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大学選びはスプラッシュマウンテン

先日、ディズニーランドへ行って参りました。
アトラクション尽くしではしゃぎまくりの、夢のような時間でした。

〆は、みんな大好きスプラッシュマウンテン!!

スリルも待ち時間の夕陽も、頂上からの景色もカントリーミュージックの調べもキャラクターも世界観も何もかもが大好きなアトラクションなんですが、

私がディズニーランドの全アトラクションの中で、一貫して
スプラッシュマウンテンを愛する理由はただ一つ。

私の大学選びが、スプラッシュマウンテンのアトラクションそのものだったからです。


ーーは???

それは一体どういうことなのか。

話せば長くなりますが、ぜひお付き合いください。


制服ディズニー、願わくばもう1度やりたい

オープンキャンパス


高校3年間、私はずっと東京都内の大学を目指していました。
関東圏の他の大学は、興味ナシ。関西にも興味ナシ。

ゆる~い茶色の巻き髪にふわっと香水のかかったフェミニンな女性。
長めのネイルチップをストローに引っ掛け、駅前のスタバでフラペチーノを優雅にたしなむ女性。
空きコマには渋谷へくり出し、ベルシュカや109で私服を爆買いする女性。
赤坂や青山・六本木の高級ホテルの頂上でアフタヌーンティーを楽しむ女性。
スナイデルのワンピースに身を固め、グッチの鞄を腕に、ディオールの新作をお買い上げになる女性。
1限前の朝活で、新宿の純喫茶でモーニングを堪能する女性。
インカレで他大学の男子とご飯に行きまくる女性。
サークルの合同新歓で、先輩のお金で池袋の飲み屋をはしごしまくる女性。
中目黒のサロンで、ご指名付きで10000円のカットをしてもらう女性。
秋シーズンには、他大学の学祭に足繫く通う女性。
企画展が入れ替わる毎に、美術館に足を運んで帰りは深夜の川辺のバルで
シャンパンを楽しむ女性。


無機質カフェが似合うモノトーン姉さんに憧れてました

・・・私の中での「女子大生」のイメージは、こんなものでした。

「都内の」、「キラキラ」、「女子大生」。
になりたかったです。それが中学生からの将来の夢でした。


高校1年生の夏休みに、オープンキャンパスに行きました。
夏の日差しを受けた都心のキャンパスの活気。
垢抜けたお姉さま方。
ちょっとだけ年の離れた大人たちの、楽しそうな笑い声。

全てがキラキラしていて、自分には似つかわしくない空間でした。

自分の着ていた地味な制服が無性にボロボロに感じられました。
自分が暮らす世界が、矮小なものに思えました。
劣等感と、虚無感と、悔しさでいっぱいになりました。

地域の「格差」という言葉を初めて体感した出来事でした。

「こんな生活、1日も早く抜け出してやる。何がなんでも絶対に、
第一志望の大学で都心のキラキラキャンパスライフを送るんだ!!
地元なんて出てってやる!!」

オーキャンで同じ高校出身の先輩と撮ってもらったツーショ写真をスマホの待ち受けにして、先輩に続いて一刻も早く片田舎から足を洗おうと心に決めました。
(地元アンチでごめんなさい。今は大好きです)

一人暮らしをするつもりはありませんでした。
実家から、電車を使って都内に遠距離通学することを考えていたのです。

模試

模試の志望校判定では、第一志望の大学以外、書いたことがありませんでした。
第8志望には、文系選択なのに無理やり理系の学部を記入したものです。

東京での思い出写真をちょくちょく挟んでいきます @築地、まぐろ焼き

「第一志望以外の大学を書くことは、第一志望を心のどこかで諦めることを表しているんだ。私は、第一志望以外行きたくない!!!」という、
最高に意味の分からない強迫観念にとり付かれていました。

現在通っている大学の名前を模試で書いたことは、一度もありません。
オーキャンに行ったことも、資料を請求したことすらもありません。
その大学の名前を口に出したことすら、嫌っていました。

共通テストが終了した、あの時までは。

「あの大学に行くくらいなら死んだ方がマシ」


志望大学を変えないと、現役では合格できないと知ったあの日。
いや、知ってはいたし頭では分かっていたんですが、現状を受け入れることを心が拒絶してました。

詳しいことは別の記事でまた書きます。
共通テストで盛大にやらかした私は、「現役合格」という家庭方針に従う上で、志望校を変更せざるを得なくなりました。

第一志望の大学では、2次試験逆転合格はおろか、足切り点すら危うい
ラインだったのです。

ここで、私が譲れなかった大学選びの条件をランキング化してみました。

①大学の条件ランキング
1 国公立大学/文系
2 共学
3 実家から通学することが可能
4 自分の偏差値と同じ or それ以上の難易度
5 所在地が東京都

次に、現役で合格するために私が考えた作戦をランキング化しました。

②現役合格のための条件ランキング
1 共通テストの配点が低い=2次試験の割合が高い→ 一発逆転のチャンス
2 数学(=最大の苦手科目)を使わない
3 その他、理系科目を極力使わない
4 得意科目(=英語、地理歴史)の配点が高い
5 問題の傾向に独特のクセがない (→いわゆる「奇問」が少ない。)、  残り1ヶ月でも対策が可能

当時の担任教師や両親からの助言を参考にしながら、
自分が受験する可能性のある大学を洗い出してみました。


吉祥寺の雰囲気が大好きです

そこで、気付きました。ランキング①と②の両方をキレイにカバーできる
大学は、私がこの世で最も嫌いな大学であることに。

「5 所在地が東京都」は満たせないものの、他の条件は網羅していました。

逆に、それ以外の大学は、どこかしらの点で重要条件を満たせなかったのです。


傲慢な私は、その事実を受け入れるまいと心をロックしていました。

共通テスト終了から1週間後。
「もう、○○大学しかないよね」
車に乗った瞬間、高校へ迎えに来てくれた母から言われたこの言葉に、
私は激昂しました。

「は?あんな大学行くくらいなら死んだ方がマシなんだけど!誰が行くんだよ!人生100年とか言われる時代に、こんな忌まわしい学歴をずっと背負って生きていかなきゃいけないのかよ!!」

※受験期の真っ最中で学歴厨まっしぐらでした。

そう怒鳴ったっきり、40分ずっと泣き叫んでいました。
家に帰っても、ずっと自分の部屋で泣きながら怒り狂っていました。
訳も分からず数学の参考書(青チャート)を壁に投げつけては
ページをビリビリに破く、という行為を1時間近く繰り返しました。

大好きな抹茶とほうじ茶で話を中和します

人生、終わった。


※大学にも大学関係者にも全方位に失礼な発言で大変申し訳ありません。
今は反省しています。


どうして、当時の私は、大学を親の仇のごとく忌み嫌っていたのか?

ーそれは、あの大学が「小さい頃から慣れ親しんだ裏庭」だったからです。

産まれた時からの因縁の関係


現在私が通う大学を、私がはじめて認知したのはいつだったでしょうか。

2、3歳の頃かと思います。

公園に遊びに行くルートとして、大学のキャンパスの1部を通っていました。


固めプリン&昭和プリンブームは、プリン好きに刺さる

母から聞いた話によれば、当時の在学生が、卒業研究のための撮影モデルとして赤ちゃんを募集しており、2歳の私が参加したとのことです。

2歳児にして既に、16年後に通うこととなる大学の構内に足を踏み入れたのです!

当時の記憶を鮮明に覚えています。
「生まれて最初の記憶」の可能性すらあります。


赤茶色のコンクリートの建物。
室内に舞う赤と白の風船。
同世代の赤ちゃんたち。
大きなレンズカメラ。
天蓋付きの、大きな白いベッドルーム。

若くておっきいお兄ちゃんとお姉ちゃんたち。

初めて会った「(同じ)大学の先輩」は、
新歓でビラを配ってくれた1個上の女子でも、
入試会場で机間巡視をしていた先輩でもなく、彼ら/彼女らだったと思います。

当時20前後なら、今は40歳前後でしょうか。

近所の風景には大学のキャンパスが大部分を占め、図書館・飲食店やデパートに行けば大学生の姿をしょっちゅう見かける。そんな毎日でした。
幼少期の想い出に、その大学はいつも隣り合わせだったのです。

4歳の時に、私は別のまちへ引っ越しました。
同じ自治体内の別の地域です。


@原宿 オレオケーキも憧れがあった

小学生の時、夏休みの理科の実験教室セミナー(?)で、その大学の先輩が教授のお手伝いとして理科室にやって来ました。

中学3年間、毎年6月になると、その大学から実習生が来ました。
高校3年間も、毎年、その大学から10人近くの実習生が来ました。

冬休みに、その大学の先輩が、放課後の学習支援スタッフとして、中学校にやって来たこともあります。連立方程式の立て方を、当時大学2年生の男子の先輩から個別で教えて貰いました。

中学2年生の時、その大学が主催していた2泊3日のキャンパスツアーに参加しました。ツアーバスに乗って大学の研究機関を巡りながら、女子中学生向けの模擬授業を受ける、というものです。

※ちなみに、その時に授業をしてくれた女性の先生と、大学初年度のオンライン授業で再開しました。今考えれば、すごい経験させて貰ったんだな~


高校時代に1年だけ通っていた予備校にも、その大学に通うチューターさんが沢山いました。休み時間にはたくさん喋りかけてくれました。

高校の合格体験記にも、毎年必ず、その大学に合格した先輩が取り上げられました。

このように、18年の人生でずーーーーーーっと縁のある大学だったのです。大学受験を志す前から、私が思い浮かべる「大学」の脳内イメージそのものでした。

で、先のオープンキャンパスの話を思い出していただきたいのですが、
生活圏を出て都内のキラキラ大学生になりたい」が私の人生の目標でした

生まれ育った場所に居を構える大学になど、当然、行きたくありません。
小中高ずっと生まれ育った土地で、キャンパスライフ。

(※高校自体は別の自治体でした)

近すぎる存在な故に、大っ嫌いでした。
親に反発する、反抗期の中学生みたいなものかもしれません。

灰色の4年間

結局、私は第一志望をその大学に変更しました。
大学生活に対して、夢も希望もロマンも、何も抱けませんでした。

入学者向けパンフレットが家に届いても、ブルーでした。
大学入試の口コミサイトを開いて大学への匿名の悪口を探しては、
薄暗い部屋で1人でブツブツ大学の悪口を言っていました
(※ごめんなさい)

入学式用のスーツ探しも、大学用のSNSアカウントを開設するのも、
全てが陰鬱で、無性にイライラしていました。

大学準備のプロセスすべてが、私の神経を逆撫でしました。

「くだらない」と言ってため息をついては、
インスタを開いて都内の大学に進学した先輩のストーリーを貪りました。


お台場は、小さい頃に電車で連れてってもらった記憶。

灰色の4年間が、うすく私の前に広がっていました。


全国からやってくる仲間


私が入学したその大学には、全国各地から学生がやって来ました。
北は北海道から南は沖縄まで、いや、国内外を問わず、
私には想像もつかない重さのバックグラウンドをしょって、
はるばる入学してくるのです。

自己紹介では、出身地を言わなければならないことが、
とにかく苦痛でした。
新歓、部活、サークル、初回授業、クラス、イベント各種。

「私は、視野の狭い・自立心も行動力もないつまらない人間です」と自ら名乗るようなものだ、と。いつも赤面してました。

『地元あるある』を聞くのも、楽しい反面、「自分もそっち側にまわってみたかったなあ」とひそかに悲しくなっていました。

1度でいいから、「福岡県出身」や「大阪府出身」などと言ってみたかったものです。方言を持つ友達が羨ましかったです。

土地のアイデンティティをアクセサリーのように身に付けられて、お洒落でかっこいいなあと憧れていました。
(ないものねだりですね)

豊洲のチームラボにて

タバコ感覚でインスタを開けば、
(受験の反動で、インスタ中毒絶頂期でした)

都内に進学した300人分の日常が、都会の香りと共にぶわっと流れ込みます。

余計にむしゃくしゃしました。癪に障りました。
新生活の気概が、画像越しによく伝わってきました。

で、「見てらんないな」とスマホから目を離せば、
今度は。めちゃくちゃ濃くて面白い話をたくさん背負ってきた同期が、
痛いほどに眩しく目に映るのです。


狭い世界の住人


案の定、大学に入って聞かれました。
「地元を出ようと思ったことはないの?」

この趣旨の質問を、2年間で何度受けてきたでしょうか。

そろそろ、返すテンプレートが固まってきたように思います。

「もともとはね~、都内の大学に電車で通学しようと思ってたんだけどね~」とヘラヘラ笑顔で負け惜しみを吐くのも見苦しくて、

かと言って「地元が大好きだから出たくなかったのー!」と言えば
負けた気がして。

聞かれたくないわけではありませんが、未だに困る質問です。

親元を離れたい・新しい世界に飛び込みたいという動機で大学を選んだ
同世代と、その発想が持てなかった「意気地なし」の私。
劣等感の塊でした。

同期にはきっと、ずっと生活世界を変えない私の進路選択が、純粋に不思議でたまらなかったのでしょう。好奇の目を向けられることも多かったです。

「同じ場所で生きてきて、つまらないな、もっと広い世界に行ってみたい
と思ったことは無かったの?」

純粋な知的好奇心から飛び出した問いだったのでしょう。
別にその発言が悪いとも思わないし、責めたい訳ではありません。
私が同じ立場だったら、同じ発言をしていたと思います。


@下北沢


なのに何故か、今にも消えたくなるくらいに悲しくて、
自分の存在意義を全否定されたと錯覚して、
家に帰って泣いていたのを覚えています。

「ねえ、私ってやっぱ狭い世界でしか生きたことない、価値のないクズ人間だと思う?ねえどう思う?」 
ガチギレ寸前のメンヘラ彼女の如く、血相を変えて親に質問攻めしました。


狂ったように何度も聞くんで親に怒られました。


サークルの先輩にも、
「一度でも、地元を出てみようとか考えてみたことはなかったの?」と幾度か質問されました。

この質問には気の利く返しができず、なぜか勝手に傷ついていました。

勝手に大学コンプレックス

「地元を出ない」&「都内ではない」コンプレックスを抱いて自暴自棄になっていました。

大学の通学路、移動教室、すべてにむかっ腹がたちました。

アスファルトも駅舎も建物も自然も、全てが野暮ったい。

イライラが止まらなかったので、私は、大学周辺部を東京に見立てるお遊びを始めました。

東京だと無理やり思い込ませないと、精神が持たなかった。

カフェランチ:「都内の大学生は毎日こんな感じのお昼なのかな…」と思ってた

大学の最寄り駅を「丸の内」に見立て、大学付近の地名を都内某所にすり替えていきました。

大学北部を「恵比寿」、中央部を「青山一丁目」、南部を「港区」、
西部を「代官山」と名付けました。大学の近くにあった池を「井の頭恩賜文化園の池」と、近くの公園を「新宿御苑」と呼びました。
体育館を「国立競技場」と呼びました。
(※土地勘めちゃくちゃで田舎者が一発でバレるやつ)

大学付近を車で走る行為を「品川ナンバーで首都高を走る」と命名しました。

郊外型ショッピングセンターを「新宿ルミネ」と言い換え、
ローカル商業施設を「サンシャインシティ」と呼ぶ。
駅前の飲食店街を「アメ横」と言い換え、
大学の購買部を「表参道ヒルズ」と呼ぶ。

あんバターサンドにハマっていた当時

家では、丸の内にお出かけに行く気分で身支度をしていました。
「六本木ヒルズにいて浮かない」外見を目標に、1日2時間かけて
身なりを整えました。

マッサージ、メイク、服選び、ヘアケア、ヘアセット。
シルバーアクセで身を守り、ヒールをカツカツ鳴らして、
200度のコテでグリグリの外巻きにしたハイトーンのロングを無造作に流しました。

どれだけ背伸びしても、インスタの中の都内の大学生には足元にも及ばない気がして、
「なんでこんなに垢抜けないんだろう」が口癖になっていました。

高校の友人に会えば、大学の自虐ネタばかり。
今思えば「何あんなこと口走っちゃったんだろう」と思える罵詈雑言も、
大学にたくさん浴びせてしまった。

家では大学の悪口しか言わない。
「今日も○○な目に遭った、最悪。さっさと退学したいわこんな場所」
「恥ずかしすぎて大学名言いたくないんだけど。就活で大学名詐称しようかな」
(今すぐ謝りなさい案件でしかない・・・ごめんなさい)

どの口が言ってんだって話ですよね

新橋のモーニングにはしゃぎまくったあの頃

浪人生の友達に会うと、これまた、ないものねだりの典型で、

「浪人が許される家庭方針の家に生まれついて幸せだな」と、
ジェラシーを燃やしてました。

そして、「どうして私は、傍から見れば現役国公立というある種の『成功ルート』に乗れたのに、こんなに不幸せなんだろう。」と、自己嫌悪に陥りました。

SNSで目にする「普通の大学生活」に憧れました。
大学生活に、「普通」なんてあるはずもないのに。

「一般的な、それなりに充実した大学生活」は、都内でしか成し得ないものだと思い込み、地域格差を感じました。

ここまで思うならどうして都内の大学行かないんだよ!って話ですよね。
高3当時のこだわりが、今は不思議です。

大学アンチのピーク

6月のある日。
サークルのイベントで都内某所を訪れた帰り、渋谷に寄りました。
コスメを物色する大学生も、街を歩くカップルも、
身に付けるもの全てが洗練されているように見え、
3年前のオープンキャンパスと同じ惨めな気持ちになりました。

決して乗り越えることのできない壁を、一方的に感じました。

「あれ。私、何やってるんだろう。こんな惨めな思いをしたくなくて、
早く地元から飛び出して東京暮らしをするつもりだったのに。
どうして、あの頃から何も変わっていないんだろう」

帰り道に立ち寄ったカフェで食べたパフェの苦い味も、
落ちつかずに窓の外をキョロキョロ眺めてはため息をついたのも、
「自分が垢抜けないダサい人間だと周りから思われていないか」と怯えたのも、痛々しいほどに覚えています。

「旅行好き」の原点


私は、以前のブログで何度か旅行記を載せました。
私にとって、大学生活の確固たる軸の1つが「旅」であり、
旅によって精神の健康がはじめて保たれる、とさえ思っています。

大学入学後はじめての旅行先は、青森県です。

弘前市のスタバの建物が大正レトロできゅん


サークルの旅行の募集に手を挙げました。
しかし、お察しの通り、旅の動機はきわめてネガティブなものでした。

 一刻も早く、とりあえずこの場所から出たい。そして、「せまい視野の人間だ」と周囲から馬鹿にされたくない。
(※拡大解釈で「同期全員から馬鹿にされている」と思い込んでいました)

中3の修学旅行以来、家族以外との「旅行」をしたことがなく不安でしたが、コンフォートゾーンからえいやと飛び出す感覚で、出発しました。

「とりあえず、どっか遠いところ行きたい」ということで、本州最北端・青森へ。

りんご!関東の猛暑から北へ逃げてきました。

見るもの全てが新鮮で、ワクワクしっぱなしの72時間でした。
宿の取り方も、割り勘方法も、街歩きの楽しさも、グルメ旅の味わい方も、
すべてこの3日間が教えてくれたように思います。

一種の「旅行の教科書」のような時間。

旅行が大好きになったのは、この体験がきっかけでしょう。

海の青さも冷涼な気候も心地よくて、観光地も一般道も、ずっと飽きない。
帰り道の盛岡冷麺も、平等院鳳凰堂も、仙台の大都会も、全てがおもしろく感じられました。

夜の飲み会も、移動時間も、ホテルのバイキングもひたすら楽しくて、
「この旅がずっと続いて欲しい」と願ったほどです。

夜さんぽをしてたら、趣深い場所が。

自分の悩みも、過去も、黒歴史も、全てがどっかへぶっ飛んだ時間でした。
伊達政宗像近くの展望台で夜景を見渡した時、
「今が1番楽しいな」と、心から思えたのです。

旅のメンバーも、面白くて優しくて本当に素敵な方々ばかりで。
「こんなかけがえのない思い出をもらったんだから、それだけでも
この大学に入れた価値あったな」と、はじめて率直に思いました。

1~4年生までの、色んな学部の、色んな話を持った人たちが集まった旅行で。

ドライブ中も常に「この大学入ってないと、いま目の前で繰り広げられてる面白い話聞けなかったもんな~」としみじみ感じました。

幹事の先輩はじめ、旅行に携わってくれた皆さま、改めてありがとうございました!


念願・平泉いけたー!

ところが。
最終日の夜、たまらなく地元が恋しく思えたのです。

津軽、八戸、青森市、盛岡、仙台。色んな土地を見てきて
広い世界だな~~と感動してきた私が、
今になってなぜ急に?!

帰り道に大学付近を通った時、夜の大学の図書館が視界の隅にちらっと見えた時、

生まれて初めて、キャンパスが無性に愛おしく思えたのです。

「この大学に入って、よかったな」
心の底から素直にそう思えたのは、初めてでした。

散々悪口言って、死んだ方がマシだとか言って、ごめんね

急に、胸の中が申し訳なさでいっぱいになりました。

なぜなのかは分かりません。

家に着いた瞬間の安心感も、半端なかった。
3日離れただけで、我が家(実家)がここまでも懐かしくなるのか?!と。


世界遺産登録されたての三内丸山遺跡は圧巻!ミュージアムも充実!


旅行のテーマ

旅行に味を占めた私は、今度は九州旅へ。
親戚の縁を頼り、長崎・熊本・大分の3県を堪能してきました。

小学3年生ぶりの久々のフライト。
流石にちょっと緊張しました。

阿蘇山の絶景を見ながらのアイス!

長崎市内のゆったりした雰囲気も、阿蘇の広大なカルデラも、
別府と湯布院の温泉街も、どれも楽しかったです

ですが、1週間近くが経つと、急に寂寥感が押し寄せました。


結局、帰りたい場所は地元にあったのでした。

自分が一番「自分らしく」、
すっぴんとパーカーの自然体で生きられるような、
素直で居られる心の在り処が地元なんだと。

旅行に行くことと、地元を相対化することが可能になります。
「こんな観光スポットがあって羨ましいなあ」
「お洒落なお店ばかりでいいなあ」

そう思うことも多少はあります。

かき氷のシャベルがかわいい

が、どんな観光地に行っても、どんなに美味しい映えスイーツを食べても、

「やっぱり地元には勝てないんだよなあ」
と、心のどこかで思ってしまいました。

あんなにも嫌いだった街が、実は大好きな場所だったんだと、
何度も痛感した夏休みでした。

私の人生観を揺るがす夏になった、と言っても過言ではありません。

「都心のキャンパスライフ」疑似体験


とはいえ、相変わらず都心へのジェラシーと地元コンプレックスは
抱えていました。

9~12月は、大学の授業に専念しました。


12月に後期の授業が1段落着いた頃、都内に通い詰める生活を始めました。
「1年目に、ある程度頑張って勉強しなきゃいけない」タイプの学部に所属していたため、大学受験が終わった高校3年生のように、狂ったように遊びました。

「月、水、金の週3日は都内に出て遊ぶ」という謎のノルマを自分に課し、
有言実行しました。
この生活を3か月続けました。

「いつ命が無くなるか分からないんだから、今のうちに遊んどかなきゃ。」
「就活がはじまって、社会人になってから、『もっと遊んでおけば』と後悔しないように、遊びの経験数をためておかなきゃ」

美術館フード好き

「遊びたいから」というよりも、「将来、後悔しないために」という、
不健全な焦燥感と強迫観念が、私を東京へと向かわせました。

毎晩インスタで映えスポットを調べては、「池袋 カフェ」「新宿 スポット」などと単語を打ち込み、血眼になって探しました。

「都内の私大に進学した友達よりも、自分が遊べていないのが許せない」
「私の方が受験勉強まじめにやってきたはずなのに、ちゃらーくこなしてきた友達の方が楽しそうに生きていてずるい。不公平だ」

隣の芝は青く見える、の典型ですね

『楽しそうな大学生活を送っている』(ように見える)ことへの嫉妬心と憎悪を昇華させるために、「都心のキャンパスライフ」を疑似的にでも体験しないと、気が持たなかったのです。


東京都現代美術館の「クリスチャン・ディオール、夢のクチュリエ」展が特に印象深いです

勉強から解放された反動もあり、とり付かれたように遊びました。

家に帰っても、「楽しかった」よりも「まだ足りない」という
焦りと憤りばかり募りました。

高校同期からも大学同期からも「片田舎から出たことのない、都会を知らない、可哀そうなつまらない人間」と思われているのだと思い込み、

そのレッテルを剥して欲しくて、ステレオタイプから抜け出したくて、
遊んではSNSに写真を上げまくっていました。

ディオール展のインパクト凄かったのでもう1枚!

おそらく、そんなこと誰も気にしていないのに。
被害妄想にまみれた拡大解釈なのに。

「都会への憧れ」が有毒ガスのように身をむしばみ始め、自分でも
「なんか最近、おかしな方向に暴走してるよな」と感じてました。


自由学園名日館 @池袋

もちろん、都内通い詰めの生活は楽しかったです。
あの時期の写真のフォルダは、キラキラ輝いています。

「高校時代の芋臭かった自分が、数年後にこんなお店に来るとは思わなかったよな~」と思うことも何度もありました。

あのいまいましいオープンキャンパスを思い返しては、
過去の自分と比較して優越感に浸っていました。

でも、そんな日常も、空虚になっていきました。

最初の頃こそワクワクが止まらないけど、
流行りのテンプレートも、飲食店の価格帯も、街のつくりも、
ある程度分かってきて、「慣れ」が生まれてきました。

大好きなカフェ巡りも、カフェの系統やパターンが類型化できるようになると、新しいお店に行っても「あ、このパターンね」で終わってしまうように。

遊びが、もはや「サンプルの収集」作業のように感じられて、
しかも、家に帰った瞬間、スイッチが切れたように疲れが押し寄せました。

値段の高さが鼻につくようにもなりました。
「これ、大学の近くなら半分くらいの価格で楽しめるのに…」と思う機会も増えました。
(※その分、地元は最低賃金が低い)

とはいえ、当初の目的は達成できました。

大学1年目にして既に、
「もう遊び尽くしたから、いつでも就活準備していいし、
大学生活の『遊び残し』に未練はない」境地には達しました。


ショーケースからパンを選べるカフェ、大好き @清澄白河

中学・高校からずっと憧れで目標だった
「都心のキラキラ女子大生」すらも、いざ真似事をしてみれば、
「めっちゃ楽しい!人生勝ち組!パラダイス!!」とまでは思えず、

「私は何がしたかったんだろう」と余計に悲しくなりました。
人生の目標というか、指針がひとつ消えた気がして、

いよいよ本格的に、「大学生活で何を楽しむべきか分からない」状態に陥りました。

正解も何もあったもんじゃない、と分かってはいたのですが。

面白い人たちしかいない


大学の友達にどんな人が多いのか。ここまでのパートでもその片鱗が
ちょこちょこ見えてるのではないでしょうか。

私の周りには、「心から好きで、ついつい延々と語れってしまう何か」
を持っている学生が多いように感じます。

哲学、日本史学、電子工学、情報メディア、地理、菌類、言語、美術、西洋文学、音楽、建築、都市計画…本当にその学問をこよなく愛していて、今の学部学科を・研究室を、選んだんだな、という人たち。

自由が丘さんぽ

何も、学問領域に限った話ではありません。

ミュージカル、美術館、温泉、ゲーム、ボカロ、音楽制作、世界旅行、廃墟、商業施設、オカルト、鉄道、Kpop、メイク、ファッション、アイドル,,

「オタク」という言葉で片づけるのも勿体ないくらいの、
『これだけは絶対負けない!』という愛情を持って、
生き生きと、堂々と、心から楽しそうに

その魅力を教えてくれる人たち。

しかも、「ねえねえ聞いて!」と押し付けがましく布教するのではなく、
大手予備校講師のように面白く教えてくれるのです。

「自分の好きなモノを、好きではない人の目線に立って、ユーモア交じりに面白おかしく説明する」のって、かなりのスキルを要求されると思うんですが(私にはできない)

語彙力もプレゼン能力も言語化能力もアドリブ力も凄まじくて。

当然のようにやってのけちゃう凄い人たちだらけで。
すげええええ、、、やべええ、、!
と心の中で思わず引いてしまうことが多々あります(良い意味で)

固めのプリンと暗めの照明

私はTBSのバラエティー番組「マツコの知らない世界」が好きなんですが、
まさに、あの番組に出演していそうな、面白い人ばかりです。

特定のコンテンツを好んでいなくとも、
趣味や価値観、サークルや授業、日常のくだらない話でさえも、
とにかく強烈に興味深い。
ちょっと一線を画す、独自の世界観を持った人が多いように思います。

偏差値や知名度等々の、分かりやすい「世間の物差し」ではなく、
「気になる教授がいたから」、「大学のホームページに載ってた先輩の卒論タイトルが気になったから」をはじめ、直感的に選んだという学生も多く、
驚いています。

「なんだそれは?!」とひっくり返るような、ぶっ飛んだ動機でやって来た人もいます。

※私はと言えば、前述の通り、
受験戦略と世間の尺度でしか大学を選べませんでした。

「この人は何者なんだろう」と、もっともっと深堀りたいし、中身を知りたいし、もっと言動を観察してみたい。

見た目はミーハーな「the・大学生」なのに、
果汁100%のコテコテの個性を内に秘めた人間の集まり。

繁華街から少し離れた古民家カフェでほっと一息 @ 池袋

文化人類学専攻の私が、こんな同世代を前に興奮しないはずがありません。

「もっとあなたの話を聞かせて!どんな幼少期やったん?人生の原体験は?
ターニングポイントは?思春期はどんなメンタリティーで生きていた?」

目の前で喋る人物を単純に「知りたい」という強い欲求を持てるのって、
実はすごくありがたい状況なんじゃないか、と最近思います。

1人あたり3時間カフェに拘束してインタビュー取って、フィールドノートにメモって論文にまとめたいくらいには興味があります。
もはやキャンパスに居ること自体がフィールドワークになっているようにも思えます。

「何食べたい?」と聞かれて返しがちなのが「ナンカレー!」

ちなみに、私がカフェ大好きな理由は、「基本的に、ずっとくっちゃべってられるから」です。(コロナ禍以降、時間制限アリのお店も多いですが)

サシ飲みも夜ご飯もまだできる仲じゃないよな…という関係の友達と、
同じドリンクを共有して、とことん自己開示できる。それが、レストランにも学食にも居酒屋にもない「カフェ」の魅力なんじゃないかと思ってます。

※カフェ愛についてはまた別の記事でかきます

中学や高校までの友達とはまた一味違う。大学は、
「世間に迎合した優等生に見えて、実は俗世と一線を画した、
最高にヤヴァくてカッコいい大人たち」の集まりでした。

※大学の友達については語り出せば止まらないので、ここらで自粛します

「好き」を貫く同世代


そうするともう、自分が他者評価や相対的な基準で生きていることが
ほんっとうううにバカバカしく思えてくるんですよ

以前、#推し活勉強法~大学編~で、推し活が内的動機づけであると書きました。

外的評価だけで生きてきた私が、ベクトルを自分に持ってくることができるようになったのは、紛れもなく大学の人たちの影響です。

私の人生哲学、思考のフレームワーク全部ぶっ壊して、180度変えてくれました。
大げさに聞こえるかもしれませんが、毎日がパラダイムシフトでした。

サークル友達との箱根旅行

「やりたいことをやれ!」
「周りに合わせてどうすんだ!」
「お前は毎日、ちゃんと自分が好きなことできてんのか?」

廊下ですれ違って挨拶する時でさえ、こんなアツいメッセージを
掛けられているように感じます。

自分が好きなコンテンツを、心からのキラキラ笑顔で語る人間が、
たまらなく美しいんだということを、
この大学は教えてくれました。

草津温泉:湯畑を見ながらのぷりん♡


真の ”キラキラ大学生” とは、「SNSにキラキラした日常を上げる学生」ではなく、「SNSを見る暇もないほど自分の好きなモノに没頭し、その生き様が、周りから見て最高にキラキラしている」大学生を指すのではないか。

と、感じるようになりました。

加えて、大学の友人たちには、
「自分の信念を持ちつつも他者へのリスペクトを忘れない人」
という印象があります。
方向性の違う人たちが居心地よく共生する朗らかさがあります。

入学して1年近くが経つと、そんな醍醐味が分かるようになってきました。
噛めば噛むほどウマい、スルメみたいな大学です。

こちらも、箱根彫刻の森美術館

授業が好きすぎる


大学を構成する上で欠かせないパーツである「授業」。

前回の記事では「推し授業しか取らない」とほざきましたが、
なんだかんだ、必修も、イヤイヤ取った選択必修も、

最終日には「面白い」が勝つことが多いです。

もちろん、
うわあキツイなあ、しんどいな、取らなきゃよかったな、、、という感情も多いですが。

100単位近く取った感想としては、トータルで「面白い」!


汐留のアドミュージアムは無料なのが衝撃



高校同期の話を聞いて

2~3月には、高校の友達と久々に会ってご飯、という機会にも恵まれました。

私大文系、国公立理系、キャンパスが都心、などなど、色んなタイプの
「東京の大学生活」サンプルを耳にしました。
(20人くらい?)

そこで気付いたことは、
「楽しい大学生活を送っていそうに見える友達が、色々な悩みを抱えていた」ということです。

友達の金銭感覚に合わせるのがしんどくて、そこまで仲良くもない友達への誕生日プレゼントを買うために、割り勘で5000円取られた。「何やってんだろう、自分」と虚しくなった。

とか。

ドライフラワー♡

クラスの友達と仲良くなったけど、価値観の違いが浮き彫りになって、次第に距離が離れていった。

とか。

大学の授業がとにかく単調で、バイトもサークルもとにかくつまらなくて、
4年間の意義がよく分からない。

とか。

高校時代のように、夢中になって打ち込めるものがない。精神の置きどころが分からない。

とか。

大学の友達がお洒落すぎるあまりファッションやメイクに気を抜けなくて、人の目を気にしてばかりで、毎日疲れる。

とか。

大学のノリにイマイチ馴染めない自分が居る。

とか。

分かりやすい不満、という形では表出しないものの、
言動の端から、疲労感が伝わってきました。
愚痴や弱音をいろいろ吐いてくれました。

真夏のディズニーと言えば!

「あの子ばっかり羨ましい」と感じていた友達の生活が、
実際に聞けば、思ってたよりも大変そうだった。

自分が抱えていた悩みが、急にちっぽけなものに思えてきた。

ああ、自分はなんて、幸せ者だったんだろう。
どうして、自分が幸せだったことに全く気付けなかったのだろう。
つくづく思うけど、私ってほんとバカだな。
身の回りの幸せに、あまりに鈍感すぎる。



「大学での人間関係の築き方が分からない」という悩みをよく耳にしました。(私も未だによく分かりません)

話を聞くたびに思うのが、「私ってつくづく、大学の環境と自分の性質とが上手くマッチしてんだな」というものです。

そこで、分かりました。
私が、いかに「自分のパーソナリティに適した大学」に入学できたのか、ということに。

自分の置かれた環境が、いかに自分の肌感覚と適しているか。
「良い大学」というよりも、「自分に合った大学」ジャストだったんだなと、気付かされました。

キャンパスの空気も、敷地面積も、先生の顔ぶれも、組織体系も、サークルも、周辺の飲食店のレパートリーも、校風も、立地も、伝統も、授業も、イベントも、ノリも、何より、周りの学生も。

私の通う大学は、全てにおいて「波長の合う唯一無二の親友」なんだと。

肌質に合ったファンデーションを塗るように、
ブルべ夏の私がブルべ用のリップを使うように、
骨格ウェーブの私が骨格に合う華奢なブラウスを着るように。
暑いのが好きな人が沖縄県に住むように。

2月のムーミンバレーパーク、気分は北欧

「社会の最適化」や「適材適所」というワードがあります。私の大学選択は、収まるべき場所にピタッとパズルのピースがハマるような体感がありました。需要と供給が1点でぴったり一致するような。

「この大学に入らなきゃできなかったこと」をリストアップしました。

前述の青森旅行をはじめ、小さな日常の1コマからビッグな体験まで、
ありとあらゆる項目が溢れてとまりませんでした。
270コ洗い出せました。

あれだけアンチしといて、大学大好きかよ(笑)

そう。ある日、とうとう分かってしまったのです!!!


「え、いや待って待って待って、、、私って、大学選び、大成功じゃね?!
『受験失敗』とか言ってるけど、誰よりも大学とのマッチング成功してないか?!いやいやいや、大学受験勝ち組すぎないか?!」

(※当然、受験に勝ち組も負け組もありません。率直な心の声としてあえて使わせて頂きます。)

1年前の今頃は、あれほど「人生オワタ (^o^) 」とか言ってたのに!

何の脈絡もないけど、仙台の牛タンがほっぺた落ちたので。


担任の先生に大学話を1時間


3月。無事進級が決まったら母校に足を運ぼう、という謎ルールを設定していました。

進級が確定した私は、約1年ぶりに、1人高校に足を運びました。

再開した担任の先生と積もる話で盛り上がったのですが、
先生に驚かれたことがあります。

「こんな楽しそうに、自分の大学を語る人がいるんだ」

そんな言葉を掛けられました。

何も意識していなかったのですが、「大学生活はどう?」の一言に火が付いた私は、1時間近くノンストップで大学トークを展開していたそうです。

この後、スワンボートに乗りました(女子と)


淀みなく繰り広げられる大学の自慢話やらこぼれ話やらに、先生はちょっと驚いた表情を見せつつも、面白がって聞いてくださいました。

少々引き気味に「は、はい。はい…」と相づちを打ちながら、
ニコニコ話を聞いてくれました。

ひいい今振り返るとおそろしいい

「大学が楽しいです!って顔に書いてあるね(笑)」なんて言葉も。

※先生、お忙しい中大変失礼いたしました、長々とすみません。ありがとうございました…!

ふと、卒業式の最後のホームルームで言われた言葉を思い出しました。

「自分の好きなことに、周りが引くくらい狂ったように打ち込むような、それをついつい周りに語っちゃうような大人になってくれたら嬉しいです。そして楽しい話を肴に皆さんと飲める日を楽しみにしています!」


的な趣旨のお話を貰った気がします

まさに。そんな大人にいっぱい出会えた1年でした。

高校からの帰りのバスでは、
「あの言葉、今更ながらめちゃくちゃ沁みるな~~。
私が大学に入る前から既に、先生は答えを与えてくれてたんだな」と。
夕陽に照らされた車窓を眺め、胸がぽかぽかしました

※高3の担任の先生は、今でも尊敬する恩師です


夏休みは、日本三大花火のひとつ・大曲花火大会にも行ってきました~

はい、もうここまでくれば、認めたくないけど認めざるを得ませんね


大学が大好きだ!


久々のスプラッシュマウンテンで


さあ、ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。

こっからクライマックスです
分かる方には、どこがどうスプラッシュマウンテンなのか、
お分かりいただけたかもしれません。

1年が終わり、晴れて2年生になりました。(noteをはじめたのもちょうどこの時期です。はやいなあ)

女子友達とディズニーに行きました。
いつものようにスプラッシュマウンテンに乗りました。

いってらっしゃい!

カントリーミュージックの軽快な調べと共に、ボートはブレア・ラビットを追いかけて旅に出ます。

平凡で退屈な毎日。こんな生活、もうこりごりだ。だから旅に出る。
家には帰らない。

強い覚悟を決めて家を出たブレア・ラビット。

山を越え谷を越え、きつねやたぬきに邪魔をされながらも、道を進んでいきます。遥か遠い、笑いの国をめがけて歩きます。笑いの国が何なのか、どこにあるのかすら分かりません。

快晴ディズニー

いつもの見慣れたストーリーが、その日はなぜか、自分のことのように思えてきました。

遠い旅の終着点。絶体絶命の危機を乗り越え、いばらの茂みに投げ込まれまれる。

普段は、ビショビショになった友達と笑い合い、濡れ具合を報告し合うところですが。既にエモ具合は最高潮。

我が家に帰ってきたブレア・ラビットを仲間たちが笑顔で歓迎するシーン。

いつもの Zip-a-Dee-Doo-Dah が流れた時、自然と涙が溢れました。

「あ、このアトラクションって、私の大学選択だな…」

都内のキラキラキャンパスライフに憧れていた思春期。
もうこんな場所住みたくない、と住み処に嫌気が差した上半期。
退屈な地元から出ようと、意気揚々と旅に出た夏休み。
青森も九州も行った。
都内には何十回と行った。
なかなか辿り着かない、もはや形すらも分からない「笑いの国」を、
インスタの情報だけを頼りに、探し求めていた。
色んな人の話を聞いた。
先輩も、同期も、教授も、高校の先生も。
それでも満足できなくて、訳も分からず旅を続けていた。



でも、結局私は、とある場所に帰っていたのです。
いつしか、気付いてしまったのです。

長い長い大学1年の冒険を経て分かったこと。それこそが、


世界一嫌いな大学が、世界一の「笑いの国」だった




私が現在の大学に入学したのは、これを知るためだったんじゃないかと思います。

この大学に入学しなければ、分からなかった。
旅に出ないと分からなかった。

近くにありすぎるが故に、希少価値に気付けなかったのです。
いくら「あなたが思ってるよりもずっとすごい大学なんだよ」と
説明されても、
有名教授陣や研究者がテレビに出演しても、
腑に落ちなかったのです。

壮大な空回りのように思えた1年間に、
「私ってとことん生きるのに不器用だな」と落胆していました。

しかし。
この1年間は本当に無駄だったのか?

いや。全てが「笑いの国」を見つけるための旅路でした。

紆余曲折を経て、ようやく発見できた幸せなすみかが、
ずっと慣れ親しんだ大学でした。


今では、地元も、大学も、胸を張って堂々と話したいくらい大好きです。

「○○出身、○○生まれ○○育ち、○○在住の○○大学2年、生粋の○○民こと
~です!」あれほど嫌いだった自己紹介での地元暴露も、
今や完全に「つかみネタ」のテッパンです。

(※「ここまで地元を極めるのは逆にレアだよね」と言われます。
意外とウケる上に、相手に1発で認知されます)

幸せは、案外すぐ近くに転がっている。
幸せは、探し求めなくても、すでにそこにある。
我が家こそが笑いの国。

スプラッシュマウンテンが投げかけるメッセージは、
私が大学選びを通じて得た教訓そのものでした。

もし高校生の方がこれを読んでくださっていれば。

「行きたくない」と泣きじゃくっていた大学に対して、
1年後に、「入って良かった」と涙を流すこともあるんだよ

と、一個人の体験談として伝えてみたいです

私がどうしてこの大学を選んだのか、今でもよく分かりません。
冒頭で一応、経緯を説明しましたが、
それすらも後付けのストーリーのように思えます。

あれほど嫌いだったのに、大学なんて全国にごまんとあるのに、
なんだかんだあの大学を選んだのは、どうしてだったんでしょう。


直感的に惹かれる何かがあったのでしょうか。
これも何かの縁だったのでしょうか。

答えは分かりません。

高校の後輩から、「志望校決定の決め手」をしばしば聞かれます。
または、「進路選択の極意」を聞かれます。
偏差値なのか、立地条件なのか、就職先なのか…

私は、未だによく分かりません。

だって、「最も行きたくなかった大学」に飛び込んだ私が、
入学してしばらく経ってから、
「大学選びは大成功」だと認識してるんですから。

もう、自分でも何が正しいのか分からなくなってきます。

もし、夏休みにきちんと勉強時間を確保できていれば。
もし、共通テストでやらかしてなかったら。
もっと数学が得意な生徒だったら。
化学で赤点を取っていなければ。

受験は、今とは違う形で終わっていたかもしれません。
大学をブランドバックと思ったままだったかもしれません。
いつまでもいつまでも、世間体や名声に囚われて、
うわべだけの幸せを享受していたかもしれません。

「笑いの国」に辿り着くことなく、一生を終えていたかもしれません。


大学受験直後、「第一志望に行けなかった原因」を分析しました。
受験失敗談として、臥薪嘗胆の意味で大切に覚えておこうと思ったのです。

けれども、見方を変えれば、それは
「幸せな大学生活の伏線」でした。

言葉を変えれば、「大学受験成功の秘訣」でした。

共通テスト直前に勉強が手に付かなかったからこそ「笑いの国」に行けたなんて、誰が想像できるでしょうか。

人生何があるか分からないな~


なにはともあれ、この日のディズニー以来、
私の1番好きなアトラクションはスプラッシュマウンテンになりました。


過去イチの分量になっちゃった!
ここまで読んで下さり、ありがとうございました


最後の写真はやっぱこれで!


Zip-a-dee-doo-dah, zip-a-dee-ay 











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