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それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第65回 優良運転手と武漢少女 ─東湖前編─

(44)ちなみに2020年以降、得勝橋(ドーションチアオ)は一時、全面通行止めとなった。散策当時も高いフェンスがめぐらされ、すでに工事の最中(さなか)だったのだろうけど、当時のぼくは、すべて県華林(シエンホワリン)地区の改装作業と思い込んでいた。いずれにしても、2021年12月、地下鉄5号線が市内初の無人運転路線として開業、当地には県華林武勝門という駅が完成した(ただし周辺地区の道路工事は現在も続いているようだ)。あの超庶民的な賑わいがどうなっているか、今では知る由もない。ただ、燃えるような暑さのなかを汗だくで歩いたはずなのに、得勝橋の風景の一コマ一コマは、ぼくの中でじつに心地よい、特別涼感に満ちた記憶として留まっている。中国三大火炉(フオルー)などとよばれる武漢の歴史的街並みに、工夫を凝らした市民の生活風景を垣間見ることができて、それは幸せな時間だったと思う。有名なイザベラ・バード『中国奥地紀行』には、19世紀末の長江流域を旅した英国人女性旅行家の観察が事細かに描かれている。以下は対岸の漢口についての記述だが、氏曰く「夏には、向かいの家の屋根との間に筵や青色の綿布が張り渡されて、暑さとまぶしい光を和らげ、商いはこの一風変わった色合いの薄暗がりの下で行われる。店の縦長の看板の朱や金色の上には光線がきらめき、斑紋ができている。光は揺らめいたり、まぶしくなったりする。絵を見ているようなまことに不思議な光景である」と。往事を思い、今を愉しみ、また未来を夢みる。県華林も近い将来には、あらかた建設も完了、弱小店は淘汰されて、特色あるオシャレ商業地として活況を呈することだろう。武昌城内の新天地をそんなふうに視察したつもりになって、次にぼくは景勝地・東湖へ向かった。計画よりも時間が押していた。そこで、次の散策予定地である宝通禅寺を取りやめにして、翌日の行き先としていた東湖をめざしたのである。

(45)タクシー運転手は50歳くらいで、同学(クラスメート)が二人日本で働いていることや、彼らが日本人と結婚したことを話し、終始友好的である。東京とはどんな所だ、と訊くので月並みな答えをし、最近は中国人旅行客でいっぱいだよ、もし訪ねてきたらぼくがガイドするよと言うと、それはいいなあとご満悦な表情を見せた。ぼくが驚いたのは、彼の運転マナーだった。とある交差点では、クラクションを軽く鳴らして日傘を差した若い女性たちに横断をうながし、さらに遅れてやって来た若い男二人にも先をゆずり(彼らはおしゃべりに夢中で、ぼくがドライバーなら絶対に待たないタイミングだった)、最後に老婆一人のため、さらに数秒待ってからアクセルを踏んだ。近年の厳重な監視のせいもあってか、中国人の運転マナーが格段に向上しているのは報道やSNS投稿で知るところだが、かような変身ぶりを目の当たりにすると本当にたまげてしまう。いっそバカなふりして、幾つか彼らに問いただしたくもなってくる。あのー、あなたたちねえ。以前は走行中、息をするようにクラクションを鳴らしまくってたじゃありませんか。それから、隙あらばと車線を跨いだまま追い越しを狙ったり、対向車のドライバーとはしょっちゅう罵倒し合い、そのくせ困ったときはお互いさまとばかり、ズケズケと道を訊ね、そして意外と親切に教え合っていたり。しかし客が油断してると遠回りしたり。また、事故ればすぐさま車外に飛び出し、車道中央で大喧嘩を始めたり、外国人旅行客と見ると都合も聞かずに気心の知れたホテルへ連れて行こうとしたり。それだけじゃないですよ。女性ドライバーで運転ぶりは普通なのに、のべつ大声でキレていて話にならなかったり。また信号停止中、そういう人が急に静かになったと思ったら、次の瞬間カーッと豪快に痰を吐いたり。ちゃんと覚えてますよ。ついこの間まで、そんなのばっかりだったじゃないですか。一体、あなたたちに何があったというんですか、と。

(46)午後3時5分、東湖に到着。走行10公里(キロ)で運賃25元。下車地点についても、その後の散策にほどよき場所を選定してもらった。余談だが、中国の観光地というのは所によってはあまりに広大なため、手元に地図があったとしても上手に周遊できないことがままある。車で正門にたどり着いても、じつは切符売り場が数百米(メートル)も離れていて、ムダに往復を余儀なくされたりするのだ。さて、お互いに手をふって笑顔で別れる。サヨナラ。彼のおかげで、東湖西門からスムーズに園内に入る。此処(ここ)は武漢有数の景勝地で、市民の憩いの場である。湖は33平方公里(キロ)。『中国名勝旧跡事典』(ぺりかん社、1986年)によれば、かつて「北岸は萩や葦(あし)に覆われ、漁師の家がたたず」んでいたというが、いまは湿地公園やアミューズメントパークなど現代的な保養地として開発が進んでいる。一方で西側の湖畔には、数々の歴史的亭台・楼閣が点在して人々の目を楽しませている(急ぎ足のぼくが散策するのは、そのごく一部である)。木立のトンネルのなか、さながら内海といった趣の水辺を右手に眺めながら歩く。静謐な湖面が、青空と樹々を完璧に映して清々(すがすが)しい。おっ、遠くに亭楼も見えるぞ。そうかと思えば今度は左側に、教会風の小屋や玩具(おもちゃ)の灯台、帆船が浮かぶ池などが登場し、そのアンバランスな中洋折衷ぶりに内心狼狽(ろうばい)する。おやおや、こんなはずではないのだが。しかし、気を取り直して右へ右へと湖畔を進む。そして十分ほどで、曲がりくねった橋が湖畔と亭台をむすぶ、碧潭観魚と呼ばれる景勝スポットに到着する。緑色の瓦を戴(いただ)く亭台と、欄干にさまざまな形の小孔(こあな)を穿(うが)たれた石橋が、湖面を這(は)うように設(しつら)えられている。嗚呼(ああ)、此処などは古装スタイルの撮影にぴったりだなあと考えていると、ちょうど橋から上がってきたのが、純白の唐服の上に桃色レースの羽織りを着た少女だった。古風な円形の団扇(うちわ)を手にしている。ふちと柄(え)がシャンパンゴールドで、団扇の面は半透明。格好良いねえ、それ。いったい幾らなんだろう。よく中国の街中では、見ず知らずの人に持ち物の値を訊ねるおじちゃん、おばちゃんがいるけど、そんな勇気はぼくにはなかった。

県華林付近。豪快に段ボールを積載した車両。はたして発車できるのか!?
東湖風景区に入場。遊歩道をゆくと、湖が見えてきた。
歴史的名勝とは思えぬ、旧ユネスコ村っぽいエリア「異国風情園」も。
園内の名所「碧潭観魚」。此処でも漢服少女を発見。
ドラマ撮影にもってこいのロケーション…確かに古装気分を煽られる。
左下から入場し、湖畔を歩いているところ。画像が粗いのはご勘弁を…

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