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私が自然に心を惹かれる理由

liloデザイナー 古谷阿土です。
自然を愛してやまない私が、なぜ自然に心を惹かれるのか。そして、自然を良さを最大限に感じることができる私なりのキャンプの本質的な楽しみ方について書いていきたいと思います。

私が考える自然の定義

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私の好きな人の一人に養老孟司先生がいます。彼が定義する自然が私の中の自然観を一番体現してくれているので、その言葉とともに自然という言葉について考えます。彼は自然というものを”人が意識的に作り上げていないもの”と定義しています。

例えば、朝起きて仕事に車か電車で向かい、建物の中で仕事をする。そして、スーパーや薬局なんかに寄ってから同じように家へ帰っていく。そんな生活が現代人のスタンダードな生活だと思いますが、その中で、人が意識的に作っていないものに触れることはほとんどないと言えます。通勤には人の作った乗り物を使い、人の作った建物の中へ、人が作ったものを買い、人の作った家へ帰る。人間を動物と捉えた時、これこそが人間が子孫を繁栄させる最善手で極めて正しい行動だと感じます。

しかし、それは触れるもの全てに人間の意思や目的が内在しているとも言い得ます。その捉え方で街を見回してみると、目からも耳からも、時には鼻からも自分のいらない情報まで、強制的に自分の中に入って来ていることに気づきます。大きな音を流して走るアドトラックなんかはまさにそうですよね。


自然の中で、人と人との本質的な関わり合いを感じる

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そんな街中を抜け、川や森の中に一旦入ると、そこには人間が意識的に作ったものがひとつも存在していません。目の前にある木々や岩、川など全てに人間の意思や目的が内在していないのです。

普段人と人との関わり合いの中で生きている私たちは、そんな状況に置かれると恐怖を感じます。今まではどこを見渡しても人間の意識を感じられたので、本能的に安心感を感じていたのでしょう。

私がよくキャンプをする場所は、かなり山奥なので、電波もなければ、夜になると焚き火以外は一切の明かりがない世界です。そんな中で感じることは、その場で一緒にキャンプを楽しんでいる皆との深い心のつながりです。ひとりひとりが薪の調達や料理、時には食料の調達など、他のメンバーへの奉仕性のもとコンテンツを担当し合います。簡単にいうと自分の得意な分野で人と助け合うということです。

その奉仕性を帯びたコンテンツは、極めてピュアな感謝と尊敬によって消化され、ひたすらに心地の良い時間が流れます。そんな空間で一緒に過ごしたメンバーとは心の深い部分で繋がることができ、その関係性は心に素晴らしいリラックスをもたらしてくれます。

私はここに人との関わりの本質的な楽しみがあるのではないかと感じています。

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そんな空間に浸りながら新しいものを生み出す楽しさ

先に述べたメンバー同士の心のつながりと同じくらい、私が自然に心を惹かれる理由がもうひとつあります。それは、視界に人間の意識的に作ったものが存在しない場所で、ものを生み出す楽しさです。

私は、芸術活動やプロダクトデザインやマーケティング戦略に至るまで、新しいものを生み出すという行為は、脳内の情報の海の中のできるだけ遠い部分をつなげる行為だと考えています。このあたりはまた後日noteでまとめようと思います。

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引用:https://www.amazon.co.jp/dp/B00AJF6XFC

例えばこの商品。イヤホンコードの絡まりを解消するため、コード部分がジップになっています。最近はbluetoothイヤホンがメインなので、懐かしい悩みになってしまいましたが、イヤホンコードとジップを掛け合わせて問題を解消するというアプローチです。いやあ、これは近そうでかなり遠い部分での掛け合わせだなと感じます。

自分の頭の中のできるだけ遠い部分を掛け合わせるためには、自分の思考をクリアにし、上手に思考の深い部分までアプローチする必要があります。そのためには、私はできるだけ人の意識が内在しているものを視界から遠ざけたいなと感じます。

自然の中で大きな石に腰掛けながらデザインの構想を練ったり、仲間と戦略の話をしたりする時間もまた、心から楽しいと思えるひとときです。

自然は無意識のデザインに溢れている。

現代人の作り出すデザインは、お金という対価で評価をされる必要があります。そのため、どこかに何らかの妥協や制約が生じています。

しかし、自然の中にある葉や果実は、そのデザインの評価がお金を介さないため妥協や制約が存在せず、とことん目的に対して忠実な形になります。
例えば、果物は他の生き物に食べられることで種子をできるだけ遠くに運ぶ目的があります。

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引用:http://www.forest-akita.jp/data/2017-jumoku/45-gamazumi/gamazumi.html

山によく生えているガマズミの実です。この実は小柄な鳥に食べられることに特化したデザインで、目に付くような赤い色、小さく丸いフォルム、実を食べやすいように実の周りには葉が出なかったりと、被食されることに対して非常に忠実なデザインになっています。このガマズミをもし人間が人間のためにデザインした場合、お金で評価される必要があるため、おそらく生えてくる個数が制限され個包装になり、勝手に食べられないように葉で実を隠してしまうのではないかと想像できます。

このような評価基準がお金ではないデザインに触れる機会は、自然の中でしか味わえないものです。お金で評価されないからこそ、用途に非常に忠実になれる。用の美のひとつの極地を感じます。

そして、デザインの目的が自然も人間も”生きる”ためだというところにも面白さを感じます。人間の意識的に作り出すデザインは、お金を介して評価され、それにより生活をすることができます。自然の中のデザインは、効率よく被食されたり、光合成をしたり、デザインが直接生死に関わってきています。

そのアプローチ方法は違えどデザインの大きな目的は同じと考えると、自然の中のデザインから学ぶことが非常に多くあります。

最後に

私がデザインを担当したliloは、そんな自然の中で感じることをliloという道具を介して感じていただきたいという思いが込められています。

皆がlilo料理を心待ちにし、感謝と尊敬を感じながら食事のひとときを楽しむ。ここには人と人との本質的な関わりが存在し、笑顔の絶えない素晴らしい食卓の風景が想像できます。じっくりと時間をかけてできるlilo料理をぜひ、お楽しみください。

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そして、liloやパッケージの桐箱の手触りから、土や木の質感を存分に感じていただきたいと思います。土や木の優しく温かい手触りをそのまま伝えることを重視してデザインし、そこへ自然の美しさを感じていただけたら、これ以上幸せなことはないなと私は思います。

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下のリンクから、ぜひもう少し詳しくliloについて知っていただけると嬉しいです、ぜひご覧ください。





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