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星の綺麗な町に移住しました

私はつい先日、田舎に移住した。
一番近くのコンビニは車でしか行けない距離にあって、近くのスーパーは夜8時に閉まる。乳飲料の定期宅配販売を始めたお店の店員さんがいらした時、いただいたサンプルには「骨密度」「物忘れ」「グルコサミン」といった文字が並ぶ。
仕事の関係で都心部を離れたことはあったけれど、自分の選択で田舎に住みたいと思ったこと、そしてそれを実行したことは初めて。
これからどうする?
未知のものを選択することは、自分にとって不安でしかなかったのに、どうしてここまで思い切れたんだろう。たまに自分でも不思議に思う。

ここに引っ越すことになったのは配偶者である夫の仕事の都合。
でもこれは一つの結果に過ぎなくて、本当のきっかけはもっと前に訪れていたと自覚している。

星の綺麗な場所に住みたい

私は新卒で入社した会社で10年近く働いていた。
親の望む道ではなくて、やっと自分で見つけた会社だったから、入社できたことがとても嬉しかった。
入社してからは思い通りにならないことだらけだったけど、自分の選んだ道を正解にすべく必死だった。
そしていつの間にか生きるために仕事をしているんだか、仕事をするために生きているんだか、よくわからなくなっていた。
頑張ることは嫌いではなかったし、今考えてもそれは遅れてきた青春みたいで、なんだか楽しかった。
でも、仕事の内容が好きだったのではなくて、人間関係が好きだったわけではない。ただ、頑張っていることで何とかなっていた。それだけだった。

そんな時、夫に出会った。
夫は、星の綺麗な町に住んでいた。
会いにきてくれるのも嬉しかったけど、会いに行くのも大好きだった。
冬は特に、好きだった。
頬の皮膚が切れそうなほど空気が冷たくて、見上げると、空には星の海が広がっていた。月が出ていても、星が目に焼き付いた。
普段、夜になるのは寂しい。だから夕方はあまり好きではなったけれど、この町の夕方は好きだった。
夕方のドライブは助手席が好きだった。毎回ずっと夕日を見ていた。
夕日が沈んでも、夜が来て、星がまた煌めく空になる。
この町が好きだった。
星が綺麗な町に住んでみたい。そう思った。

夫に出会ってしばらくして、本社へ異動となった。いわゆる「ご栄転」。
うれしかった。報われたと思った。
本社では更に必死に働く日が続いた。人前に出ると、顔が痙攣して喋ることができなくなった。人の目が怖かった。仕事ができないと思われていると思った。職場でも1人になれる場所を探した。でも家で1人になるのが怖くて、外食が続いた。夜中にラーメンを食べたり、お酒もたくさん飲んだ。そんな日が続いても、太らなくなった。むしろ痩せた。それに気付かず痩身エステに行ってみたら、貧血で倒れた。
身体がおかしくなってきていた。

夫と出会ってしばらく経っていた。
「この町に来て欲しい。」
その言葉が嬉しかった。
星の綺麗な、大好きな町。
でも、異動したばかりの部署で、仕事を辞める勇気がでなかった。
ただ、今その仕事を諦めることができなかった。
私たちは、空の濁った街に引っ越すことになった。

一つの大きなプロジェクトが終わって、また大きなプロジェクトが始まって、見えない終わりに向けて走っていたら、ある日大きく躓いた。
そうしたら突然、頑張れなくなった。
今まで乗って走っていた原付バイク。気付いた時燃料は尽きていて、エンジンをかけようにも、どうにもかからない。何度も何度も、かけようと頑張るのに。かからない。
必死にその原付を引いて歩いてみたけれど、その重さは想像以上だった。
もう無理。頑張れない。
そう思ったら、心もぷっつり切れた。

星を見たい。
でも、もうあの町には帰れない。

新しい町との出会い

仕事の息抜きに始めた陶芸という趣味が、心の拠り所となっていた。
体を使って土を練って、成形して、削って、磨いて、仕上げをする。
ずっと自分で作り上げていく。
思い通りにならないことが多いから、好きなものを作れた時の喜びは大きかった。
これは夫婦の趣味でもあったので、どこか旅行に行くと、何かしらものづくりの体験教室に行き、その場その場で作りたいものを作った。
旅行のついでに作りに行くこともあれば、旅行の目的として行くこともあった。

陶芸体験をする目的で、この町に来た。
他にどんなものがあるのか、あまり調べずに来た。
陶芸体験はとても楽しくて、そのお店の人たちの優しさ、寛容さに心はとっても温かくなった。
日差しがまろやかで、空気は綺麗で温かくてほっとした。緑の湿ったいい匂いがした。外を歩いていても、人が少なくてとっても静かだった。
でも、自然が生きている音がして、寂しくなかった。
ここにいたい。ずっと、ここにいたいと思った。
「ここだったら、住みたいね」
思わず言ってしまった。
飽きられると思ったけれど、夫は意外そうにちょっと笑って
「いいよね」
と言った。

あの町にずっと住んでいたかった夫。
濁った都会に連れてきてしまった。
強い罪悪感と、大きな後悔があった。
あの時、私たちは別の道を歩いていた方がいいのだと思っていた。
もしここに来られたら。

帰り道、もう日が傾いていた。
家路を急ぐ車中から、ずっと町を見ていた。
黒く陰になった木と木の間から、空を濃い橙色に染める紅い夕日がちらちらと顔をだす。
見たことがある景色だった。あの町の夕日に似ていた。
もちろん違う夕日だし、違う町。
でも、ここが好き。
ここなら大丈夫だ。そう思った。

そして、今

あれから少しして、この町に移住した。
私はその後転職して別の仕事をしていたら、また偶然と偶然が重なって、本当にこの町に移住することになった。
コマを一つ一つ進めてみたら、思ってよらないことが起こるものだ。
「人生何が起こる変わらない」「人生は小説より奇なり」
本当にそうだった。
これがゴールではない。これからどうなるかはまだわからない。
でも、私はあの時の直感を信じてる。
どうしても、これが間違った選択だとは思えない。

移住前、改めてこの町に来た。
そこでまた夕日を見ながら、夫に言った。
「ここの夕日、あの町の夕日に似てるって思ってたんだよね」
すると夫は少し驚きながら言った。
「僕もそう思ってた」

この町に移住して初めて、この町の夜空を見た。
やっぱり。
星が、とっても綺麗。


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