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vol.1_7中学生時代⑤(別れと出会い)

別れは突然訪れる
中学2年生の6月、無事に英検に合格し
一学期期末テストも自力で5教科399点を取ることができた川口。智子との約束であった勉強する努力ができた暁には塾へ入れてくれるという話がようやく現実となることになる。

しかしそれは思ってもみない形で実現することとなる。なんと石井先生率いる信濃学園が夏明けに廃校になり、石井先生自体もこの地域ではない他塾へ転職するという話を石井先生の口から直接聞かされることとなる。他の生徒よりも先にまず自分に伝えてくれたことは本当に嬉しかったが、ようやく実現する通塾の夢が石井先生に会うためのものとなっていた私には、ぽっかり心に穴が空いたような心地だった。

そして第二の塾「栄光ゼミナール」へ
小林君もこのタイミングでNSGという新潟で有名な塾へ転塾し、私は栄光ゼミナールという塾へ転塾した。
栄光ゼミナールと言っても、全国展開しているあの有名な塾ではなく、たまたま同名の新潟に一つしかない個人経営の塾だった。講師は、塾長と新潟大学のアルバイト講師で構成されていた。
そこでは、ライバルとなる田中君とかなり切磋琢磨して毎日12時近くまで塾で勉強していたのを覚えている。今では青少年保護条例で厳しいが、塾長に車で毎回送迎までしてもらっていた。当時の塾では塾長が教室内でタバコを吸っている状態で驚いた。(昔は、映画館・新幹線・職員室など喫煙の幅は広かった。)

そして自己ベスト
塾に入っての最初のテストとなる2年生の2学期中間テスト。今でも鮮明に覚えている。前回のテストが399点だったのに対し、5教科で474点取ることができたのだ。

英語 92点
数学 100点
国語 93点
理科 98点
社会 91点
合計 474点

1年生の一番始めのテストで数学27点を取った自分がまさか100点を取ることになるとは全く思ってなかった。この時の学年の順位が10位。残念ながらこれ以降これを上回る順位を残りの中学校生活で取ることは出来なかったが、上位をキープすることには成功した。ちなみに最初に塾に誘ってくれた小林君は463点だった。その後は、テストの度にどれくらい勉強しているか逐一小林君の方から聞かれるようになった。

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