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息子と過ごした夏休み

僕は聖教新聞に勤めて16年目の記者です。妻、小学1年の息子、幼稚園年少の娘と4人で暮らしています。2019年に第2子が誕生し、翌年にはコロナ禍のステイホームを経験して、子育てにもっと関わりたいと思うようになりました。そうした中、長男が「幼稚園に行きたくない」と宣言。小学校に入学してからも、学校に行ったり行かなかったりという今に至ります。家族と歩む中で、僕自身もメンタルヘルスを崩したり、部署を異動したり、いろいろなことを経験しました。それは、今も現在進行形で、僕という人間を大きく育ててくれています。そんなわけで、「育自」日記として、思い出を含めて書いていきたいと思います。

僕は何がしたかったのか? それは、息子の笑顔を守ること

「何か焦っていらっしゃいますか?」

2023年7月のカウンセリングでのこと。医師から、そう尋ねられました。
※カウンセリングを受けるようになった経緯はこちらに ↓

いつもカウンセリングでは、医師は「いかがですか?」と話題を僕に任せてくれます。仕事や子育てなど、テーマは多々あり得る中、7月のカウンセリングで、僕は付き添い登校を話題に語り出しました。

〝なかなか息子が、小学校になじまない〟
入学式で親子分離ができて、付き添い登校の中で丸1日学校に居られた。でも、頑張った反動で7月の出席日数は3日ーーそんな近況を話した際に、冒頭の医師からの問いかけがありました。

僕は「いや、まあ、それは焦りますよね」と答えます。
「それは、なぜでしょうか?」と医師。

「うーん」と少し考え、僕は再び話し始めます。
「自分としては〝短期決戦〟をイメージしていたんです。職場の部署を異動して、自分のエネルギーを最大限費やして、後押しする環境を整えて、息子が小学校という制度に順応できたらいいと考えていた。そうすれば、昔の生活に戻れると思っていました。でも、現実はそうならないわけで・・・」

そこまで話して、僕自身、ある矛盾に気が付きました。
〝元の生活に「戻る」? それって何かおかしくないか?〟。気付きつつ、話を続けます。
「子育ての経験を昇華して、新しく生まれ変わるくらいの変化を人生に起こす覚悟でいたんですが、〝昔の自分〟と〝今の自分〟が、けんかしてしまってますね」
※環境の変化(部署の異動)を決めた経緯はこちらに ↓

僕が話し終えると、医師がその流れを受けて、次のような趣旨で補足をしてくれました。
〝「対立」ではなくて、どのように「昔と今」を調和させ、変化していくのかが大切になってきますね〟

カウンセリングによって、僕自身のメンタルヘルスを整えていく意味でも、息子への寄り添い方を見つめるという意味でも、課題の本質を、丁寧に整理してもらったように感じました。

学校に通うことは当たり前で、学校に通えなくなっても、寄り添う中で、また通えるようになる。
これが、僕の中に、漠然とですが確かに存在した青写真、価値観ともいえるものでした。

部署を異動し、働くことと子育ての割合(費やす時間)を変えたつもりでも、根本的な価値観は昔のままだったのかもしれないーー。それを自覚したのは、このカウンセリングの後、夏休みの間に息子と過ごした経験が大きかったかもしれません。

夏休みが始まってからというもの、息子は、いつにもまして元気でした。「夏休みの何が楽しいの?」と聞くと「がっこうがないから」と。

そりゃそうだなと思いながらも〝1学期だって「行くのも行かないのも自由にしていいよ」と伝えてたじゃん〟と、ツッコミそうになりました。

ただ、あらためて考えると、毎朝、「今日は(学校)どうする?」と聞かれること自体、息子にしてみれば、気乗りするやり取りではなかっただろうなと思いました。

夏休みの宿題の日記

夏休みの日課としては、宿題を一緒にやりました。
宿題は、国語・算数のドリルやプリント、1行で書く日記、アサガオの世話などです。それを「毎日ちょっとずつ、一緒にやる」ことを息子と約束しました。

1学期も、自宅で勉強のサポートをしていたのですが、〝学校に行く、行かない〟というテーマが存在しない夏休みは、その分だけ、僕の意識を〝学習面での息子の特徴〟へと向かわせてくれました。

例えば、ひらがな・カタカナのドリル。
息子は「なんども、おなじもじをかくのがいや。ずっとみてると、きもちわるくなってくる」と言います。
(3文字くらい書くと、手を止めてしまいます)

次に算数のドリル。
「たしざん、ひきざんとかは、まだましかな。もじがすくないし」
「このいっぱいのもじのやつ(文章題)がきもちわるい」
「えをうごかす(図形の問題)のがめんどくさい」

なるほど。
教室に居られるかどうかに気を取られがちだったけど、勉強も細かく見ていくと個性があるんだな。

そこで、ドリルは時間を分散しておこない、同じ文字を繰り返し書かなくてすむ1行日記のやり方を工夫しました。

息子は話すことは好きなので、まず本人に、日記に書きたい1日の出来事を話してもらいます。そして僕や妻が字を書き、それを見ながら息子が日記を書きます。
「日記の線(罫線)をはみだしても2行になっても、気にしなくていいよ」と伝えました。(最後は紙が足りなくなったので、僕が用紙を作りました)

国語や算数の文章題は、文章を1行ずつ、僕の手や小物で隠しながら、読んでもらいました。一度にたくさんの問題をやるのは無理ですが、1問ずつだと、ほぼ、正解しています。

そうした経験を通して〝エネルギーは要るけど、息子に合った工夫をすれば、学ぶことはできるな〟と思いました。

そして、僕の休みの日には、都心や近所へ息子と一緒に出掛けました。好きなポケモングッズを探して、都内のショップを3カ所、電車で巡った日もありました。

そうかと思えば、自転車で近所を散策し、公園で虫を捕まえ、家の裏山にある枯れた竹で遊び、家の前で花火をしていたら近所の人が家庭菜園で採れたスイカをくださるという、〝もうその暮らし、東京在住じゃないだろう〟という思い出も刻みました。(僕が住む多摩地域は緑豊かです)

地域の夏祭りの様子

そして8月下旬、小学校がある地域の夏祭りに行きました。
息子は、顔見知りのクラスメートの姿を見つけ、祭りの会場である大きな公園の中を、大好きなトカゲを探して3時間ほど、探検に行きました。
時々、僕や妻の存在を確認しに戻ってくるものの、親と離れていた時間も、だいぶ多くありました。

祭りの景色を眺めながら、僕はこの夏を振り返りました。
〝息子は、自分のペースではあるけれど、勉強して、友達と遊んで、笑顔で夏休みを過ごせたな〟と。

そして、この「育自」日記の第6話で紹介した、僕が担当した紙面記事の「親御さんの言葉」を思い出しました。
「息子たちには好きなことを大切にして、自信をもって社会で生きていってほしい」

付き添い登校の日々に疲れ、〝結局、俺は何がしたかったんだっけ?〟と落ち込んだ夏休み前。答えは自分の近くにあったのに、見失っていました。

そしてこの答えに、僕の息子について付け加えることがあるとすれば、「社会で生きていくために、今、笑顔でいられる環境をつくり、守りたい」ということだと思い至りました。

祭りが終わり、夏休みの最終日、僕と妻は、息子に聞きました。
「学校、行きたくないの?」
息子は「うん、あんまり」と答えました。

そして2学期の初日から、「今日は(学校)どうする?」と聞くことを、やめました。

2023年も、間もなく終わろうとしています。
2学期を振り返って、息子が学校に行く回数は、激減しました。

でも、ゼロになったかというと、そうではありません。
息子はふとした拍子に、「あしたは、がっこういくわ」と言って、図工の授業に参加したり、昼から放課後にかけて学校に行って友達と遊んだりしました。

また、小学校が独自で整備している〝水辺の生物が棲める池〟があるのですが、その改修作業にも親子で参加しました。

僕自身の気持ちが少しずつ整理されていく過程で、一つ、前向きになれたことがあります。
それは、息子に〝発達検査を受けてもらおう〟ということでした。

(つづく)

聖教新聞の記者たちによる〝井戸端会議〟第2回。多様な親の思いを、お聞きください ↓

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