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バイリンガル ≠ バイカルチュラル 移住後の教育の盲点

帰国子女経由、なんちゃってバイリンガルのLiMe1です。
バイリンガル環境に自分も家族もいるので、バイリンガル教育について聞かれる機会が増えてきました。
今日はこれからバイリンガルを目指す人、またはバイリンガルの子供を育てようとしている人には個人的な経験上、とっても大事だと思う話になります。ただし、全くの私見ですので、異論反論もあるかと思います。

この記事の結論

ダブルリミテッドを避けるにはコアとなる言語を決める

バイカルチュラルを意識してアイデンティティクライシスを乗り越える

ハーフやクオーターで、外国語ができてカワイイ・カッコいいとそれだけで目を引く(stand out)ものですし、うらやましくも思いますが、そこには特有の苦労もあるものです。

また、英語の発音がよく、英語に苦労していない友人がいたりすると、自分の子どもには英語で苦労して欲しくない、という親心から、バイリンガル教育を目指す人もたくさんいます。

自分と同じように帰国子女でバイリンガルの恩恵を受けたことがあり、それを自分の子どもにも受けて欲しい、というパターンもあるでしょう。

私は日本生まれ日本育ちですが、幼少期に数年間、海外で生活していました。現在はアメリカに住んでいて、トータルでは人生の20%くらいは海外、主に英語圏で過ごしております。

つまり、根は日本人です。

英語ができてうらやましいと言われますが、自分ではそんなにできないと思っています。
もっとも、「できる」かどうかの定義は人によって違いますから、英語で仕事ができるのは、確かにできる部類でしょう。しかし、以前の記事にも書きましたが、

英語で仕事ができても、ジョークはわからない。

という、痛ましい部分もあり、自分的にはまだまだ、と感じてしまうのです。

以前、バイリンガルの台湾人に相談したところ、彼のバイリンガルの定義は「両方の言語で大学卒業できるくらいまで昇華する」ことだと言っていました。これは相談する相手を間違えたかな、というくらい敷居が高い。でも、台湾人がアメリカで成功している状況を考えると、あながち嘘ではないのかも。

そんないろいろな考えもあり、でも結局のところ、自分の子どもには英語で苦労して欲しくない、という気持ちが基本的にあります。
また、自分が大学受験までは英語で苦労することが少なかったこともあり、その恩恵を受け継ぎたい、という気持ちもありました。

海外移住を決めた背景にはそういった自分の願望も大いに含まれていたので、子どもが小さいうちに移住できるタイミングを見計らってキャリアを構築しました。

しかし、実際に移住してみて落とし穴があったのです。

今日はその経験と、その時に専門家に聞いたアドバイスをまとめてみたいと思います。

ダブルリミテッドを避けるにはコアとなる言語を決める

ダブルリミテッドをご存知ですか?私は実は子どもにバイリンガル教育を始めるまで知りませんでした。定義はさまざまだと思いますが、

二か国語を使えるが、どちらも年齢相応のレベルに達しておらず、中途半端な状態。

ここではバイリンガル教育を始めたときに実際に会ってお世話になった船津徹先生の記事を一部抜粋して紹介しましょう。

バイリンガル子育ての大原則!それは「両親が言葉の先生である」です。

これは海外子育て中の両親の多くが見逃していることなので声を大にして言います。

両親が言葉を育てる先生です!

海外では両親が日本語を育ててあげなければ、子どもの言葉の発達は必ず遅れます。
日本に住んでいれば、子どもが生まれた時に「よーし!がんばって日本語を育てるぞ!」とは思わないでしょう。
日本で子育てをしている気分で「放っておいても日本語は育つだろう」という意識のまま子どもに接していると、子どもの言語発達は遅れていきます。

海外在住の両親は頭のスイッチを切り替えて「自分が言葉を育てる先生なのだ!」という強い決意を持たなければなりません。
英語圏で育つ子どもは自然とバイリンガルになると思っている方が多いのですが、バイリンガル育児はそんなに簡単ではありません。
そもそも英語がマジョリティー言語であるアメリカで、子どもの日本語を育てることが大変なのですから。

子どもが言葉を吸収する乳幼児期に言語的働きかけが不足すると、軸となる言葉(日本語)が十分に育たず、学齢期になって学習活動に支障をきたすことがあります。

セミリンガル」または「ダブルリミテッド」と呼ばれるこの現象は、言語形成期の子どもが、母語習得が不十分なまま強い外国語環境に置かれることによって起こります。このような子どもたちは日本語も英語も中途半端で、どんなに努力しても学力が身につかないのです。

バイリンガルがもてはやされる日本では信じられないかもしれません。
でもアメリカの移民が多い地域では、つい一昔前まで、バイリンガルといえば「学力不振児」「学習障害児」「ドロップアウト」の代表格と思われていたのです。

これ移民の国アメリカだけの問題ではありません。グローバル化の進行によって日本でも「セミリンガル・ダブルリミテッド問題」が身近になってきています。
          (船津徹の世界標準の子育て 2015年12月2日より引用)

そうです、これは大変なことなのです。

私は自分の経験だけで判断し、子どもの英語は海外にいれば勝手に身につくと思っていたのです。
当時を振り返ると、船津先生のお話では、まずはコアとなる言語をしっかりと育てること。「コアとなる言語を何にするのか」は、もちろん両親のビジョンによります。日本人・外国人両親の場合はよく話し合って決める必要があります。一般的には、母語はお母さんから乳児期・幼児期に学ぶことが多いですので、コアも母語と統一するパターンが多いと思いますが、子どもが将来日本で生活するのか、海外に残り続けるのかで変わりますので、悩ましいところです。

私の場合、子どもが渡米した時点で日本語がまだ完璧ではなかったので、子どもに最初に教えたのは日本語でした。そうです、アメリカに来たのに家で日本語しか話さないのはもちろん、サザエさんやドラえもんを見せたり、日本語の本を読ませたり、日本語教室に通わせたりしました。もちろん、日中の数時間は現地のプリスクールにいれていましたが、特に英語を教えることはありませんでした。

私が幼少期に英語漬けになってすんなり学べたのは、すでに学童期であり、ひらがなも漢字も書ける状態であることが大きかったと実感し宝です。子どもに同じ感覚で英語をインストールしていたら、英語も日本語も中途半端になっていた可能性は十分にあったでしょう。

あれから何年もたち子どもは学童期ですが、案の定、漢字の習得に苦戦しています。日本語に触れる機会が圧倒的に少ないので、家では日本語しか教えず、英語は学校にお願いしています。さいわい、今のところ英語で現地のアメリカ人に遅れを取ることはない状況です。日本語は、毎年数ヶ月、日本に帰国した際に日本の小学校に入れてキャッチアップさせています。これは、特にハワイではよく見られるパターンです。

わが家の場合、アメリカに残り続けるのか、日本に戻るのか、はまだはっきりと決めていませんので、自分のキャリアだけでなく、子どもの将来も見据えてどの程度日本語を維持していくのかを決めなければなりません。まだ悩みは尽きなそうです。

バイカルチュラルを意識してアイデンティティクライシスを乗り越える

さて、これで子どものバイリンガル教育が軌道に乗ったのかというと、実はそうでもありません。どうやら、その先があるらしいのです。それがバイカルチュラルとか、英語では厳密にはbiculturalism と呼ばれる要素です。

日本だろうが海外だろうが、思春期に入ると少なからずアイデンティティについて考えるものです。

思春期には勉強も難しくなってきます。日本なら中学・高校の受験勉強。アメリカではスポーツと学業の両立、そして大量の読書やレポート・エッセイなどの答えのない宿題が出るようになるのもこの頃からです。その是非はここでは置いておきましょう。

思春期は多感ですので、自分のコアが何なのかを考えることが多くなります。これは海外にいる日本人は強く感じることでしょう。

日本語を捨て、完全にその国の文化に染まっている場合で、その国の言語が十分に発達している場合は、その国の人間である、というアイデンティティになります。

問題は
バイリンガルで頑張り、コアが日本語の場合

ダブルリミテッドの場合
です。

ダブルリミテッドを回避して、英語が同学年の現地の子どもと同程度まで発達している状況であっても、周りの友達はアメリカ人でアメリカの家庭でアメリカの文化で育っています。もちろん、移民の国アメリカですので、アメリカの文化といっても画一的な何かがあるわけではなく、すでにいろいろミックスされたものではありますが。

両親が日本人、コアが日本語、日本語がそれなりに話せるが英語の方が強く、普段は学校で英語に触れ、文化的には日本語も英語もそれなりに理解できる。
このパターンの場合、子どもは自分にとってラクな方を選びますので、おそらく文化的にはアメリカ人に近くなります。特に、アメリカに長く残れば残るほどです。そのままアメリカで生活する可能性も高くなっていきます。そうすると、両親と文化的ギャップが生じるようになります。これは、後々苦労のタネとなります。また、このパターンで日本に一時帰国して、日本の学校に体験入学する場合。公立なら中学校までは義務教育なので、体験入学が可能なのですが、ご察しの通り、おそらく日本の学校ではアメリカ人、外人扱いされるでしょう。そこでアイデンティティクライシスが起こり、自分はなに人なのか悩むのです。日本人として育てられてきたけど、日本では日本人として見られない、そういった体験になってしまうと、それがトラウマとなってしまいます。

以前、日系移民の患者さんを診たときのことです。
その患者さんは日系二世の移民で日本語を話せます。
というよりも、お父さんお母さんが日系一世の移民、つまり日本から来た日本人だったため、その患者さんはむしろ英語よりも日本語の方が強く、日本語で診察すると非常に喜んでいろいろな話をしてくれるのでした。ご両親が一世だったこと、戦争中の苦労、二世で英語を勉強してもなかなかできるようにならず苦労したお話などなど。語られぬ日本の歴史、アメリカからみた日本の歴史、日本人とは何なのか、とても考えさせられるお話をたくさんしてくれました。

ほどなく患者さんは元気になり、そろそろ退院、というタイミングで、メインランド(アメリカ本土)に住んでいる娘さんが飛行機でお見舞いにやって来ました。

ちょうどその患者さんを回診中に娘さんがいらしたので、病状と退院の見通し、退院後のフォローアップをどのドクターに診てもらうか、在宅リハビリをどうするか、などなどを患者さんに説明して、何か質問があるか聞くと、娘さんがすかさず
「もう一度英語で説明してくれませんか?」
と聞いてきました。
なんでも、患者さんは日本語の方が理解できるけど、完全にアメリカの文化の中で育ち、また戦後の日本バッシングの中で生き抜くために患者さんは自分の娘さんに日本語を教えなかったとのこと。そして患者さんが言ったのが
「この子が日本語がわからないのは時代のせいかもしれないですが、一番の心残りは日本の文化もほとんど受け継いでないことです。だから、この子のおばあちゃんの苦労とか、日本から来た移民の歴史とか、あまり知らないんです。学校で習う、表面上のことしか知らないんですよ。今回は病気から回復しているからいいけど、今後のことを考えると、自分のことを本当に理解してもらえているのかわからない。自分を理解してもらえないのは年を取ると辛いんです。」

そうです、実は子どものアイデンティティも危機ですが、親も、子どもが自分と違う文化で育つと、歳を重ねるにつれ孤独感が強くなる傾向があります。

さて、ダブルリミテッドの場合はどうでしょうか?
ダブルリミテッドはかなり辛い状況と言われています。

普段の学校でも、日本に帰国しても、なに人なのかわからない。
どっちの学校でも、何を言っているのかわからない、何を言えばいいのかわからない。どっちの学校でも、落ちこぼれ扱いを受ける。

こうなると、かなり深刻なアイデンティティクライシスを引き起こします。
文化的にも、どちらを取るべきなのかわからず、どっちつかずになり、孤独になってしまうのです。

多文化環境では言語以上に維持が難しく、両立は非常に苦労しますし、完全に両方を維持することはできないでしょう。
文化とはそもそもそうやって融合されて継承されていくものだから、ある意味当然と言えます。しかし、文化を継承する努力をしないと、将来的に家族という単位で考えた場合、文化ギャップでお互いに言いたいことが言えない、分かり合えないと言った問題が起こります。

個人的な結論的まとめ

個人的な考えをまとめます。

バイリンガル(あるいはそれ以上のポリグロット)を目指す場合、コアの言語を最初に伸ばす方が(特に幼少期、言語的golden ageの10歳以前の場合)、第二言語の習得が早い場合が多い。※あくまで両親が日本人の場合
多文化環境でも、やはりコアとなる文化を常に意識する。子どもは最終的に自分の好きな文化を選んで継承していくが、コアとなる文化が残らないと、家族間での文化ギャップ、思春期のアイデンティティクライシスの原因となる。


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