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オープンチャット2日目記録(4/4)

オープンチャット2日目です。初日は理系と文系のふたりがそれぞれ、どうやって物事を定義づけているのか、という話をしました。

※ちなみに説明し忘れていたのですが、二人はまだ2回しか会ったことがありません。ので、探り探り、リモートでやりとりしております笑 話題はゆっくり進みますが、ご了承ください。

初日にシステムという話が出てきたので、村上春樹が、システムとは何かについて語っているスピーチを載せておきます。https://www.kakiokosi.com/share/culture/89

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2日目スタート

萩谷:昨日話してた愛の論文読んだんですが、
愛は原始的にはemotion(感情)じゃなくてmotivation system(動機・刺激)だって書いてありました。特別な関係を持っているつがいと親密な関係を築いたり維持したりしるための。

萩谷:あと、ハタネズミという種の動物では、つがいと一緒に行動していると、社会的行動・攻撃性・メンタルケアに関係しているアルギニンバソプレッシンという化学物質の量が増えるみたいです。

田村:motivation system……!!!!!

萩谷:systemって言葉がここででてくるとは、、、!って感じですね

田村:ホントですね……!むむむ、そしたら人間においてもmotivation systemによって何がしかの物質が出るってことですかね??よくネット記事とかで、『ハグするとエンドルフィン(脳内麻薬)が出る』みたいなのなかったでしたっけ

萩谷:人間では、この論文の限りだと、パートナーの存在によって、パソプレッシン受容体と関わりの深い脳の被殻と淡蒼球という部位が活性化させることがわかっているようです。

萩谷:生物学だと、いろんな機能の集合体をsystemっていうんですよね。
神経系はnervous system
循環器系はcirculatory system
みたいに。だから、motivation systemは、愛によって作動するあらゆる機能、みたいな意味で、アルギニンバソプレッシンという物質はその機能の中の一つみたいな感じです。

田村:その、『集合体』を"system"と呼ぶの、めちゃくちゃ面白いなって前々から思っていて、なんか英語と日本語を比べると明らかに英語の方が表現できる単語が少ないような気がしちゃうんですよね。

萩谷:免疫システムとか、コンピューターのシステムとか、色んなシステムがある中で、社会システムってなんだか強い響きしますね。私たちが捕らわれているもの的な。コンピューター詳しい人だと、違った「システム」の見方するのかな、、、

田村:どんなシステムにおいても、共通しているのは「本来人間が作り出したもの」なんですよね。免疫システムは少し違うか。

私、プログラミング興味あって、ヒントになりそうな気がしてるんですよ。おそらく、コンピューターにおける「システム」もほぼ変わらないかとは思いますが、プログラミングできる人とかだと「システム」は構築するものって感じしますよね。
実際、プログラミングできる人に話を聞くとプログラミング行為そのものは「翻訳する」感じみたいですが…

萩谷:僕は家庭教師の仕事もしていて、数学を教える時に、「問題文の日本語を数式っていう言語に『翻訳する』ように考えて」って言うんです。その話をプログラマーに言ったら、プログラムも一緒だって言われた事あります。

哲学者の佐々木中という人が書いた小説の中に、突然プログラミング言語が出てくるページがあるんですよね。その時に、システムは言語によって定義されて構築されていくのかな、なんて思いました。そういう意味では、免疫システムも、人間が既存の現象をひとまとまりのもとのして「名付け」たから、人間が作り出したものかもしれないですね

田村:なるほどなるほど、数学も翻訳、、、面白いですね……!システムは言語によって定義される、本当にその通りだと思います!

私の先輩でプログラミング言語を研究してる人は、よく「プログラミング言語は人間のためのものだ」って言うんです。パソコンにとっては0か1の信号のみで良いわけで、でもそれだとシステムを書く方の人間がわからないから、例えばHTMLなどHPで使うための言語は、英単語の"brank"(空間)を略して<br>と表記する、みたいな……

萩谷:「人間のために」って面白いですね。けど、確かにそうだ。AIを恐れる人たちは、その人間が人間のためにつくったはずのシステムに囚われている状態になることを恐れるんですかね。人間が人間のために法(≒社会システム)をつくるのに、人間がその社会システムに囚われてしまう、みたいな。

田村:例えば、プログラマーが最初に習うのが「hello world」という文字を表示させるってやつらしいのですが、正直「hello world」じゃなくてもいいですよね、でもそれはなぜか「hello world」が定石らしいという、、、それも結局は人間のためだと思うんですよねえ。

萩谷:「hello world」っていうのが、共通のルールになってるのって、電話出て「もしもし」って言うのと似てるなって思いました。必然性は無いけれど、ルールになってしまっている。

田村:ちょっとここいらで、無理矢理システムの話に愛の話をぶち込んで繋げたいと思います。

田村:「システム」の前では全ての人間は代替可能であるわけで、めちゃくちゃ極端な例で言えば究極の「システム」は軍隊だと思うんですけど、あれこそ人間は兵士となってくれれば誰でもいいですよね。非常に大きな枠組みとしての「システム」は人間を駒のような存在にしてしまうものだと思うんです、私は。

萩谷:代替可能だから、システム側からすると、個性の無い駒のように扱えてしまうってことですね?

田村:むしろ、「システム」の内側に私たちがいる限り、そのようであることを要求されているのではないかな。そこから、近代以降の私たちは「何者にもなれない」的なテーマが非常に多いなあと思うのです。

補足:田村は幾原邦彦の大ファンなので、『輪るピングドラム』の「きっと何者にもなれないお前たちに告げる」というセリフが話題になったことを踏まえています。こちらのブログが分かりやすいです。→http://amberfeb.hatenablog.com/entry/2014/04/25/200011

で、例えば「何者かになる」=代替不可能な人間になるために頑張ったりする人がいたりするわけですが、多くの人々は「何者かになる」なんて不可能に近いと思います。「何者かになる」をどう定義するかにもよるけど、、

じゃあどうやって「代替不可能」という「価値」を手に入れればいいかというと、私はそれがおそらく愛なんじゃないかなって。誰かにとっての「代替不可能」な存在になる、それが大事になってくると思うんですけど、つまりそれが「愛される」ことだと思うのです。

ただ、私が数年ごちゃごちゃとしているのは、「愛される」だけではダメなのでは…?????と思っていて、誰かにとって「代替不可能」な存在になったとしても、その誰かが同じように自分にとっても「代替不可能」な存在になることって、めちゃくちゃ稀じゃない……!?!?逆も然り!

萩谷:「愛される」ということが「代替不可能」になる、ということは、人を代替可能にしてしまうシステムからの脱却になりうる可能性を持っている。

それを、「愛によるシステムからの脱出」と呼ぶのだとしたら、言葉も見方によってはシステムの一つだから、愛は言葉で説明するのが難しい(あるいは、不可能)なんですかね。だからこそ、私たちはそれを捉えようとプラトンの時代からもがいているわけですが。

田村:めっっちゃたしかにですね、、愛を言語化するの不可能に近いかも、、、

萩谷:さっきの話から村上春樹の『ノルウェイの森』を想像しました。「死」というシステムから「愛」で抜け出そうとするけれど、相互に代替不可能になれずに終わる、みたいな…いや、違うな、相互に代替不可能な存在になろうとするけど、「死」というシステムがそれを潰しにかかる、みたいなほうが正しいか。

田村:これ、村上春樹のテーマだと思うんですよ、私、、、、、、、、!!!!
村上春樹の小説に出てくる登場人物たちって、とりあえず与えられた役割をこなそうと努力するんですよね、そこに自らの意思なんてあまり関係なく、こういう役割を演じろと言われたから演じる、みたいに。

それって、私たちの生活にも似たところがあると思うんです。例えば、飲食店で「この客めっちゃムカつくな」と思ってもそこで「ウエイトレス」という役割を演じなきゃいけないから笑顔で接する、みたいな。

だからこそ、たまたま「出会った」相手を、「代替不可能」な者として「愛そう」とする。でも、それって本当に「愛」なのか???とも思うんです。それってたまたまそこにいた相手だったからでは???と。

萩谷:だから、私たちは愛を言語化しようとしてるわけですよね!そうすると、このプロセス=オープンチャットのタイトルが「愛」そのものなのは、良いですね笑

村上春樹の小説は、まさにそうですね。ちょっとした非日常の出来事も、部屋の掃除も、パスタやサンドイッチつくることも、並列で描かれている。大冒険ではなくて。それが、全てが「役割をこなす」というシステムの一部になることなんですかね。

田村:村上春樹の登場人物については、まさにその通りだと思います。あれは元々春樹が英語で書いてそれを日本語に直してるからおしゃんな雰囲気が出てるんだと思いますが、あれは役割をこなす作業の一つであると思います。

萩谷:なるほど!!村上春樹の小説は、文体ですら役割をこなしているようになっている、ということですね!めっちゃ納得しました!!

田村:そういう面もあると思います!!おそらくですが、村上春樹自身は三島由紀夫を嫌いと言われてますが、めちゃくちゃ影響受けてると思っていて、日本語を愛した三島とは真逆の道を行っているというか…
英語から日本語に直す書き方を取ることでより日本語からの脱却も目指されているのだと思います。いまさらながらおそるべし……

萩谷:しかも、そのことを散りばめつつも一見感じさせないようにしているの凄いと思います。世界で評価される理由は、そういうところにもあるのかもしれないですね。

萩谷:吉本隆明(思想家・詩人)が『共同幻想論』という本で、人間が世界を考える時には三つの幻想<自己幻想・対幻想・共同幻想>が使われると主張したんですが、ざっくり言うと、

自己幻想は、自分は〇〇という人間である、というプロフィールイメージ
対幻想は、自分と相手は〇〇という関係である、という関係性のイメージ
共同幻想は、集団で共有する、宗教やイデオロギーのイメージのことです。

恋愛関係は「対幻想」に当たると思うのですが、吉本隆明について述べている本に、吉本はイデオロギーから脱却するために、「対幻想」という一対一の関係の大切さを述べたと書いてありました。

田村:なぜイデオロギーに囚われた状態から自立するには対幻想が大切なのでしょうか?結局はそれも幻想でしかないわけですよね…

萩谷:社会学者の宇野常寛氏によると、その考えは70年代の学生運動の時に影響力があったらしいんですが、学生運動に敗北した人々がそのイデオロギーから抜け出して日常を送るのには、夫婦親子的な、いわゆる日常の関係性にフォーカスを置くことが大事だったみたいです。

萩谷:それも、結局「幻想」になってるのが面白くて。だから、恋愛において、「自分は相手を好きだけど、相手は自分を好きなの?」ということを考えることがあるんでしょうね。

田村:イデオロギーというのはおそらく「大きな物語」などと言い換えることができるかと思います。確かにイデオロギーを失っても生きていくには個々人の関係性にフォーカスを当てるしかないですね。「対幻想」は幻想だとしても一対一の関係性を信じてみるしかないということなのでしょうか。

次回に続く…

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