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希望の街のおまじない屋 第10話

ご機嫌な朝のおまじない

 最近トモリさんは、ウキウキしていました。今朝も適当な鼻歌を歌いながら、焼き立てのパンをお店に並べていました。

 ふんふんふん
 おいしいおいしい、細長パン
 トイデル大通りの新名物さ
 大きな口で、かぶりつく

 例の細長いパンの売れ行きは好調でした。でも一つトモリさんには不満がありました。このパンには、まだ名前がついていなかったのです。
「細長いパンっていうだけじゃなあ。何かいい名前がないかなあ」

 そんなトモリさんの一方で、ミミルは朝食のワッフルを用意していました。ワッフルには、イチゴとマーマレードのジャム付き。最近ようやく、こういったものも手に入るようになったのです。

「トモリさん、いただきますのお時間だわ」
 もうお腹ぺこぺこのミミルがトモリさんを呼びました。
「お、ミミル、ありがとうね。うーん、いい香り。これぞ焼き立てのワッフルだね」
 トモリさんは急いでパンを並べ終わって、奥へ入りました。

 二人は食卓で手を合わせます。
「いただきます」
「いただきます」
 ワッフルにジャムを付けたところで、二人とも手が止まりました。

「おや、ミミル。何か忘れてないかい?」とトモリさん。
「あ、いっけなーい」と、ミミルはペロリと舌を出しました。

 そうです、何かを忘れています。このままではすぐに口の中がパサパサになってしまいますね。
 すぐにトモリさんが食卓を立って、コーヒーとホットミルクを用意してくれました。

「じゃあ改めて、いただきます」
「いただきますだわよ」
 トモリさんはすーっとコーヒーの香りを吸い込んで、しみじみと幸せを噛み締めました。
(朝食のワッフルにジャム、コーヒー。こんな簡単な幸せが、ようやく戻ってきたんだなあ)

 トイデル大通りは、徐々に元に戻っていっていました。道の穴ぼこはまだそのままでしたが、靴屋のスースの奥さんのように田舎に疎開していた人達が、ぼちぼち帰ってきていました。

 絵描きのフィーナのように、他の街から新たにやって来た人もいました。戦争が始まる前は王様の通りと呼ばれた通りです。港にも近く、人の活気と自然の美しさが融合したこの街は、住民にも観光客にも愛されていました。戦争が終われば、やはり人を惹きつけずにおかないのです。

「ごちそうさまでした。おいしかったね」
 とトモリさんは食事を終えて、手を合わせて言いました。
「ごちそうさまでした。おいしかったわ」
 とミミルも同じことをしました。

「さあ、片付けて店を開ける準備をしよう」とトモリさんは食卓を立って、後片付けを始めました。「今日もいいことありそうだね」
「トモリさん、ごきげんね」

 ミミルはちょっとからかったつもりでした。トモリさんがウキウキしているのは、最近フィーナが毎朝パンを買いに来てくれるからだと、知っていたからです。子どもはちゃんとそういうことを分かっているんだぞと、トモリさんを照れさせてやろうと思ったのです。でも、トモリさんは急に立ち止まりました。

「ふむ、ごきげんか」
 と、顎に手を当てて何やら考え込むようなそぶりをしました。
「どうしたの、トモリさん?」
 とミミルは訊きました。

「ふむふむ、ミミル、これは発明かもしれないぞ」
「どうなすったのよ。新しいパンでも思い付いたの?」
「いや、君の商売の方だよ」
 ミミルの商売と言うと、おまじない屋です。

「今のどうだい?ごきげん」
「ごきげん?」
「そう。おまじないみたいじゃないか。ごきげん、ごきげん」
 ミミルは口の中で確かめてみました。すると、なんだか本当にごきげんになってきました。

「いいわね。ごきげん、ごきげん。採用するわ。でもこれは私の発明よ。お忘れになっちゃいやだわ」
「ミミル、見落としちゃいやだよ。僕の発明だってちゃんとあるよ」
 ミミルは、何かしら、という顔をしました。

「ほら、僕は最初に何て言った?いいことありそう」
「いいことありそう。これがおまじないなの?」
「そうさ。よろしくないかい?いいことありそう、いいことありそう」
「うーん、ノートに書いておいてもいいわね」

「是非、書くべきだよ。いいことありそう、いいことありそう。ごきげんだね!ああ、今日はなんだか、本当にいいことありそうだ」
 しばらくして、その日最初のお客さんがやってきました。それはトモリさんが待っていた人でした。

「おはようございますですわ、トモリさん、ミミルちゃん」
「フィーナさん、おはようだわ」
「やあ、フィーナさん。こちらこそおはようございますですよ。今日もいいお天気ですね」

 女性陣二人は、店の窓から空を見上げて不思議そうな顔をしました。今日の空はどんより薄曇りでした。

「面白い方ね。私だって、今日の空ならちゃんとグレーに描きます」
「あはは、こりゃ勇み足でした。あんまり気分が良かったんで、きっとお天気だと思ったんですよ」
 トモリさんは恥ずかしそうに頭を掻きました。

「フィーナさん、私達、さっき新しいおまじないについて話してたのよ」
 ミミルはフィーナにいきさつを説明しました。それでトモリさんは、それ以上おかしな人だと思われるのを免れました。

「ごきげん、ごきげん。いいことありそう、なのね」ウフフとフィーナは微笑みました。「楽しそうなおまじないですこと。私もごきげんになりましたわ。それじゃ今日のパンをいただきましょうかね」
 と、フィーナは細長いパンを選んで買いました。

「ああ、そうそう、フィーナさん」
 トモリさんは、フィーナが来たら言おうと思っていた大事な話を切り出しました。
「何ですの?」

「実はね、フィーナさん。この街もそれなりに人が戻って来まして。それで今、スースの奥さんなんかと、また以前のように自治会を組もうじゃないかという話をしているんです。それで良かったら、フィーナさんにもメンバーになってもらえないかと思って」
「まあ、私なんかがよろしいですの?」

「もちろんですよ。だってフィーナさんはもうこの街の住人なんですから」
「でも、自治会って、何をされるのかしら」

「そうですね、何をやるかというのは、決まっているようで決まっていないところがあります。それと言うのも、以前はここは王様の通りと呼ばれて、街の発展に王様が深く関与していました。自治会の仕事は街路樹の管理や火の用心の見回りとか、後は年に一度のお祭りの準備とかに限られていたんです。けれど王様がいなくなってしまった今、これからは自分たちで街を作っていかなくてはいけないと思うんです。このトイデル大通りをどんな街にしていくのか、それを自分達で考え話し合い、形にしなくてはと思います。そこでフィーナさんのような、我々とは違う感性を持った芸術家の方の力を是非お借りしたいんです。今この街はまっさらな白いキャンパスだと思います。そこにどんな絵を描いていくのか。僕やスースの奥さんみたいな職人だと、ついつい実用性一辺倒になってしまいます。そこでフィーナさんに、自由な発想でこの街のデザインを描いて欲しいんです」

「まあ、そんな大役、務まるかしら。デザインだなんて。だって私、ただの絵描きですのよ」

「いえ、あんまり大袈裟に考えてもらわなくたって結構です。実際はただ、みんなで集まって、あそこはもっとこうしたいとか、あれがああなるといいなあ、なんてことを話し合っているだけなんですから。なーに、参加は強制ではありませんし、自治会に入ったからと言って、都合が悪ければ休んでくれてもいいんです。お互いに負担のない範囲で、街の人みんなで街の経営に参加しようじゃないか、ということだけなんですから」

「そうですか。それじゃあ、一口乗らせてもらってもいいかしら」
「ええ、是非、お願いしますよ。一緒にこの街を作って行きましょう」
「こちらこそお願いいたしますわ」

 フィーナは籠から細長いパンをはみ出させて、帰って行きました。
「さよなら、また明日」
 とトモリさんは言いました。
「穴ぼこに気を付けて」
 とミミルは手を振って見送りました。

 フィーナが帰った後、トモリさんはほっと胸を撫で下ろしました。
(良かった。うまく行ったぞ)
 トモリさんが一番期待していたことは、これでフィーナに会う機会を増やせるだろうということでした。もっとフィーナとお話がしたかったのです。でも、フィーナはどう思っていたでしょうね。

 朝の営業が一区切り付いて店を閉めたとき、ミミルがトモリさんの足元にやって来ました。
「ねえ、トモリさん」
「なんだい、ミミル?」
 トモリさんは上機嫌で答えました。

「さっき言ってらしたお祭りって、女神様のお祭りのこと?」
「女神様のお祭り?ああ、トイデル祭りのことかい?」
「ママは女神様のお祭りって言ってたわ」
 トイデル祭りのメイン会場は、噴水があるところの広場でした。その日は女神像も、特別に綺麗に飾り付けられるのです。

「女神様のお祭りか。僕らは王様の祭りと言っていたけど。王様を讃えるために女神像を飾り付けて、音楽を鳴らしてダンスをするんだ」
「違うわ。あれは女神様を讃えているのよ」

「そうかい?そう言えば元々女神様と何か関係があるのかな」
「お祭りの日は、女神様の力が一番強くなる日なんだって、ママが言っていたわ。天からこの街にやって来た女神様を讃えるために、昔の人がお祭りを始めたんだって」

「ふうん、そうなんだ。僕は祖父から、昔の王様がこの通りを今の形にしたときから始まったと聞かされていたなあ」
「違うわ。王様よりも、もっとずっと前から、女神様はこの街にいたのよ。ずっと大昔からこの街にいて、人々を見守って来たんだわ」

「歴史は正しく伝わらないことがあるからね」
 トモリさんは、どちらでもいいといった感じでした。でもミミルは、熱を帯びた調子で言いました。
「お祭りの日に、女神様は地上に降臨なさるのよ。それでその日は願いが通じやすくなるんだから」

 トモリさんは以前から、女神像のことになるとミミルの様子が変わることに気付いていました。

「そうだ。それじゃ今度のお祭りは、女神様のお祭りにしようよ。王様もいなくなってしまったことだし、この街には何かシンボルになるものが必要だ。復興を祝って、一つ盛大に女神様を讃えようじゃないか」

「女神様は直るかしら?」
「そうだね。女神様のお祭りなんだから、それまでに直しておかないとね」
「やったあ!」
 ミミルは小躍りしました。無邪気に喜ぶ様子は、もういつものミミルでした。

「女神像が直るのは、そんなに嬉しいかい?」
「もちろんだわ。だってその方がいいじゃない」
 ミミルは満面の笑みで言いました。そんなミミルを見て、トモリさんはしたり顔で言いました。
「ほら、言った通りだっただろう」

 ミミルは、何かしら、という顔をしました。
「いいことあったじゃないか」
「あ、本当だ」
 トモリさんはいたずらっぽく笑って言いました。
「僕はおまじない屋になれるぞ」

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