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vol.1学生時代

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幼少期から大学卒業までの18年間をまとめたもの。自分にとってのメンター的な存在との出会いや「教育」による学びや、「教育」による自分の中の取捨選択などが書かれています。人に読んでも… もっと読む
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記事一覧

vol.1_1 自己紹介

川口博史です こんにちは。今日からnoteを立ち上げました川口博史です。 皆さんのnoteから刺激を受けたいという想いと 自分自身の想いを伝えたいという想いで立ち上げました。 今まで自分が感じたことや考えたことを思いついたタイミングで 不定期にアップしていけたらと思っております。 誰のために何のためにアップするのか、、、 それは自分自身のためだと今のところ思ってます。 自己満足かもしれませんが、自分自身を見つめ直すnoteの旅スタートです! 今までの学歴・職歴は 198

vol.1_2幼少期時代

智子(=母親)による教育 一人っ子ということも相まって、親の愛情を一身に受けることになった川口。一人っ子って甘やかされて育ててもらったように勘違いする人も多いかもしれないが、川口家はそんなに甘くない。 思いつくだけでも数え切れないほどある。 ➀外を歩くときは必ず裸足(土踏まずを強化すると言っていた覚えが) ➁嫌いなものを食べ終わるまでは、ダイニングを離れてはいけない。 (おかげで、今は食べられないものが何も無い始末) ③お友だちのうちへの外泊禁止 (俗にいう子ども同士の

vol.1_3小学生時代から中学生時代①(教育への芽生え)

先生が大好き!な小学生時代 祖父が小学校の校長先生だった隔世遺伝?もあり 物心ついたころから学校の先生になるのが夢だった。 小学校の卒業文集も1年生から6年生までの担任の先生の素晴らしいところをまとめる文集を書いていたことを今思い出す。。。クラスでは、中心的な人物だったけれど、先生に叱られる回数も一番多かった気もする。とにかくじっとしていられなかった。 当時、クラスにはいじめられっ子になって学校不登校になる生徒が学年に1人、2人いるかどうかくらいだった(自分調べ) そ

vol.1_4中学生時代②(教育への目覚め)

勉強の楽しさを教わった『信濃学園』 小林君に連れられて体験授業にいった『信濃学園』。 それは1年生の冬。大雪が降り積もっていたことを今でも鮮明に覚えている。 1.2階建ての古びた雑居ビルにガスストーブのあたたかい匂いが立ち込める中、プロレスとコーラ好きの石井先生が待ち構えていた。今でいうところの熱血教師。全然勉強ができない私にも親切に勉強を教えてくれた。「初めて勉強を楽しいと思った!ここで勉強したい!」という想いが生まれたのが、この学習塾の存在だった。 一方その頃智子は・

vol.1_5中学生時代③(教育を体感)

石井先生のすごさ 石井先生から教わったものは、勉強の中身ももちろんあるが、なんといっても勉強の「楽しさ」だと思う。 具体的にしてくれたことと言ったら、勉強方法を知らない自分に対して 暗記の仕方・ノートの取り方・授業の聞き方・予定の立て方など how to を授けてくれた印象が強い。それにより勉強がスムーズにできるようになってきたことを体感し、「楽しさ」につながったのだと思う。 教えてくれたのは how to だけではない。 ちょうど学校で勉強していた範囲の助動詞の「ca

vol.1_6中学生時代④(視野の違い)

見えてきた視野の違い 英検3級を受けることとなり、一つ上の学年のクラスの塾の授業に入っている最中、自分の学年で今回英検3級を受ける人が自分以外に5人いることがわかった。その5人は全員他のクラスの学級委員長で、テストの成績も毎回トップ10入りしてるメンバーだった。 正直驚いた。このメンバーに平気で肩を並べてる自分がそこにいることにちょっと恥ずかしい思いをしたくらいだ。そんな中でも「あっ、川口くんも今回受けるんだね」って普通に言って来てくれるそのメンバーの発言にも驚いた。川口の学

vol.1_7中学生時代⑤(別れと出会い)

別れは突然訪れる 中学2年生の6月、無事に英検に合格し 一学期期末テストも自力で5教科399点を取ることができた川口。智子との約束であった勉強する努力ができた暁には塾へ入れてくれるという話がようやく現実となることになる。 しかしそれは思ってもみない形で実現することとなる。なんと石井先生率いる信濃学園が夏明けに廃校になり、石井先生自体もこの地域ではない他塾へ転職するという話を石井先生の口から直接聞かされることとなる。他の生徒よりも先にまず自分に伝えてくれたことは本当に嬉しかっ

vol.1_8中学生時代⑥(受験校選び)

関屋中学校というブランド 1年生の時には通知表に2と3しかなかった川口だが、塾に入ってからというものは4と5しかない状況となった。特に理科と数学の先生からは「通知表に2を付けた生徒に5を付けるのは教師生活で初めてだよ」とお墨付き?まで頂いた。 川口が中学生の頃は、ゆとり教育一歩手前で 土曜日も第1・3土曜日はいわゆる半ドンと言って 午前まで授業があった。通知表の評価も、今の中学の「絶対評価」ではなく「相対評価」だった。学年で1から5まで取る人数の比率が決まっていた。 私の

vol.1_9高校生時代①(入学からの急展開)

KJとは KJの説明をもう少ししようと思う。 KJは川口の住んでいる新潟市から「新幹線」で 40分の距離。新潟→燕三条→長岡と通過した先の「浦佐」という辺鄙なところにある。 なぜ辺鄙なところなのかというのも理由があるがまたの機会に。 家から遠いので入学するにあたって選択肢は2つ。 親元を離れて「寮生」になるか 片道約2時間かけて「新幹線通学」になるかだ。 学年の半分が寮生、もう半分が通学生(その中でも新幹線通学は稀)という構図のKJは、当時隣接学区制の縛りもまだ強く、「普

vol.1_10高校生時代②(大滝先輩のすごさ)

華麗なる大滝家 実名を出したら怒られそうな気もするし、喜びそうな気もする大滝だが、もう何かが違う。 桁が違う。格が違う。ずっと先の未来までなんか見えてそうな発言をしたりする。 川口を部活に誘ってくれたそんな彼は一つ上の学年で成績が常に1位だった。 大滝祖父・父・兄はみんな京大卒。 そんな中、本人は抗って東大に行きたいと当時から言っていた。(そして公言通り進学した) お父さんは新潟の教育委員会のお偉いさんであり お兄さんは京大を卒業した後、東大大学院へ。 同時に新卒として2人

vol.1_11高校生時代③(強豪or弱小)

部活は大手企業とベンチャー企業の差と似てる ここで皆さんにも少し考えてほしいことがある。 いつも生徒さんの進路相談に乗る際に悩むこと。 高校で部活を本気でやりたい生徒に対して、 強豪校を提案するべきか(ブランド力重視) 弱小校を提案するべきか(即戦力としての経験値重視) もちろん答えなどない。もちろんプロに行くくらいのレベルであればメディアに取り上げられるくらいの強豪校で、大活躍をしてくれればいいと思う。 現に高校で野球がやりたいということで 修徳高校(東京)に入り、

vol.1_12高校生時代④(骨折と海外研修)

骨折 突拍子のないサブタイトルであるが、 高1の2月後半にサッカー部の朝練で 川口は右足首を骨折するハプニングを起こした。 乾いた木がミシッと折れるような音をその場に居合わせた人たちはみんな聞いたという。 足が折れて咄嗟に思ったのは 「今日の朝の小テストどうなるんだろう」だった。 ただその他にも骨折には色々な弊害が待ち構えていることに川口はまだ気づいていなかった。 まず1つ目、大好きな大滝先輩たちの学年の最後の大会に出られないこと。 そして2つ目、クラス替えのタイミング

vol.1_13高校生時代⑤(いざ、オーストラリアへ!)

オーストラリア研修 無事に日本出発日に抜糸を済ませ成田空港へ。 この頃には、車椅子・松葉杖の使い方が相当プロ級に (最速記録出るんじゃないかって程、早く移動できるようになっていた) 体が不自由になって今まで当たり前のことが当たり前じゃなかったことを痛感した。電車の優先座席も座るべくして座る人がいるんだなと改めて感じた。 オーストラリア研修での出来事を自分なりにまとめておく。 出来事①「空港のボディチェック」 初海外。初飛行機ということで、よくテレビなどで見るボディチェッ

vol.1_14高校生時代⑥(変な学習習慣で立ち向かう大学入試Ⅰ)

めまぐるしく変わる大学入試制度 川口たちの年は国公立を受ける受験生は 5教科7科目勉強しなければならなかった。 少し前までは5教科6科目で、 その後英語にリスニングが追加されて、 数Cがなくなり 5教科8科目となり いよいよセンター廃止へ めまぐるしく変わる入試制度でかわいそうなのが「浪人生」 浪人するとその次の年のセンターから太刀打ちできなくなってしまう年があるのだ。 夜8時寝、朝2時起きの生活習慣 絶対に真似しないほうが良いと思うが 私は自分の生活の中で、この生活習