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ガザとウクライナ

こんにちは。あさです。ニュースで何度も報道されるたび、思うことがいくつかあって。



1.歴史

 この類の侵攻、戦争、内戦といった言葉のつくものには、歴史的背景が色濃くでます。ウクライナで起こっていることも、ロシアからしたら、もともとは自分たちの領土だったものを「獲り返す」ための戦争ですから、そこにはある種の正義があるわけです。


 ガザの侵攻に関しても、すごく複雑な国家間、民族間での対立やすれ違いが起こっていて、今ここには書ききれないほど多くの事情や思惑が絡んでいます。


 今に起こったことだけでなく、数百年、数千年単位での問題の延長線上にあると考えると、いかに人と人との対話が難しいものであるかが示されていると思います。




2.日本の子どもたち

 そして、こういった歴史が今まさに動いているこの瞬間のニュースをテレビなどで見る日本の子どもたちには、どのように映っているのでしょうか。


 わたしは現地の方々の計り知れない悲しみを背負うことはできませんし、気持ちに寄り添いたくてもあまりにも現実とかけ離れていて、なかなか難しいことだと考えています。


 なので、どちらかというと、こうしたよそで起こっている悲しい現実を見て、日本の子どもたちがどのように考えることができるか。もっといえば、どのように未来を創っていくことができるかということのほうにむしろ興味があります。



3.関わり方

 ドライに感じられるかもしれませんが、実際、こうした問題へのアプローチの仕方といいますか、関わり方というのは、様々な形があってよいと思います。


 例えば、少し話題が変わりますが元日に起こった能登半島の地震に関しても、現在多くの支援の輪が広がっていますが、私ひとりが現地に行ってできることは非常に限られています。下手すると邪魔にすらなりえます。


 もちろん、現地でボランティア活動に取り組む多くの方々のことを悪く言うつもりはなく、むしろ称賛されるべき素晴らしい行動力であると思います。ただ、この国の全員が現地に赴く必要はないと考えているんです。


 支援の形には、募金のように金銭的な援助もあれば、物資を届ける、がれき撤去に必要な重機を届けるといった様々な方法があります。


 また、国のように大きな組織が避難場所を確保したり、手当を支給するといった動きもまた支援ですし、全国の子どもたちが現地の子たちへお手紙を書いて送るというのも立派なかかわり方であると考えます。


 要は、自分自身がどのように関わるのかを考えることが大切なプロセスだということです。話を戻したときに、外国で起こっている争いに対し、私たち日本人(子どもたち)にできることは本当に限られていて、募金箱に小銭を入れるくらいしか、子どもには行動できることが思い浮かばないかもしれません。


 しかし、学校教育にはこうした社会問題に対し、自分たちにできること、考えられることをみんなで話し合える場があります。


 経済的に自立していない子どもたちにも、自分にできることや、日本が抱えている問題に落とし込んで考えることができる力を身につけてほしいな。そんな風に思うんです。




4.伝えたいこと

 今回、すごく大きな話題にふれたのには理由があって、我々日本人はあまり大きな争いごとに巻き込まれずに生活を送っているがゆえにこうしたよその争いに無関心な人が多いように感じます。もちろん私も含めて。


ですが、日本にだって戦争はなくとも経済格差は確実に存在しますし、貧困、自殺率、食料自給率、人口の減少、高齢化等、数えきれないほどの課題があります。


教職に携わる身としては、大人ももちろんですが子どもたちにも、ニュースで見かける「よそのできごと」を、自分事に捉えなおす力を身につけてほしいと思っています。



それは、長い目で見たときに確実に、世の中全体の平和につながっていくと信じています。

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