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それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第37回 広場ダンスは永久に不滅です!

(32)ぼくは帰城して、城内の迎賓路(インピンルー)を東へおよそ30分移動。さしあたっての目的地、東門(旧寅賓門)に到着した。18時38分。だいぶ薄暗くなってきた。ここは城門に賓陽楼という櫓(やぐら)があり、夜間のライトアップが美しい。ガイドブック等でたびたび紹介される、荊州の顔ともいえるスポットだ。櫓は二層で紅く塗られている。それが青や黄やオレンジの光に照らされ、ほのぼのと妖しい雰囲気を醸し出していた。城壁の上部にも照明が灯(とも)り、昼間とは一風違う古城風情が楽しめる。見慣れない景観と馴染みのない光線が重なり、一瞬自分がどこにいて何を見ているのか忘れそうになるが、だんだん目が慣れてくると、キャンプファイヤーを見ているかのように、これがちょっとずつ情緒的になる。ところで、東門のそばには、明の万暦年間に強権的改革をすすめた地元・江陵出身、張居正の記念館がある。すでに閉館時間を過ぎてはいたが、ぼくはその敷地入口まで足を延ばし、そこに立派な牌楼(はいろう)がデンとそびえるのを認め、先へ進んだ。東門を背にして、九龍橋を渡る。これは片側二車線の通りで、先ほどの南門外の道よりずっと広い。ぼくは、城壁と櫓と掘端と橋に据えられた灯り、そしてクルマの往来と、急に溢れ出てきた光線の束のなか、その橋をゆっくりと渡った。

(33)荊州古城の堀に沿う区画に、ちょっとした広場がある。これを金鳳(ジンフォン)広場という。その一角のベンチに、百人ほどの高齢者が座っていた。多少の灯りはあるにせよ、あたりはもう闇である。それなのに、当地の翁媼(おきなおうな)、みな思い思いにくつろぎ、おしゃべりに興じている。水をつけた巨大な筆で、なにやら地面に字を書いている達人もいる。そこへ、習字の手本帳を持ち出して、勝手にあれこれ批評している老人もいる。そんな仙人風の両人のコミカルな姿は、まるで古い水墨画か芝居の一コマのようだ。あるいは、子供向けに風船やシャボン玉が売られていたりもする。考えてみると、近年は晩秋や冬に旅をしていたので、市民の夕涼み風景に出会うのは久しぶりだった。未就学児か小学校低学年であろう、幼い子供の姿も目立つ。日本では考えられないほど、たくさんの子供を見かける。彼らの多くは、最近の流行りなのか、ローラーブレードを駆(か)って広場を夢中でグルグルやっている。しかし何といっても、ここで一番の見ものは広場舞(ダンス)の女性たちである。どうやら、サークルは二つある。ざっと六十歳前後が中心で、いずれの踊り手も普段着としか言えないような恰好である。音楽に合わせ、およそ十人ずつが適当な間隔を保ってステップを踏んでいる。さらに、各グループが使用する超大音量の劇音楽がたがいに交錯・輻輳(ふくそう)して、広場の夜を支配的に呑み込んでいた。乏しい光の中でおのずと敏感になった耳が、その音響の直撃を受ける。一つは古典戯曲の女声アリアみたいな高音がつづく曲で、もう片方は甘ったるい男性歌謡がアイヨーアイヨーと繰り返す。どちらも文革期っぽい年代物で、民謡風の音楽である。異なるリズムと曲調の、だが圧倒的にノリのよい歌謡が二曲、夕暮れのなかにいつまでも彼女たちを踊らせていた。

東門へ向かう途中、張居正街に面した老街坊飯荘。
東門に到着(一帯は風景区)。荊州城門の中では、最も観光地色が強い。
同じく東門、上は賓陽楼(外側から)。客席付きのイベントスペースになっている。
東門から九龍橋を望む。街も徐々にライトアップされてきた(対岸に金鳳広場)。
金鳳広場。中高年市民がぎっしりベンチを埋める。
水で書道する人、手本と見合わせる人、ローラーブレードで通りかかる子供。

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