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後悔するのは、あなたが弱いからじゃないよ

どうしたって後悔はする。だったら、「後悔しないように生きる」ことを諦めちゃえばいい。

過去のことでしっかり苦しんだっていい。「あの時ああしてれば」って後悔したっていい。自分の行動を思い返して死にたくなったっていいんだよ。

そう、存分に悔めばいい。

後悔してたって、自分を呪う必要もない。だって当たり前のことだから。「後悔ばっかしてないで前向けよ」って言うやつの口には、わさびでも詰め込んでやれ。

後悔するのは、弱いからでも、だらしないからでもなく、僕たちが人間だからだ。



何も成し遂げられていない自分が恥ずかしくなる。一方で何かを成し遂げるための摩耗に耐えられるほどの心身の強靭さを持ち合わせてもいない。

努力をするにせよ、しないにせよ、「こんなはずじゃなかった」という後悔がついて回る。それは俺だけではなく、「何者でもない」多くの人に当てはまることなのだとも思う。

例えば、会社で出世した人生を送った人は「もっと家族や自分の時間を大切にすればよかった」と嘆くかもしれないし、“それなり”の仕事人生を送った人は、「あの時もっと努力すればよかった」と悔やむかもしれない。

後悔することを「ないものねだり」と言ってしまえば幼稚な響きがするけれど、「この人生」しか選べない時点で、選ばなかった選択肢が必然的に生じるのだから後悔は避けられない。

無数の「もし」を並べられて、あまりに心許ない「この人生」と比べなきゃならない。選択肢を与えられてそれぞれを比べてしまうのは人間の性。しかも、理想に現実が勝つことはそうそうない。こうして後悔が生まれる。理不尽すぎる。

だから、人生には後悔が満ちていて、惨めさがつきまとう。そして時折り自分の愚かさを突きつけられる。多少、悲観的すぎる向きはあると思うけど、これは人生のひとつの真理だと思う。仕方ないこと。


どうしたって後悔はする。だったら、「後悔しないように生きる」ことを諦めちゃえばいい。過去のことでしっかり苦しんだっていい。後悔したっていいんだよ。存分に悔めばいい。後悔してたって、自分を呪う必要もない。だって当たり前のことだから。

むしろ、「後悔がない」と言い切る人の方がどうかしてる。見ないふりをしている事実が必ずある。自分の過去と向き合えている人の方が僕は好きだ。逡巡しながら歩みを進める人が僕は好きだ。

その上で、なんとか納得できるように過ごせれば、それは幸せかもしれないね。




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