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OD日記パート1-起立性調節障害&低血圧

Intro:初めに

どうもim(アイム)です。

投稿二発目にして連載物をだそうかと思います。
これは私が起立性調節障害を発症してからの物語です。


はじまり編

高校一年生のある日、
受験が始まったあの日、
それは新型コロナ感染が東京でも急速に広がった頃、東京都にあった私の高校でも休校が始まって一週間ほど経った日、

私は突然動けなくなった。

「起立性調節障害」(Orthostatic Dysregulation)
こんな病名を聞いたことはあるだろうか。

これは自律神経系の疾患である。
神経伝達の異常から血圧が上がらず、その血圧の高低差で倒れたり、症状が重くなると体に力が入らず、動けなくなってしまう病気だ。

しかし、この病気は世間で広く知られていない。
それは何故なのか。知られない事によって、何が起き得るのか。私の人生を通して、知ってもらえたらと思う。

この病気には、明確な治療法も薬もない。
治療法としてあるのは、生活習慣を整える事と、
血圧をあげるといわれている薬程度である。

人形のようになった体

筆者である私が発症したのは高校一年生の事だった。

その日、私は実家にいて、二階の廊下を歩いていた所だった。しかし、歩いていくうちに、段々と足がおぼつかなくなって、しまいにはフラフラと右、左に体を壁にぶつけながら歩くようになった。

そして自分の部屋についた瞬間、

「ガタンッ。」 
と音をたてて、私の体から足の力が抜けた。

どう頑張っても起き上がれず、終いには体を支えていた腕の力も抜けた。

まるで人形のようだった。

それから私は自身のベッドに寝たきりになった。
自分の体が自分のものでなくなった。

その後、二週間程であっただろうか、その頃にはもう足だけでなく、全身に力が入らなくなっていた。それから私は約一か月寝たきりになり、そこから二、三か月生き地獄を過ごした。

学校、親、自分の体、それらすべてが私を攻撃し、痛めつけた。でも今ならわかる、これら全てが悪いわけじゃない。何事にも背景はあって、理由も原因もある。

だからこそ私は本書で、この苦しみがどこかの誰かに繰り返されないようにしたい。知ってもらう事で、防ぎたい。

親編

私が動けなくなってからというもの、私の母は毎日気が気でなかったと思う。その為か、私にはひどく怒鳴るようになっていた。

「ぐずぐずするな。怠けるな。だらしない。寝たふりをするな。学校に行きたくないだけだろう。恥ずかしい。みっともない。」

もう言われた内容も、言葉もおぼろげだけど、ひどく虚しかった事だけは覚えている。だって私にもどうにもできない事だったから。

しかし、段々と私の症状が深刻になっていくにつれて、母も真剣になり、いくつか病院をあたる事になった。初め近くの小児科を受診した際には、まだ母の中にイラつきがあったと思う。

ひととおり診断を終え、私は母を残して外に出された。後に母から聞かされたのは、驚きの言葉だった。

医師から言われたのは、
「精神科に行く事を勧める」という事であった。

それは、私にとって絶望だった。そして私が嘘をついていると思われざるを得なくなった。

親から徹底的に疑いの目を持たれる。そう考えた。
「信じてもらえない。」
高校生ながらに恐怖を覚えた瞬間だった。

その後は、様々な可能性を探して、都内の病院をいくつも回った。無駄に血圧を何度も測る病院や、血液の検査のみなのに、診断を受けるまで朝から夜まで待たされる病院もあった。

けれど私の症状が改善するわけもなく、それから症状はどんどん深刻なものへとなっていく。

病院をたらいまわしにされている間、私の体には新たな症状が現れるようになった。

ひどい食欲不振になり、体重は7キロほど減った。
食べ物のにおいを受け付けなくなり、食欲もわかなくなった。そして栄養不足から、身体に力が入らなくなる脱力感がひどくなっていった。人に寄りかかりながら、足を引きずってなんとか歩けるレベルだった。

そして、これから私が人生を共にする「起立性調節障害」という病気に行きついたのは、母の知り合いが同じような症状であるという話を聞いた事がきっかけだった。

その話をきっかけに、血液検査をしてもらった病院の(朝から夜まで待たされたあの病院でけだるそうにしていた)医師に紹介状を書いてもらい、東京医科大学の神経系の科に行った。

そこで初めて「起立性調節障害である、その病気の可能性がある」といわれた。詳しくは起立性低血圧の症状が当てはまると診断された。

この事は私にとってすごく大きな意味をもつ言葉であった。

初めて病気であると認められたのである。

あの頃から時がたった今となっては、母の気持ちも深く理解できる。病名も原因もわからないあの不安は計り知れないものであったと思う。

でも世の親に言いたいのは、「どんな状況であっても自分の子を信じてほしい。」という事である。行動には理由がある。実際にそれが身体面に起こっていなくても、精神面には必ず何かが起きている。(私の場合は完全に身体的に症状が現れていたが。)

まあ、完璧な人間はいない。だからこそわたしのようなケースがあるわけで(笑)。

前提として子と親という家族の関係において、「信じる」、「信じない」の選択がないという事を深く理解していただきたいと思う。

かつて子供だった私が求めるのは、
「何が起きても子供の一番の味方でいてほしい。」という事だけだ。

あなたもいつかは子であった。
私は大人になっても人は学び続けるものだと思っている。間違うことは恥じゃない、重要なことはそれをどうリカバーして、ミスを挽回するか。

私が今この記事を書いている理由はOD当事者だけじゃない。その親御さんにも当事者だった私がどう感じていたかを知ってほしいからだ。

確実に言えるのは今、目をつむれば子供と向かい合える機会を失うという事。だから、親のあなたも子と同じペースで学んでほしいと思う。

まとめ

OD日記パート1いかがでしたでしょうか?

この病気になってからというものの色々ありましたが、人間は不思議でつらかったことを忘れようとするんですよね。

この経験は忘れてはいけない、共有しなければ!と思い立ち、書き始めたのが大学一年生の頃です。どんな形でも誰かの共感ポイントになればいいなと思います。

次回は高校生編&大学生編カミングアップです。

ではでは皆さんおやすみなさい。


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