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手仕事をデザインすることについて

liloの古谷です。
陶器屋の3代目として生まれ、陶器を中心に手仕事の現場を見て育ちました。
そんな私が感じる手仕事をデザインすることはどういうことなのか、書き連ねたいと思います。

手仕事の始まり。

日本の手仕事とよく言われますが、”手仕事”とは一体どんなものなのか、ルーツを探ってみたいと思います。
江戸時代の身分制度、士農工商の工にあたる職人たちが自分たちの地域の特性を生かして道具を作り上げていました。

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引用 : http://www.edojidai.info/mibunnseido.html


そのスタートは、資本を得る目的ではありません。自分たちのコミュニティに向け、生活の道具を作り始めたのが始まりだとされています。
陶器を例にとってみると、陶器のルーツ、土器を作っていたのは、主にそのコミュニティの女性たちでした。男性が採集に向かっている間、火を守りながら粘土を捏ねて器状にし、土器を作っていました。余談ですが、このときの土器は使い終わると水で溶かし再び粘土にして使われたそうです。陶器はサステナブルな素材だったんですね。
そこから、朝鮮から使節団が日本へ渡り、焼き物の技術が格段に進歩しました。信楽のゴツゴツした陶器や有田のスキッと綺麗な器など、より地域ごとの特色が強まっていったのでした。

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引用 : https://blog.goo.ne.jp/otsumitsu/e/3a9a8bc876866030e7916a1dc4e89413古信楽の壺です、火の力強さと優しさを感じます。

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引用: https://wa-gokoro.jp/traditional-crafts/Ceramic/aritayaki/.                           古有田の絵付けの鉢です。人の手の素晴らしさを感じますね。美しいです。

そして、ものの評価が通貨を通して行われる時代に突入し、ビジネスが始まりました。ものを作る人は作り、それを仕入れて売る人が生まれました。
そうなると、今まではその地域で区切られたコミュニティのために作っていたものが、コミュニティ外の人にその道具が渡るようになります。
地域で区切られた群れ的なコミュニティから、名前も顔も知らない人と資本社会という区切りで同じコミュニティに属することになったのです。

ここで、手仕事のルーツをみてみると、初めは同じコミュニティーの人たちへ物々交換のような資本を介さない形で渡っていたものが、通貨で評価される形に変わっていったのがわかります。

手仕事のルーツは、売るために作っていない自分たちの生活の道具だったということではないでしょうか。

今よりもっとリアルなものだったんだなと想像できます。

デザインの始まり。

19世紀半ばに産業革命が起き、職人の手仕事は急速に失われ、安価に大量生産できる機械がものづくりのメインとなりつつありました。

当時の機械は安価ですが、品質が悪いものでした。その中で、イギリス人の芸術家でありデザイナー、ウィリアムモリスが”アーツ・アンド・クラフツ運動”を提唱します。これは、失われていく手仕事の美しさを再評価し、生活と芸術を一致させようとした運動です。
普段使っている道具たちに芸術性を見出し、職人の芸術性を感じる中世のような生活に回帰していこうというものです。

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引用 : https://www.fiq-online.com/newsDetail.php?id=isTAX0Ha7rdNYsrE8W6SP02T                                                                             ウィリアム・モリスの手がけた"いちご泥棒"のデザインです。非常に高度なプリント技術が用いられ、人の手でしか作れないものでした。

どこかで聞き覚えがある言葉たちですね。
その本質的な部分には少し異議を唱えてはいるのですが、日本各地に散らばる手仕事に”用の美”を見出し、それらを保存しようとした民藝運動の柳宗悦も、この運動に影響を受けていたのです。

このアーツ・アンド・クラフツ運動を境に、ものづくりに芸術的感性を持つというデザインの考え方が生まれました。

デザインのルーツは、機械化によって失われた職人たちの技術の美しさを、もう一度生活の中に取り戻そうという動きだったと言えます。

手仕事をデザインすること。

二つのルーツを見てきました。
手仕事の美しさを取り戻そうというデザインの側面が見えてきました、非常に面白いですね。

現代における手仕事は、機械製の工業製品の品質が向上し、それにより生活スタイルがガラッと変わった今、より芸術性を評価される工芸品的な立ち位置にいるのではないかと思います。
研究分野などでは、まだまだ職人の手仕事でしか作れないものが多数存在しますが、大抵のものは安価な機械製のものが主流となっている現状があり、機械製のものにも芸術的感性を持つというデザインの考え方が浸透しています。

手仕事を守るために生まれてきたデザインの感覚が、幅を広げ機械製品にも及んでいるという現状が見えてきました。もちろん、これは全く悪いことではなく、素晴らしいことだと私は考えています。

そんな中、今工芸品的な価値を持つ手仕事にデザインはどのようなアプローチができるのでしょうか。

私は、陶器屋の3代目として生まれ、子供の頃によく作り手である窯元さんのところへ連れて行ってもらっていました。陶磁器のデザインをしていた両親と作り手との会話は非常に盛り上がっていて楽しそうだなあと子供ながらに思っていました。
そして、自分がその立場に立った時、この素晴らしい技術をどのような形にして世の中に溶け込ませようかなと考えている自分に気づきました。
そのひとつの答えとして、芸術性を全面に押し出し、希少で高価なものというブランディングではなく、毎日何気なく使っているけれど、ふとした瞬間に美しいなと感じてもらえるようなものを作ることだということに行き着きました。

工芸品的、芸術品的に扱われている今の手仕事の品々をもう少しだけ機械製品が担っている分野である日常の道具に引き戻すようなことが、デザインの役割なのかなと私は感じています。

そうすることで、より世の中に溶け込み、人の手で作られたどこか温もりを感じるようなあの安心感や使っていてほっとするような感覚をもっとたくさんの人に感じてもらえるのではないかと思います。
そのピースな感じを共有し、身の回りの道具達の美しさに目が向き、良いものを選び長く使うような世の中になれば、今抱えている環境などの問題は解決できるのではないかというアプローチにも向かうことができます。

手仕事をデザインする立場として、愚直に表現し続けることだ大事だなと感じました。

私がデザインを担当しているliloダッチオーブンは、そんな日本の手仕事から生まれています。よかったら、下記のリンクから覗いてみてください。

https://li-lo.jp/

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