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どうしようもなく綺麗な人

私がこれまで出会った人のうち、衝撃的すぎて忘れられない、形容しようのない程の美しさを持った、綺麗な女性が2人います。

たくさんの魅力的な男性、女性に出会ってくることのできたこれまでですが、「今まで出会った人の中で一番美しかった人は誰?」と聞かれたら、必ず答えている女性が2人。

1人は、幼少期の頃からLAでお茶を教えてくれていた、私の2人目の茶道の師範の女性。毎週毎週会うたびに、なんでこんなに綺麗なんだろうこの人。と不思議で仕方なかったのを今でも本当によく覚えています。
もう1人は、なんと1度しかお会いしたことのない尼僧の女性。忘れもしない、20歳の頃通っていたヨガスタジオで、偶然隣になっただけの、上下を淡い色の麻の衣で纏った、強烈に美し過ぎて忘れることのできない女性。

恐らく、造形で言えば、2人とも特段目立つような目鼻立ちでは全然ありません。いわゆる"普通"というのでしょうか。ボディスタイルも、モデルのような体型をしているわけでも、特に目を引くような風貌でもなく。

それなのに、強烈に、感性に直接響きかけてくるような、本当に、本当に、本当に、美しい人。
その人が部屋に入ってくると、空気や温度感まで変わるような。
みんなの視線だけでなく、感性や心も丸ごと全て、魅了してしまってやまないような。そんな、圧倒的な美しさ。
「綺麗・・・。」と、思わず口から言葉が溢れてしまう。
人を感動させる美しさ、そのものなのです。



私の通った中高では、華やかな学校だったのもあり、学生をしながら芸能活動やモデル業をしている友人だらけの環境で育ちました。
有名なアーティストになった友達や、トップモデルになった友達、俳優になった子も多くて。
また、大学は日本の東京のに通いましたが、学校も学部も華やかな人がとても多く、不思議ではありますが、今でも仲良しの友達にはやはり、芸能関係やモデルの子がとても多いです。
そして何故か、社会人になってからも、同僚で仲良くなった女性は目立つ人が多くて。

そんな造形が華やかな友人に囲まれて育ったからか、あるいは、10代から瞑想のヨーガやインド哲学、お茶と禅に浸って育ったからなのか(変わった少女でしたˆˆ;)、昔から、世間一般的に言う「美人」や「綺麗」にあまり興味がありません。

誰1人として同じ見た目をしていない世の中で、そして、誰1人として同じ人生のjourneyを歩んでいない世界で、何か共通の「基準」を設定すること、それでさらに外見をジャッジすること。これらがナンセンスに思えて、ただ不思議だったからです。

"You are SO MUCH MORE than your body."(君はその見た目以上の、もっともっと価値のある存在なんだ)
・・・1人めの瞑想のグルジ(恩師)が一番初めに教えてくれたこと。
瞑想やヨーガのjourneyの中で、この言葉の意味を体感し出し、いかに見た目を比べたり、ジャッジすることがナンセンスかを感じてからは、誰かどれくらい外見が素晴らしい等、本当に興味がなくなりました。

そんな私に、「綺麗な人・・・。」と思わせては、もう何年も心を奪い続けている、その美しい2人の女性。

1人目のお茶の師範の女性、私が大学生になって日本の東京に引っ越したり、仕事でアメリカの東海岸やアジア、結婚して以降はイギリスへ移ったことで、もう何年もお会いする機会に恵まれませんでした。
がしかし、最近バンクーバーに引っ越してきたことでLAが近くなり、嬉しいことに先生のお茶会に呼んで頂けまして、先日十数年ぶりにお会いしたのです。

私の中の、綺麗な人トップ2に入っている彼女。
その美しさは覚えていたはずでした。
しかし。
久しぶりにお会いした彼女の美しさには、全身丸ごと、見事に圧倒されてしまったのです。

人の悪口を一切言わない、聞かない人。
「私、そう言う話、苦手なの、聞くのも苦手なのよ。ごめんなさいね。」とスパッとその場で言い切って潔く去る、竹を割ったような清々しい人。
愚痴や不平・不満とは、鮮やかに自分との間に線を引いて切り上げ、人の愚痴や噂話もすっぱり切り捨てる。

なのに、一緒にいて癒されるのはどうしてなんだろう。
分かりやすい優しさや癒しがあるわけでは決してないのに。
別にいつもニコニコしてるわけでもなく。声が甘いとか優しいとか、そんな表面的なのでもなく。
あぁ、本当に綺麗な人って、癒されるんだった。そう人に思わせる人。


なんて格好いいんだろう。

オープンハートで、いつでも人をウェルカムしつつも、絶妙にhealthyな(健全な)距離感を保っていて。
自分の中の、一時的でしかない様々な感情や思考、愚痴・不満を、誰かと一緒にいるこの場所に持ち出さないようにと、相手と共有してるのスペースや時間への最大限のリスペクト(敬意)を払っているかのような。

自分のマインドやメンタルの手綱をきちんとひいていられている人だけが放つ、清潔感、清涼感。
自分からは、純度の高いものしか持ち出さないようしている、精神力というか、もはや覚悟の塊のような、鍛錬の結晶のような、逞しい美しさ。

これが簡単でないことを、私たち人はよく知っているからこそ。
彼女のような美しさに触れた時、どうしても感動してしまうんだろうと思う。

もちろん、彼女がこんなにも、どうしようもなく綺麗な理由は他にもあるのだけれど。
でも、一言でいうならば、She's the living example of mindfulness - 
自分自身の心の手綱をしっかりと引く、覚悟を決めていること。それを毎日毎日practiceし続けるんだと、自分と決め続けてきていること。それなのにちゃんと自分自身にも人にも、サラサラな愛溢れる優しさを向けていること。そして内側から滲み出る、底知れない自分自身の穏やかさを、その場その時その相手に、いつだって惜しむことのなく差し出すから。

お顔にはシミだってあって、お会いしていなかった間の期間、ちゃんと先生も歳を重ねたことが伝わる。なのに。
昔よりも更に増して、こんなにも美しいのは、その覚悟や鍛錬をきっと、よりpracticeしてきたから。

どうしても感動してしまう、最強に綺麗な彼女。

沼にはドロドロしたものも、人間だもの、たくさんあるのでしょう。先生だって人間なんだってことも、よく知ってはいる。
それでも、というかだからこそ、美しさを感じずにはいられないのかもしれません。

老若男女、あらゆる職業から見た目の人から、「先生ってなんであんなに綺麗なんだろうね?」と、やっぱり言われていたのをそのお茶会で耳にして。
あぁ、みんなやっぱり同じように感じるんだなぁと思った日でした。

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