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先生が言った「質は量から生まれる」という言葉

「ほとんど毎日書く」という習慣が身についてきてので、記事の数もそれに呼応して増えてきた。

「ほとんど毎日書く」ことを目標にしていたのは、書き続けることが着実に上達していく方法だと思ったから。

僕の研究室に所属しているある准教授が「質は量から生まれる」と言っていて、このアドバイスを参考に、いきなり質を追求せずにとりあずたくさん書いてみようと思ったのだ。

この准教授は若くしてすばらしい業績を上げている方であり、頭がめちゃくちゃいい上に生徒の面倒もよく見てくれるという、できすぎた准教授なのだ。

この准教授の方に教えてもらうときに知識量や知見の深さに感服するのだが、そこに至るまでに血の滲むような努力があったのだと思う。

なかなか研究の成果が出ないときの焦りやプレッシャーなんかもあったと思うけど、そういう修羅場を乗り越えて若くしてすばらしい研究成果を残せたのだと思う。

実際、この先生は朝早くから夜遅くまで研究に励んでおられていて、めちゃくちゃ努力をされている。かといって生徒にスパルタ教育をするわけでもなく、生徒の自由を尊重してくれる。



僕は尊敬するこの准教授の「質は量から生まれる」というアドバイスを胸に、いい文章を書けるようになるためにほとんど毎日書くことを続けてきた。

するといろんな心境のときに文章を書くことになる。


とても満ち足りた気分のとき。

不安や心配事に押しつぶされそうなとき。

何でもできると傲慢になっているとき。

自己無力感にさいなまれているとき。

孤独を感じてさびしいとき。

絶望にうちひしがれているとき。


これまで書いた記事を振り返ると、そのときの心情がありありと蘇ってくる。

客観性がなくなった文章にならないように、あまり自分の感情を表に出しすぎないように気を付けているけど、精神的にしんどいときに書いた文章はどうしてもその感情がぼろぼろとこぼれてしまっている。

たとえばこの記事はゼミで担当している演習問題が解けなくて、相当焦っているときに書いた文章だ。僕は誰かの役に立つような文章にしようと意識しているけど、この記事では自分の悩みをただ書くような形になってしまった。

今読み返してみると、当時は相当追い込まれていたのが伝わってくる。本当に余裕がなかったのだと。

ネガティブな気分のときは書かない方がいいのだろうか。気持ちが落ち着いているときだけに書く方がいいのだろうか。



僕はやっぱりどんな気分のときでも書いていこうと思う。ネガティブな気分のときに書かないと決めてしまうと、ちょっと嫌ことがあったときに書けなくなってしまうから。

書くための条件を作ってしまうと、いろいろと難癖をつけて書くのをやめてしまうような気がするから。

自分の感情がぼろぼろとこぼれて客観性がなくなった文章になるかもしれないけれど、どんな状況でも書き続けて記事の質を向上させていこうと思う。

「呼吸するように書く」という今の自分にとってはありえない境地があるけど、そんな状態になれるのが目標だ。

気分が乗らなくても、ただ書くことに集中する。

その1日だけでみると小さな一歩かもしれないが、それが1年、5年と続いていくととてつもない進歩になると思う。



同じように、書くことを頑張ろうと思っている方と繋がれたらいいな。

クジラの歌のように僕の文章がどこかで同じような仲間に届くことを願って、どんなときも発信し続けていこうと思う。






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