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それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第40回 寿司松茸海鮮和牛炒飯

(42)菜単(メニュー)に目を落としているあいだに、紺色の着物風ユニフォームに身を包んだ男がぼくの前に出てきて、先客のためにサイコロステーキを焼きはじめた。短髪でキリッとした眉をもつ、イケメンの若者である。彼の手ぎわのよいコテさばきを横目で観察し、カチャカチャ、ジュッジューッ、なんて至福の調理音を聴きながら、ぼくはぬかりなく空腹でやってきた自分を称えた(よしよし、これは期待できるぞ)。ちなみに、仕事にいそしむ彼の背後は違い棚になっている。そこへ扇子や日本人形のほか、月桂冠・菊正宗・玉乃光のミニ酒樽、男山・獺祭(だっさい)の一升瓶などが収まり、小粋なインテリアとしてある。一方、遠くの壁には、なぜか招き猫が鯉のぼりの竿をもって駆け出していくユーモラスなマンガが描かれ、その隣に、ゆるいタッチで「元気満満」と認(したた)められてある(一体どこからインスピレーションを得て制作されたのだろうか)。いずれにせよ、王道アイテムから脱力スタイルまで、和の演出に満ちた店内各部へ意識を向けると、いちいち感心させられたり、たわいない疑問符が浮かんだりと、まるで情報処理が追いつかない。ただ考えてみると、現実には日本国内に70万人の中国人が暮らし、また留学生は軽く10万人を超え、観光客もわんさか列島へ押し寄せている時代である。和食メニューの移入と現地化、および集客力向上の試行錯誤が重ねられているのは、もはや日本人駐在員の多い沿海都市に限った話ではないのかもしれない。見方を変えれば、一見の日本人が当地で「おかしな日本語誤訳」や「ユーモラスな内装」を見つけ、そのさまをむやみに不思議がっていても仕方ない(我々のほうも中華料理メニュー、あるいは飲食店内の中華風味のしつらえ、その創意工夫・日本化の多大な恩恵を受けているではないか)。そういえば余談になるが、昨年は南京の繁華街、新街口(シンジエコウ)の裏通りで豚骨拉麺(ラーメン)を食べていたところ、突如店主が出てきてコンニチハ、じつはわたくし日本に留学していましたと話す。彼もまた、日本式拉麺の味に心を動かされたはいいが、それを現地に馴染ませるのに苦心しているという(中国人の味覚に合わせて塩分を控え、素材の味を楽しめるようにしているそうだ)。店の繁盛ぶりと味の進化を確かめに、いつか再訪したいものだと思っている。シン中国の「紅い遺伝子」ならぬ「和の遺伝子」が今後どのように伝承されるのか、そして如何(いか)なる発展・多様化を遂げるのか。その輝ける未来を、ぼくは楽観的に見守りたいと思う。さて、そのうちにステーキは出来上がり、彼はいったんメインの厨房に戻っていったが、いよいよぼくの料理に取りかかるべく、またすぐに面前に帰ってきた。おかえり。頼むよ、大将。

(43)わが敬愛する、井之頭五郎先生曰く。鉄板焼にはライブ感があるんだよな、鉄板はステージだと。これは人気番組「孤独のグルメ」の主人公が発した言葉であるが、けだし金言である。先ほどイケメンと評したが、たしかに板前の彼はぱっと見、サッカーの長谷部誠みたいな風貌ではありつつ、しかし素朴でおとなしそう様子は(個人的な見立てだと)大相撲の鶴竜や高安のようでもある。声をかけると、調理中の撮影も許可してくれた。彼はさっそく鉄板の上で牛肉をカットして焼き始め、次いで他の具材と白飯を炒めていく。各食材が空気を含みながら高温で熱せられる音、コテと鉄板がふれ合うリズミカルな響きが、耳に心地良い。そしてコテを返すたび、その音と良き香りとが立ちのぼる湯気に包まれる。湯気の向こうの料理人は表情ひとつ変えない。ぼくは一人の聴衆として、彼の奏する音楽世界に遊んだ。ほどよき疲れと調理音のリラックス効果とが相まって、ぼくは両まぶたを半ば閉じながら、至高の時間を過ごした。数分が経ち、小気味よく動いていた大ぶりなコテがピタリと止まったかと思うと、待ちかねた品があっという間に厚手の皿に盛りつけられた。ハイ、鉄板和牛炒飯の、完・成・で・す。パシャパシャと写真を撮ってから、手を拭き、心を鎮める。いただきます。さっそくガツガツいただいてみると、これが最高に美味しい。まず何より、油加減が絶妙でご飯一粒一粒がうまい。さっそく心の中で選択成功を祝う。シンプルな構成ではあるが、各具材もキラリと精細な輝きを放つ。塩胡椒の利いたサイコロ肉が口の中で弾け、主役の貫禄を見せたかと思えば、甘みを含む玉ネギが少量といえども抜群のアクセントとなり、さらにバランスよく投じられた長ネギ、椎茸、玉子が脇を固めて、どれも良い働きをしている。競演の妙といえるだろう。素材の味やバラエティーに富む食感をまったり愉しんでいると、今度はふたたびパンチの利いた塩胡椒の魔力に誘われて、レンゲを動かすスピードが自動的に上がる。どこをすくい取っても満足度・幸福感が高い。一気に平らげてしまった。少し遅れてスープも運ばれてきた。土瓶の蓋を取ると、中から松茸を筆頭に頭付きの海老、えのき、サーモンといった具が、客人どうもこんばんは、と拱手(ゴンシュ)で挨拶する。中国ひとり旅でこれは、そう貴人の食事である。麦当労(マック)、肯徳基(ケンタッキー)、水餃子、粥、豆乳。ふだんの旅の食卓を思い返して、ついそうひとりごちる。そりゃ、香り豊かな松茸の登場には喜びを隠せない。なにしろ好久不見(ひさしぶり)である。一口いけば、舌先から五臓六腑に至るまで体内の各所・各器官が一斉に浮き足立ち、記憶にございません、記憶にございません、と連呼する。まあしょうがない。単純で忘れっぽいヤツらなのだ。いいかい、これは中国産の松茸だよ、ちゃんと覚えておきなさい。ぼくはそう語りかけて、臓腑たちのパニックを鎮めた。やれやれ。スープは土瓶によって供せられ、これを湯呑みに注いでいただく。それにしても具沢山である。これも遠慮無用でかぶりつく。味はやさしめで、忘れかけていた和の香りがぼくの全神経を惹きつけ、情動に訴えてくる。そして、こちらも食感の玉手箱である。あっというまに土瓶を空にした。寿司のほうも、シャリの食感がわずか気になるだけで、三貫で300円余り、しかも内陸の湖北省でこしらえた寿司だと思えば、なんの文句もない味である。醤油とわさびの香りが、鼻から胸いっぱいに染みわたる。湖北省は荊州で図らずも、和食っていいよな、なんてことを思う。

(44)会計してみると、しめて98元である。日本円にして約1,600円(当時)。上海で同程度の店ならば、少なくとも二倍の値はするのではないか。店を出た途端に、嗚呼(ああ)いい町だなあ、と正直な感想が口をついて出る。考えてみると、かように洗練された店構えで、なおかつ納得品質の料理が出てくるというのは、和食を食べ慣れた地元客の確かなニーズがこの地に存在し、またある程度は集積していることの証といえるだろう。店内の人員にしても、おそらくは日本人客が集まる大都市店舗で修行していたとか、統括マネージャーを務めていたとか、あるいは日本の居酒屋で数年間働いていたとか、とにかく日本式の外食に精通した人材が、幾らか含まれているに違いない。あっ、もしかしたら、あの青年もかな? 一瞬ふりかえって店内を覗いてみたが、残念ながらそこに未来の「巨匠」の姿はなかった。今度は奥のカウンターで、せっせと寿司を握っていたのかもしれない。

鉄板和牛炒飯48元、サーモン寿司(刺身・炙り・マヨネーズ)22元。
松茸海鮮湯(スープ)28元。
待ち客用の椅子も朱塗り仕様!「双魚先生」の外観。

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