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OD日記パート4-起立性調節障害&低血圧

Intro:初めに

どうもim(アイム)です。

これは私が起立性調節障害を発症してからの物語です。今回はOD日記パート4、出会い編です。

今回は、私が経験した病気による差別や不当な扱いがなぜ起きるのか、その原因や理論を説明していきます。

出会い編


社会は休むことを許容しない。

これはある特別講義で聞いたことである。
講義をしてくれたのは、記者で彼女自身「名前のない病気」を持つ当人だった。

診断されない不調を持つ人たちは私より辛い立場に立たされているのだと思う。私自身、診断を受けるまでは不安で仕方なかった。

長い間、私は自分が病気である事、普通の学生でいられないことに囚われていた。でもどこかで、病気を理由にできる事に安堵していたのだと思う。

話は戻るが、社会が休むことを許容しない、という事についてである。それはおそらく、日本の同一化を重要視する社会構造に起因するのだろう。

例えば、Aちゃんが一日一枚のペースで漢字ドリルをやっていても、Bくんが一日二枚のペースで漢字ドリルをやると、先生は「じゃあAちゃんも二枚できる」と考える。

しかし、果たして本当にそうであろうか。
双子でもない。ましてや兄弟でもない。同じDNAを持っているわけでも、同じパーソナリティーを持っているわけではない。なのに、先生はなぜそのように考えるのか。

それはひとえに「統一しやすい」、という理由故に起きる。

他例であるが、Aちゃんは漢字ドリルをやらなくてもテストで90点をとれる。しかし、先生は宿題である漢字ドリルを必ずやらせるのである。Aちゃんが漢字に対して、抵抗がないのは普段よく本を読むからだという理由があってもだ。

実は、これは私が小学時に実際に体験した実話であるが、この時小学生ながらになぜ教師はこうなのか、と思ってげんなりしていたのをよく覚えている。おそらく、この頃から私は教師という生き物が苦手になったのかもしれない(笑)。

つまり社会という大きな集合体は簡単に変化する事ができない。

まあ柔軟性がない。
特に日本という社会はまー遅い。
それはひとえに上の世代がまだ生き残っていて、
その影響力が大きいということもあるが。

とりあえず、社会は「共通する理念を、統一化する事」で物事をスムーズに動かしたいわけだ。

だからこそ分かりにくい病気や名前のない病気、
要は一定の基準にない人達を排除したがる。

そのシステムを知った時、凄くスッキリした気がした。何故自分がこんな理不尽な扱いを受けるのか、普通の学生になれないのか。病気である事を認められないのか。正直すごく悔しかったからだ。

不調は怠惰の象徴ではない。

そもそも休むことに理由が必要な事がおかしい。
私達は休む理由に証拠を提示しないと休めないような社会にいるのだ。長い人生を生き抜く中で余暇や休息は不可欠だ。だから辛いと思ったら休んでいいし、他と比べて焦る必要はない。

これは貴方の人生だ。自分のペースで自分が思う大事な事をこなしていけばよいだけだ。社会に追い立てられる必要はない。

まとめ

これにて出会い編は終了です。
OD日記パート4いかがでしたでしょうか?

今回は若干理論ベースの話になりましたが、どんな状況でも必要なのは、「何か起きたらそれがなぜ起きるのか」を考える事です。

つまりは「常に疑問を持つ」こと。

これが人生を生き抜く術です。なんか変だなと思ったら、原因を探してみましょう~。結局自分を助けるのは自分に他ならないのです。

他の人に頼る事も時には必要ですが、彼らは癒しを与え、解決の糸口を与えるだけで、根本的解決にはなりません。自分の人生を自分で操縦するハンドルを持ちましょう〜

ではでは皆さんおやすみなさい。

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