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春のような温かさがいつもある学校に… どれほど騒がしくとも どれほどそうすることが厳しくとも 〜心の宝物250

🌷『ないたあかおに』を2年生に読み聞かせる

コロナ機の学校
ある日、2年生の教室へ補充に入りました。
この頃は、本人だけでなく、同居家族の体調不良も、登校や出勤をしないことがルールになっていました。毎日、誰かしら教室にいない、ということが日常になっており、その誰かが先生であることも、決して少なくはありませんでした。

補充は、大抵は担任をもたない先生方が対応してくださいましたが、それでも手が足りないときは、私も行かせてもらっていました。

この日は急だったこともあり、絵本を読み聞かせ、感想を交流するという授業を急遽構想しました。私の大好きなひろすけ絵本の『ないたあかおに』です。母の膝で何回読んでもらったことでしょう。ここでは詳述しませんが、今の私をつくってくれたと思っています。

温かな挿絵、美しい日本語。シリーズとしては絶版になってしまいましたが、この本は現在でも版を重ねられています。
ぜひ子どもたちに触れてもらいたいと考え、勇躍読み始めました。

そうして、大好きなこの本の難点に気づきました。

長い。

私がゆっくり読んで12分と少し。読み聞かせの、それも低学年を対象とした絵本としては、長すぎました。
2年生の集中力の限界を超えてしまったようで、全体の4分の3を超えるか超えないかのあたりで、目に見えて落ち着かない子が増え、その雰囲気が増幅していきました。

脇に汗を感じつつ、懸命に読み進めながら子どもたちに投げた視線と、彼のそれとが合いました。瞬間火花が散ったかと思うほど、強い視線でした。
少し驚きましたが、大きな力をもらい、そこから最後まで、一気に読み終えることができました。

🌷どれほど騒がしくとも どれほどそうすることが厳しくとも


 先生の話を聴く、仲間の話に注目する。普段の教室と何ら変わらない、彼の誠実でした。
「こうちょうせんせいがほんをよんでくれる」というアドバンテージもとうに消え失せ、多くの子どもたちの期待や緊張感が解けてしまった教室で、彼は曇りのない真っ直ぐで強い視線と共に、私を受け止めようと全力を尽くしてくれました。

それがどれほど大変なことかは、容易に想像することができます。

あれだけ騒がしくなった教室で、君は、私の読み聞かせに集中する方向へ、自分の心を向け、行動を選びとった。それは決して当たり前のことではないと、実際に絵本を読ませてもらっていた私にはわかる。

長すぎた。私のミスだった。

無理なく集中できる時間を超えた後になお、その状態を続けようと思えば、感情をコントロールする強靭な意志の力が必要だ。
君が心で流した汗が、そのまま思いやりとして、エネルギーとして、私の心に届いた。救われた。力が湧いた。

そう。君は、聴くという行為が、話し手の心に、命そのものに、温かなものを届ける力があることを、ここでも示してくれたのだ。

君が全力で教えてくれたことを、体に入れ、私の言葉で、みんなに返していこうと思う。
聴くという営みが積極的な行為であることを、本校で受け継がれている「聞き方名人」とは「相手の全体を受けとめる名人」であることを語っていこう。
君に約束する。

そんな決意でお伝えしました。

かけがえのないあなたへ
素敵なきらめきをありがとう
出会ってくれてありがとう
生まれてきてくれてありがとう
どうか、ありのままで
どうか、幸せで

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