス様かな?」(笑)と思ったのです。でもその日、僕が友人の部屋の前にパンケーキを持って行ったことで「彼(イエス)は私のために食事をもってきてくれているんだ」と確信しました(笑)。
私たちもお友達や親戚の家に行くときには、手土産を持っていくことがありますよね。イエスも同じように、私たち一人一人に、最高の食事や私が大好きな物、またそのときちょうど食べたかったものを持ってきてくれるでしょう。神さまは、私たちの必要、なにが大好きかをご存じなお方です。
そして次に、「戸の外に立ってたたいている。」とあります。これは、『イエスは私を待っておられる』ということです。私は親友イエスをどれほど待たせていたでしょうか。と思わされます。
私は後輩の子と一緒に勉強するために、週に何回かその後輩の家に行っています。しかし約束している時間通りに着いても、ピンポンを押してからなかなかインターホンの返事が来ず、また近いはずですが返事が来てからドアを開けてくれるまでもいつも長いように感じます(笑)。さらに自分が勉強を「教えてあげている」という高慢さがでてきて、それをより一層掻き立てることもあります。
でも、イエス様はちがいますよね。いつまででも笑顔で待ってくれています。
もちろんなかなか開けてくれなければさみしいと思いますが、それでも「早く会いたい」とその愛によって忍耐しておられます。こちらが開けるまで、神さまは静かに待っていてくださるのです。この静かな愛にも、私たちは敏感でなければなりません。神さまは私たちの心の扉の前に立ち、ノックをし、イエスさまお手製の温かいパンケーキを持って私が戸を開けるのを待っておられるのだと気が付きました。
まとめ
「イエスは私を愛している」
私は人の目が気になって、イエスの友だと言うことを恥じらい、彼を隠し、人に示さず、信頼せず、つごうの良いときにだけ引っ張ってくることがあるような者です。
ですがイエスは私を離れず、ともにいてくださり、いつも待ってくださり、彼に聞くとき私の思いを探り、まっすぐな道を示し、アイデンティティを回復させ、自信を与え、慰めと力強い励ましを与えてくださるのです。そして私たちのことを親しい友だと言ってくださっています。
イエスが先に私たちを友と呼んでくださっているのですから、私たちも、彼を友として心を開き、彼の言葉に耳を傾け、彼のその言葉を信頼してみませんか。
この方の姿と愛とともに過ごす中で、受け取る中で、
彼の愛が私たちのものとなり、人の正しい模範である彼の姿に私たちも似せられていくのです。
まずは、「イエスが私を愛している」ということを
がっつり受け取っていきましょう。(ヨハネによる福音書15章3-17節はおすすめです📖✞=♡✨)↓↓
ともにいるイエスさまと神さまの愛で益々満たされますように°˖✧◝(^▽^)◜✧˖°
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?