見出し画像

療育の教室で聞いた「スモールステップ」

僕は聖教新聞に勤めて16年目の記者です。妻、小学1年の息子、幼稚園年少の娘と4人で暮らしています。2019年に第2子が誕生し、翌年にはコロナ禍のステイホームを経験して、子育てにもっと関わりたいと思うようになりました。そうした中、長男が「幼稚園に行きたくない」と宣言。小学校に入学してからも、学校に行ったり行かなかったりという今に至ります。家族と歩む中で、僕自身もメンタルヘルスを崩したり、部署を異動したり、いろいろなことを経験しました。それは、今も現在進行形で、僕という人間を大きく育ててくれています。そんなわけで、「育自」日記として、思い出を含めて書いていきたいと思います。

一歩ずつ積み重ねること

行政に相談し、息子の「発達の凸凹」について理解とサポートをするため、療育の教室を活用することにした僕たち親子。
2022年5月、教室に通うに当たって、僕と教室長で面談を行いました。紹介された療育の教室は未就学児を対象としているので、関わってもらえるのは、小学校入学までの約10カ月間です。僕と妻、息子、皆の希望(息子の希望は妻から聞いてもらいました)をまとめると、次のような3点でした。

・将来的に自立できるように、少しずつ一人でできることが増えていってほしい(親)
・家の内外のさまざまな場面で、気持ちをコントロールできるようになってほしい(親)
・楽しく遊びたい(本人)


今になって、療育の教室のリポートを残しておいて良かったなと思います。リポートを振り返ると、息子は息子で「楽しく遊びたい」ときちんと意思表示していることに、あらためてハッとさせられます。息子の意思を確認してくれた療育の教室の姿勢にも感謝が尽きません。年齢が低くても、意思を確認していくということは、私の子育て観、そして仕事にまで、こののち、良い影響を与えてくれました。

さて、5月末、僕と妻と息子で、初めて療育の教室を訪ねました。予想はしていたものの、息子は教室のスタッフの方々への不信感(大人への人見知り)が強くて、「帰りたい!」「教室嫌だ!」と、叫ぶような感じでママにしがみついていました。週1回の予定で組んだレッスンは、実際には2週に1回行けるかどうかというペースでスタートしました。

息子と一緒に遊んだ公園で

当時の息子は〝不安行動〟というのか、夜中に何度もトイレに起きたり、日に何度も手を洗ったりしていました。それくらい情緒が不安定だったので、この頃の僕の目標は、療育の教室へ行く「パートナー」として〝息子に認めてもらう〟ことでした。
僕と2人で行ってくれれば、息子が叫んでもフロアを走り回っても万々歳、そう考えました。(そうしないと、妻が少しも休めません)

息子との信頼関係を築こうと、特に休日は、僕から息子を誘って、いろいろなところへ行きました。近所の公園、ソフトクリーム屋さん、ガチャガチャのあるお店、映画館・・・。本人の機嫌が良い時を選んで、10分くらいから始めて、30分、1時間、2時間、と時間を延ばしていきました。
最初のうちは、2人で過ごす空間に、かすかな緊張がただようことを感じました。息子が不登園になる前は、幼稚園まで、たびたび自転車で送っていたにもかかわらず、会話のネタが浮かばないのです。息子は何が好きなんだろう? 食べ物とかキャラクターとか昆虫とか爬虫類とか、今なら、あふれるくらい分かるのに、当時は思いつかなかった。

それは厳しく言えば、〝家庭の中で一応は父親であったとしても、息子という人間を、ちゃんと見ていなかった〟ということかもしれません。

※息子が不登園になった経緯はこちらに↓

息子から好きなものについて話してくれるようになり、会話がない時にも親子共に自然体で気まずさを感じなくなるまで、どっぷり3カ月くらい必要だったと思います。季節は春から夏真っ盛り、8月になっていました。

息子も、僕と一緒に療育の教室に行ってくれることが少しずつ増えました。ただ息子は依然として、スタッフの方々に食ってかかり、部屋の中には20分と居られないような状況でした。
スタッフの先生方は、息子について、「大人に対して本心をぶつけられるのは良いことですよ」と言い、粘り強く関わってくれました。

息子はだんだんと、変わっていきました。個別のレッスンルームには入れないものの、好きなアニメのキャラクターについて、その日の担当スタッフの先生に説明し続けるようになりました。その話をさえぎらず、耳を傾けてくれる先生方の様子が、今も印象に残っています。

療育の教室で一緒に手作りした思い出の品

10月になって、部屋の扉を開けたまま、3メートルくらいであれば、親が離れてもレッスンを受けられるようになりました。その時間についても、5分、10分、15分、と延ばしていきます。
息子の様子を見て、スタッフの先生方とも話して分かったのは、「自信のない課題が提示された時や、やりたいことが見つからない時、また自分が注目されなかった時に『帰りたい』という言葉で逃避行動が出る」ということ。
教室長の先生は「スモールステップを一つずつ積み重ねることが、本人にとって自信になると思います。スタッフの皆とも、その方針を共有しています」と語ってくれました。

僕(や妻)が、レッスンルームの扉から離れたり、扉を半分閉めたりしながら、息子の声だけを聞いている時間も増えました。
息子は、スタッフの先生がチラッと見せたカードに描かれた動物の絵を記憶して「イヌ、サル、ネコ、クジラ、ネズミ・・・」と、僕も覚えられないくらい正確に順番を暗唱したり、時には、自分で書いたひらがなやカタカナをうれしそうに見せに来てくれたりしました(その分、離席はしているわけですが、笑)。当初の本人の希望である「楽しく遊びたい」に沿って、スタッフの先生方は寄り添ってくれました。

「スモールステップ」

この言葉を、今もわが子の現状に焦りを感じたら、自分の心に言い聞かせています。頭では理解できるけど、実際に一緒に歩くのは難しいその歩幅を、勉強させてもらったし、今も勉強させてもらっています。

こうした歩みを重ねつつ、一方では僕自身に、体力的・精神的な疲労が蓄積されていました。例えば仕事。この頃は、記者として自身の力量に限界を覚え、人知れず重圧を感じながら働いていました。

(つづく)

聖教新聞の記者たちが、公式note開設の思いを語った音声配信。〝ながら聞き〟でお楽しみください ↓


この記事が参加している募集

#子どもに教えられたこと

33,158件

#子どもの成長記録

31,855件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?