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それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~

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#休日フォトアルバム

それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第37回 広場ダンスは永久に不滅です!

(32)ぼくは帰城して、城内の迎賓路(インピンルー)を東へおよそ30分移動。さしあたっての目的地、東門(旧寅賓門)に到着した。18時38分。だいぶ薄暗くなってきた。ここは城門に賓陽楼という櫓(やぐら)があり、夜間のライトアップが美しい。ガイドブック等でたびたび紹介される、荊州の顔ともいえるスポットだ。櫓は二層で紅く塗られている。それが青や黄やオレンジの光に照らされ、ほのぼのと妖しい雰囲気を醸し出していた。城壁の上部にも照明が灯(とも)り、昼間とは一風違う古城風情が楽しめる。見

それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第38回 巨大商業モールで考えたこと

(34)街はすっかり暗くなった。金鳳広場から徒歩十分で、万達広場(ワンダーグワンチャン)というショッピングモールに到る(本日の夕食を摂るためにやってきたのだ)。くわしい説明は省くが、万達広場は全国二百都市、全三百におよぶ店舗網を誇る商業施設である。近年は地方都市への出店も加速している。此処(ここ)荊州店の開業時期はしかとは分からないが、口コミサイトでは2016年10月以降の投稿が確認できるので、おそらくそれと近い時期にオープンしたと推測できる。寸法はざっと南北200米(メート

それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第39回 サーモン三人の兄弟!?

(39)このように興味は尽きないが、さはさりながら、長時間かけてモール内のディテールを調査・研究している余裕はない。そろそろ手頃な店を探して、美食にありつきたい。キラキラした化粧品ないし衣料品店テナントを横目に、さあラストスパートとばかりグルメフロアへと向かう。そういえば一階の吹き抜けコーナーには、(日本でもよく見かけるが)無数のボールが敷きつめられた有料遊戯スペースがあって、親子連れでたいへんな賑わいであった。ショッピングモール内だというのに直径20米(メートル)以上、おそ

それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第40回 寿司松茸海鮮和牛炒飯

(42)菜単(メニュー)に目を落としているあいだに、紺色の着物風ユニフォームに身を包んだ男がぼくの前に出てきて、先客のためにサイコロステーキを焼きはじめた。短髪でキリッとした眉をもつ、イケメンの若者である。彼の手ぎわのよいコテさばきを横目で観察し、カチャカチャ、ジュッジューッ、なんて至福の調理音を聴きながら、ぼくはぬかりなく空腹でやってきた自分を称えた(よしよし、これは期待できるぞ)。ちなみに、仕事にいそしむ彼の背後は違い棚になっている。そこへ扇子や日本人形のほか、月桂冠・菊

それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第44回 晴れた日は母なる長江(かわ)で洗濯を

(58)園内では古(いにしえ)の塔を取りまく鬱蒼とした樹々が聖なる時間を支配し、また降りそそぐ陽光がこれに乱反射して、複雑な明暗を生んでいた。小鳥のさえずりも聞こえる。外縁には、長江の堤防に沿って亭廊が造成されている。塔の見学を終えて、今度は長江を望もうかとそちらへ近づいていくと、亭廊のなかでは年の頃アラフィフとおぼしき男女数名が、古めかしいラジカセで軽快な音楽をかけてステップを踏んでいた。すぐ近くで、サックスを練習している若者もいる。みんな熱が入っている。空はどこまでも高く

それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第45回 北京ダックのうた2019

(61)まだ11時だが、そろそろお昼ご飯にしよう。万達(ワンダー)広場へふたたび。暑いなか数百米(メートル)うろうろして、やっとこさタクシーをつかまえる。北京西路を西へ進んで、ほどなく到着。昨日さんざっぱら、ひやかして歩いたので、もう店は決めてある。本日のご注文、北京烤鴨(ダック)一択である。日曜日とあって、昼前だというのに人出は多い。外には子供用の逆バンジー遊具が四カ所設置されていて、強力なゴム紐(ひも)を取り付けられた幼児が、ビヨーン、ビヨヨヨーン、とトランポリンマットの

それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第47回 やっぱり路地が好き in 荊州

(62)三義街(サンイージエ)では、もう少し寄り道をしたいと思っていた。寺の参観を終えたぼくは、その後もちょっとずつ脇道の住宅地へ出入りして、ギンギンギラギラの太陽から逃れた。とある路地裏は、洋服であれば継ぎ接(は)ぎだらけともいうべき、改築に改築を重ねた魔改造住宅がならぶ世界だった。コミュニティーの私道ということになるのか、各戸がならぶ路地は幅およそ2米(メートル)。道を歩くというよりも、家と家のあいだを見つけて進むといった感じである。ところどころ、鉤(かぎ)の手というほど

それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第56回 夜の江漢路Walkers

(15)ぼくは煌(きら)びやかな江漢路(ジアンハンルー)歩行街に舞い戻った。長江沿いの沿江大道(イエンジアンダーダオ)から中山大道(ジョンシャンダーダオ)に至る、長さ700米(メートル)ほどの歩行者天国である(なお地図アプリによると、2020年以降の一時期、この通りも工事で通行止めとなっていたのだが、2022年12月現在は全面開放されている)。ホテル入住(チェックイン)前はそのさわりだけを観察、これより徘徊を再開する。道幅は15米強で、まるで真昼のように明るい。歩行者はという

それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第57回 漢口の水塔夜景と屋台村

(18)中山大道(ジョンシャンダーダオ)と江漢路(ジアンハンルー)の交差点付近には、漢口水塔とよばれる貴重な近代建築が残っている。1980年代初頭まで漢口の中心街に水を供給していたという、街のシンボルの一つである。清のラストエンペラーの時代、宣統元年(1909)竣工のレンガ積みの建物で、八角六層の高さ41米(メートル)。大正の震災で崩壊した浅草十二階こと凌雲閣(1890年、高さ52米)と同系統の形状であるが、こちらは触れると切れそうなほど角が張り、頑健で骨っぽい外観である。各

それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第60回 廉政文化公園の朝

(28)路上にはもう一人豪傑がいた。彼はまだ幼少の身で、身長や容貌から察するにおそらく三歳未満と思われる。頭は丸坊主で、開襠褲(カイダンクー=排泄用に股の部分がぱっくり開いているズボン)を穿(は)いている。旅行中ひさびさに、この開襠褲の幼児に出会った。歩道の後ろを行くぼくの目には、当然彼のお尻がチラチラ見える。そして、この子は歩いているのではない。三輪のキックボードに両の足をのせ、両手はしっかりとハンドルをつかんで、お婆さんに引いてもらっている。カッコいい愛車だね、でも君には

それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第63回 武昌の台所をガン見して歩く

(38)ええ、実況中継にまかせて説明を省いてきたが、次なる目的地は県華林(シエンホワリン)という、旧武昌城内に残る民国建築の集合地である。昔ながらの区画や街路を歩きながら洋館めぐりが楽しめるということで、外国勢力の租借地とはまた違った趣が味わえようと旅程に組み込んだのである。それと、出発前に谷歌地球(グーグルアース)で「予習」したところ、ぼくは黄鶴楼と県華林の中間に、再開発の遅れた庶民的住宅地を発見していた。ほほう、いまどき珍しいじゃないかと期待大でマークしていたのだが、これ

それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第65回 優良運転手と武漢少女 ─東湖前編─

(44)ちなみに2020年以降、得勝橋(ドーションチアオ)は一時、全面通行止めとなった。散策当時も高いフェンスがめぐらされ、すでに工事の最中(さなか)だったのだろうけど、当時のぼくは、すべて県華林(シエンホワリン)地区の改装作業と思い込んでいた。いずれにしても、2021年12月、地下鉄5号線が市内初の無人運転路線として開業、当地には県華林武勝門という駅が完成した(ただし周辺地区の道路工事は現在も続いているようだ)。あの超庶民的な賑わいがどうなっているか、今では知る由もない。た

それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第67回 湖北のセレブと小豆豆 ─漢街前編─

(50)楚河漢街は、中華民国時代の洋館をイメージして出来た人気商業区で、東西1.5公里(キロ)におよぶ一本道。通りを挟んだ東隣には、荊州でも訪れたショッピングモール、万達(ワンダー)広場の漢街店が建つのだが、この楚河漢街も同じく万達集団が五百億元を投じて開発した(なお武漢では万達広場が他にもう2店舗営業している)。百度百科(バイドゥーバイコー)によると、わずか8ヵ月の工期で2011年9月に開業したという。さて足を踏み入れてみると、建物外観は一様に西洋風であるのに、敷地内にはな

それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第68回 小川料理とは何ぞや!? ─漢街後編─

(52)引きつづき楚河漢街をゆく。途中で陸橋の下をくぐるが、そんな暗がりにも車両販売のアイスクリーム屋やドリンクスタンドが出ており、商売の途切れる間がない。すると、おととい西瓜汁(スイカジュース)を求めた辛迪果飲(シンディーグオイン)が此処(ここ)にも出店しているのを発見。いいね、予想外の再会だ。もちろん嬉々として突撃する。今日は鮮やかなポップに惹かれて、桃や芒果(マンゴー)など水果(フルーツ)入りの花茶(ジャスティンティー)と迷ったあげく、石榴汁(ザクロジュース)30元に決