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北海道下川町に移住した山口駿人さんのLOCAL MATCH STORY〜準備をしながら力まずそのときを待つ〜

移住を経験し、地域で活躍されている人を紹介する「LOCAL MATCH STORY」。
今回は、北海道下川町に移住された現役地域おこし協力隊の山口 駿人さんをインタビューしました。

Iターンとも呼ばれる、地方移住。実際に都市生活から地方へと居を移り変えた人たちにお話を伺い、何を想い、何に触れ、どうして移住をしたのか。今の暮らし、さらにその先は――をお聞きします。

プロフィール

山口駿人(やまぐち しゅんと)

群馬県渋川市出身。東京大学農学部修士課程中に北海道へ移り、札幌の住宅リフォーム会社でサラリーマンとして勤務。
2018年北海道上川郡下川町へ地域おこし協力隊として着任、DIY工房『木とDIYのある暮らし デクノボー』を設立。奥様とお子さんの3人暮らし。移住3年目。

“ワクワク”が生まれるまち 下川町

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写真:下川町は、豊かな自然と森林資源に恵まれた、人口3201人の街。ランドマークの万里の長城や、冬季に開催されるキャンドルミュージアムが有名。(写真出典:photoAC ueda-hokkaidoさん)

北海道下川町の人口は約3200人。町面積の9割を森林が占める、自然豊かな道北の町です。

内陸に位置するため降雪量はさほど多くはないものの、夏は30℃、冬はマイナス30℃となかなかに厳しい自然環境です。
それゆえに寒暖差から自然の移ろいが色鮮やかで、森や川などの資源を活かした観光にも近年力を入れています。
また、「伐ったら植える」をキーワードに60年サイクルで伐採と植樹を繰り返す「循環型森林経営」や木を余すところなく使うゼロエミッションの取組みを実践し、日本政府から2008年に環境モデル都市に、2011年に環境未来都市に、2018年にはSDGs(持続可能で強靭、そして誰一人残さない、経済、社会、環境の統合的向上が実現された未来への先駆者を目指す構想)未来都市として指定。サステナビリティと経済がリンクする新しいビジネスモデルの場として、国内外からも注目を集めています。

金や銅の鉱山と林業の町として発展していた下川町ですが、戦中戦後の鉱業の衰退に伴って住人が減少。80年代には人口減少率が北海道でワースト1の町となりました。その頃から町民に「このままでは町がなくなってしまう」という危機感が生まれ、町民主体の地域おこしの活動が始まるようになり、現在に至ります。

それから40年。2016年刊行の移住雑誌では「50歳から住みたい地方ランキング(人口2万人以下の部)」で全国1位を飾るほどの人気を集め、道内でも移住者が特に多い街として知られています。

山口駿人さんも、その一人。
群馬県渋川市出身の山口さんは、東京大学農学部で木材の性質や木造建築の構造についての研究に従事し、その頃から地方に居を置いて木や森に近しい場所に住むことを考えていたのだそう。
交流のあった埼玉県秩父市の森林に関するNPO団体に従事することも視野に入れてはいたものの、躊躇していたところ、以前から交流のあった人からの誘いで、その人が役員を務める札幌の住宅リフォーム会社にインターンとして勤めることになりました。

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リフォーム会社でリフォームの仕事をしなかった4年間

モエレ花火

写真:山口さんが手掛けた「モエレ花火大会」。音楽と花火の総合演出で魅せる、今や札幌の夏の風物詩となりました

いざ訪れた札幌。しばらくの間、その会社の社長付きの人員として鞄持ちや運転手を務めたのち、北海道最大規模の花火大会の事務局の専属として第3回大会の指揮を執ることになりました。
専門外の事柄ながら、実行委員会のスタッフや関係者らと力を合わせて無事大会を成功させた山口さん。その後も年を重ねるごとに来場者も増え、大会は毎夏2万5000人を集める北海道の一大イベントとして定着するほどにまで成長させることができました。

そして、迎えた札幌4年目の夏。
花火大会の事業は十分な実績と素地ができあがっていました。
時には、全国各地の花火イベントの旗揚げにも声がかかることも増えたそう。
とはいえ、日々の業務に取り掛かりながらも、山口さんの中には「地方に居を置いて木や森に近しい場所に住む」という考えが消えていたわけではありませんでした。

そんなある日、友人から「山口くん夫婦に合うからぜひ行ってみて」との紹介で、札幌で行われていた下川町のPRイベントに顔を出すことに。
2017年7月前半のことでした。

下川町を視野に入れてから、1年足らずで決まった移住

友人から紹介されたイベントをきっかけに、俄然下川町への興味が増した山口さん。奇しくも、同時期に赤ちゃんを授かったことが判明したため、まずは一人で同月末に移住体験ツアーに参加しました。
子どもがいる生活をどこで送るのか、いつ移住するのか……時期を鑑みつつ、照準が合ったかのように折に触れて下川町に個人的に何度も足を運んだそうです。
お仕事に関しても、誰かに引き継げる状況を整えつつ、会社や実行委員会からも現状から退いて移住することへの十分な理解と信頼も得ていて、後ろ髪を引くものはありませんでした。

同年の9月には奥様も連れて移住体験ツアーに参加。田舎暮らしに若干のあこがれがあったという奥様も「いいんじゃない?」と快諾し、家族の意思が固まりました。

翌年2月末に第一子を迎え、その年の7月、山口さん一家は下川町に居を移しました。
下川町と出会ってから1年足らず、夫婦のコンセンサスから実に半年ほどの超スピード移住が実現したのです。

なぜ下川町だったのか?

ワークショップの様子

写真:山口さん発信のワークショップの様子。おもしろいことがあるところに、人が集まります。

山口さんは、東京から札幌に来てからもなお秩父を定期的に訪れるほど、木や森の活動に関心を向けて実動していたといいます。その考えや言動は奥様の知るところでもありました。
ただその間、期日を決めて具体的にプランを煮詰めるのではなく、それが秩父であるのか、出身地の群馬なのか、奥様の実家のある札幌の近くなのか、どこで何をするのか厳密に定めず、広く構想を練るような感じだったといいます。
そんな長年温めていた想いを一気に具体化させた下川町。何がそんなに山口さんの心をつかんだのでしょう?

その答えは非常にシンプル――“人の活気”でした。

下川町は前述のとおり、40年以上の歳月をかけて今なお地方創生に熱心に取組んでいます。
鉱山の採掘など人の出入りが多かった時代を経て培われてきた、町民の移住者に対する敷居の低さに加えて、近年の移住プロモーション活動のおかげで、地域外からの移住者が年齢層広く多い。そのため、新たな移住者に対して門戸が広いのだそうです。

それに加えて、新たな事物にチャレンジする人に対して、応援する気質が町にあるとのこと。「何かを始めたい!」という人に、「まずはやってみれば」と背中を押す。何かを始めようと移住してきた人たちが集まってできた土地柄を思うと、納得の懐の深さがあります。

また狭い町ゆえに、コミュニティが近しく、人とのつながりが生まれやすいのも特徴。
町をちょっと歩いただけでも、すぐに友人とすれ違い、挨拶を交わし、ちょっと立ち話をする。
曰く、「道ばたで知人に会う率は高くて、札幌にいたときのほうが行き交う人は多いけれど、こんなふうに知人に会うことはなかった」のだとか。
情報も、自分が発信するより早く知れ渡っていることも。孤立とは無縁の場所なのです。

地域おこし協力隊“シモカワベアーズ”との出会い

下川町にはそうした“何かを始めたい人”やそれを“応援する人”というチャレンジにまつわる強い熱量があふれていて、山口さんはそこに惹かれ、下川町への移住を決断。
そこに迷いはなかったといいます。

そうなれば、自分は下川町で何をするのか。
17年9月以降、下川町のイベントで知り合ったタウンプロモーション推進部の移住担当者と、下川町でどんな仕事をするのかを相談。木に関わることのいくつか具体例を挙げたところで、担当者から下川町のタウンプロモーションの一環である“シモカワベアーズ”と冠された起業型地域おこし協力隊の存在を知らされることになります。

当時2期目の募集を始めたばかりのシモカワベアーズ。担当者から「応募してみない?」と打診された山口さんでしたが、そのとき起業をする気はさらさらありませんでした。
けれども、促されるように、「もし下川町で起業するならどんな事をする?」という企画を担当者と練ることに。

木が身近にある環境で働くことを望んでいた山口さんは、自身のもつ木材の知識を活かして、下川町に住む人たちの「〇〇したい!」に応えるDIYを生業に据えました。

推敲と吟味を重ね、シモカワベアーズに応募。そして採用。
晴れて2018年7月、地域おこし協力隊として下川町の一員となりました。

住んでわかった、困ることがない町 下川

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写真:ご自宅前からの眺め。山口さんのお気に入りの風景のひとつ

町営住宅に引越した山口さん一家。大都市札幌と、小さな町下川町。どんなギャップがあったのでしょう。
暮らしてみて2年、何か困ったことや困ったことを訪ねると、間髪入れずひとこと

「それがないんですよね」

なんとも潔い。悩むでも言葉を選ぶでもなく、本当に困っていない様子で答えてくれました。

その場の空気を察して、強いて……とひねり出すように言ってくださったのが、大型書店や映画館がないこと。
けれどもそれも、読みたい本や映像作品はAmazonに頼めば即座に届けてくれる。
インフラに関しても、金銭面に関しても、不自由を感じるところに思い当たらない。
(金銭面でいえば、個人事業主になったことで社会保険料と税金の高さにおののいているそうですが、これは個人事業主あるある)

移動に車が必須で、車の維持費、冬場の暖房代、除雪費用等の必要経費はあるものの、駐車場は年間3000円の破格。灯油は最大で月1万5千円程度、除雪の費用は年間2万円弱。
住まいも町営住宅のため、2万円という破格です(所得等によって算出)。

それ以上に、山口さんの口からついて出るのは、下川町の暮らしの素敵な点でした。
街が狭いので、朝の通勤に時間がかからない
昼食のために一時帰宅する
子どもと一緒に安心して散歩ができる
コンビニや近所スーパーで買い物も手軽にできる

そして何より、人とのつながり。
なにげない日常の中で必ず友人と顔を合わせるのが当たり前
友人と共同で何かをすることが多く、それが度重なる結果友人が多くなった
地元の人も「移住者だから」と一線を画すことがなく、人付き合いに息苦しさがない
誰かの挑戦を否定せず、過度に期待もかけず、見守り、手を貸す風土

住んでわかった下川町の魅力は人にある――と語る山口さんの目は、いきいきと輝いていました。

「下川町は変人だらけ(笑)」と話す理由

下川町の魅力が人にあると話した流れで、さらに山口さんは「下川町の移住者は変な人が多いんです。変人だらけ」と笑顔でドキッとする言葉を発しました。
けれども、その言葉には理由があったのです。

下川町は、札幌から車で3時間半。旭川空港まで2時間。決して交通の便が良いところではありません。
ちょっと田舎暮らしをしてみたいのなら、都市近郊にもっと自然豊かで風光明媚な場所はいっぱいあって、わざわざこれほど不便な場所に引越してくる必要はありません。

ではなぜ下川町にこれほどまで人が集まるのか。

そこには、住民がそれぞれチャレンジしている何かがあって、そういった人同士がゆるくつながることを心地よく感じる人が多いからなのでは、と山口さんは語ります。
何かを成し得ようとする情熱を持った人たちにとって、スローライフや利便性よりも、志を有した人たちの熱量に惹かれるのは当然のこと。
「どんな人たちと一緒にいたいか?」を考えたとき、山口さんにとって、本気で物事に取組む人たちがたくさんいる下川町の環境は、何物にも代えがたいものだったのでしょう。

そんなエネルギーに満ち満ちた愛すべき人たちを、山口さんは敬意をもって「変な人」と呼んだのです(町に住むみなさんもそう言っているのだとか)。

学習よりも人間から学ぶ

子どもの教育や子育て環境について触れた際、印象的だったのが「人間、環境から学ぶもの」という言葉。
確かに田舎では、都会と違って、塾や習い事の選択肢は多くありません。
1人の人間が育っていくのに学力はもちろん大切ですが、その人を取り巻く環境……特に大人の存在の影響力は大きい。
子どもには、勉強よりも、さまざまな関わりをもってほしいと、山口さんは言います。

そこにもまた、下川町の魅力が人にある事実を垣間見たような気がしました。

下川町で始めた、現在のお仕事

DIYワークショップ

説明:みわくが丘で行ったDIYワークショップ、題して『みんなのアジト化ワークショップ』の一幕。

2019年4月にDIY工房『木とDIYのある暮らし デクノボー』の運営を始めた山口さん。シモカワベアーズのオフィスの一角に、他のメンバーと机を並べて事務所としているそう。
デクノボーの主たる事業は、木工を用いたDIYのサポートや、ワークショップの企画運営です。

直近の仕事を伺ったところ、町内にある森を活用した遊び場『みくわが丘』に大きなビニールハウスが設置されていて、その中を休憩スペースとして活用できるよう木工ワークショップを開催。小上がりを木材で造ったりと大がかりなDIYを行ったそう。

またあるときには、町内の商店街にある洋服店の店主さんから、「店内の一部分を使って、憩いの場をつくりたい」という提案を受けて、そのリノベーション作業をワークショップ形式で受注。のべ50~60人の大人と子どもが4日間にわたって作業を行い、無事コミュニティスペースが完成しました。

そうした様子は、通りがかる人たちの目を引き、人の輪がさらに広がる様を感じたといいます。

街が小さいがゆえ、自分の手掛けた仕事が大小にかかわらず、住人や場所に与える影響が大きいことに、山口さんは手ごたえを感じているそうです。

自身のことを「基本的に受け身なんです」とおっしゃっていましたが、誰かの「何かしたい」「こうしたい」という実現への想いの強さに応えるように、サポートし、成功に導く山口さんの熱量もまた、静かながら並々ならぬものがあるように感じました。

ここ下川町で今後やりたいことは?

リノベーションワークショップ

説明:洋服店『マルウささき』のリノベーションワークショップ。大人も子どもも工具片手にいい笑顔!

今後の事業プランとして山口さんが見据えているのが、空き家問題です。
移住希望者の多い下川町では、幸いなことに現状物件が足りないほどなのだとか。とはいえ、今後さらに増えることが予測されている空き家問題。そこにDIYという手段をもって、有効活用できる場所づくりをしたり、新規移住者の住まいの相談に乗ったりお手伝いをしたり、といった人と人の橋渡しをする役割を担っていきたいと考えていて、目下、その勉強中とのことです。
ここでもまた、まだ見ぬ情熱をもった人との出会いが山口さんを奮起させているようにも思えます。

移住への“準備”を常に

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説明:肩肘張らない暮らしぶりが、ご家族の笑顔から伝わってきます。

インタビューの最後に、移住を検討している方へメッセージをお願いしたところ、「アドバイスするようなことはないんですが……」と至極恐縮しながら、大切にしている言葉がある、と教えてくださいました。

「Chance favors the prepared mind.(チャンスは準備された心に訪れる)」

人生において、往々にしていろいろな選択の岐路に立つことがあります。そのたびどちらを選ぶべきか悩むのは当然のこと。
ただ、山口さんの場合、下川町へ移住に至るまでの間に迷いはなかったそうです。新しいことをやるのに迷いはないとすんなり選んでこれた、とのこと。
しかしそれは、将来やりたいと考えている分野へ踏み出すチャンスをつかむための準備を、日ごろから行ってきたから。
しかるべきタイミングで訪れたチャンスをつかむだけの準備――山口さんにとっては、「木に携わることをやりたい」という興味へのアンテナを張りながら、どんな環境に身を置きたいのかを常に考えていたことが、今の下川町の生活への線となっていたように思えます。
そして下川町への移住は、目的ではなく手段だったのかもしれません。

その言葉をふまえて、山口さんは
・移住を考えているならば、その人に合った好機があるので、“準備をしながら”、力まずそのときを待つ。
・過度な期待をしないほうがいい。

という2つのポイントも添えてくださいました。

おわりに

1時間半にわたるインタビューの中で、山口さんは終始リラックスした回答をしてくださったのが印象的でした。
平温な、それでいてどこか熱いものを内に秘め、力まずにその熱量を自分の住む街に循環していく。
そして、「どんな人たちと一緒にいたいか?」という一貫したポリシーが、山口さんを下川町に導いたように見えて仕方がありません。

今年度で5期目を迎えるシモカワベアーズは、1年に1人の採用で、年々その応募者数が増えており、起業のジャンルも多岐にわたっているそう。

また、直接下川町を見に行って相談したいけれどコロナ禍で難しい……という移住検討者向けの準備プログラム『「1年後移住するぞ!」プロジェクト』が現在進行中とのこと。

新たなパッションを持った人との出会いが、山口さんに、ひいては下川町にどんなケミストリーを起こすのか。
北海道の小さな町 下川町を知った人の胸にも、すでにワクワクが生まれているはずと思わずにはいられないお話でした。

【参考URL】
・下川町
https://www.town.shimokawa.hokkaido.jp/
・シモカワベアーズ
https://shimokawa-life.info/shimokawabears-2021/
・下川町移住交流サポートウェブ タノシモ
https://shimokawa-life.info/

(終わり) 執筆時期:2020年9月

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