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なぜソース・プリンシプルを探究・実践しているのか〜原体験を紐解いてわかったこと〜


はじめに

2015年にフィリピンに3ヶ月間滞在していた時に、一緒にプロジェクトに取り組むために滞在していた仲間に

「意見が異なると、一緒にいられない。別の道を行かなければならない。そんな風に感じるシーンが多いように思うんだよね。意見が異なっていても、一緒にいられるというロールモデルが少ないというか。だからこそそういう関係にチャレンジすることが大事だと思っているんだ」

といったことを話していたのを覚えています。

いつからそう思っていたのかは定かではありませんが、こう感じるようになったきっかけは小学校3年生に上がる際に、ある県からとある県へ引っ越した時に直面したギャップに由来していると思っています。

同世代の男性との関係に難あり!?

家の近所に住む同級生がたまたま排他的だったのか、地域の特性だったのかはよくわかりませんが、方言が違うこと、みんなが持っているものを(まだ)持っていないことなどを言われ、マジョリティとマイノリティを痛感させられる出来事がありました。

その中でも少なくとも1人は心を通わせられる友人もできましたが、それ以上に「違い」を突きつけられる影響が大きく、結果として5年生に上がる際に別の県に移ることになりました。

しかしながら、転校した後にも自身がある意味での弱者であることを痛感させられる体験があり、正直、克服できないまま、「高校進学に伴う、人間関係の入れ替え」という環境が変わることでその状況から抜け出せたという認識があります。

正直、小学校3、4年生の時に記憶は断片的にすぎないのですが、これらの体験が冒頭に書いた私の人間関係観に影響を及ぼしていることは間違いないように思います。

そして人間関係観とぼやかしましたが、端的にいうと同世代の男性との関係において未発達の領域があると言ってしまっていいでしょう。

関係にはイジる・優れている側、イジられる・劣っている位側といった上下の階層がある、それ以外の選択肢が抜け落ちている、という偏りがあるということです。

そのため、その後は「相手よりも優位に立てるように」といった無意識の傾向があり、それに基づくコミュニケーションになってしまっていました。

その後、大学で一緒に自治会的な活動をやり運命共同体的な距離感になった同級生や社会人になってから社外で出会い、ルームシェアしながら一緒にビジネスをやった仲間たちのおかげで、その無意識の傾向に気づき、少しずつありたい方向へ進むことができてきたと感じています。

とはいえ、その後も同世代の男性との協働という観点では継続的に取り組めてきていない時期が続きます。(無意識に避けていたのか、フリーランスになってからもしばらくは経験も年齢も上の方々と一緒にやる機会を多くつくっていました。自分を成長させたい、という思いが強かったこともあります)

現象面で変わってきた

その状況が変わってきたのは2018年になってから。

書籍「ティール組織」と出会い、実践探究していきたいと思い、それを標榜する組織に実際に入ってみようと思ったことから、久方ぶりに会社員になりました。

その組織は男性が圧倒的に多く、かつ若い世代がほとんどでした。素敵な人たちとチームとして協働することができ、数年前に病気がきっかけで卒業しましたが、今も継続的に連絡をとっている人がいます。

それ以外にも、20代の頃とは違った人との関係の築き方ができるようになっていきました。興味深いのは、目上かつ、経験が圧倒的に上の人や女性のクライアントが多かったところが、昨今ではほとんど同世代の男性に囲まれているということ。

立ち止まってその事実に気づいた時に、自身が変容してきている、大学や若手社会人だった頃にシフトし歩み始めた道をどんどん進んでこれた、と思えたことを覚えています。

自身の過去とソース・プリンシプルを実践探究することの関係

最近、なぜソース・プリンシプルに関する学びを続けられているのか、発信を続けられているのかを考える機会がありました。

答えの1つは、仲間と一緒にやっているから、というのは間違いなくあるのですが、それ以外の理由について考えた時に出てきたのが、

主に男性との関係において
「本当はそうしたかったけれど、できなかった・できてこなかった関係性がうまく言語化されたものであり、それを共有することを通じて、ありたい関係を育みたい・増やしたい」
という潜在的な欲求があるから

というものです。

自分のことながら、なるほどなぁと思いました。

ソース・プリンシプルとは何か?

ちなみに補足として、ソース・プリンシプルとは何か?を紹介します。(いずれもこちらの記事から引用

ソースプリンシプルとは、全体的にまとめていうと、人が何かの*アイデアを現実化したり、何かのイマジネーションを世界に現実化していく際のプロセスなんです。

*アイデア:「明確な始まりがなく、多くのインスピレーションや影響を受けて形作られるもの」を意味している。アイデアには、「こういう取り組みをやってみたい」というものから、日常的な場面での「昼食にこれを食べたい」といったものまで含まれている。

また、ソースプリンシプルは、世界を観察する時の新しいレンズ(観方)でもあり、いわゆるソース理論のようなものではないんです。

ソースプリンシプルの中心にある最も重要な考え方として、「私達の誰もが生まれながらにしてのソースであり、自分たちの人生をソースとして生きていく素質が生まれながらにして備わっている」という考えがあります。

このことは、私達の誰もが人生という旅を、新しいものを創ったり、何か違いを創ることを通じて、世界に新しい何かをもたらしながら、過ごすことができることを意味しています。つまり、私達の誰もがアーティスト(芸術家)であるということなんです。

ソースプリンシプルの中心的な考えとして、どんなイニシアティブでも、例えば、新しい循環畑をつくっていくとか、新しいビジネスやプロジェクトを始めるとか、どんな場合にでも当てはまるのですけど、そのイニシアティブと、特別な関係を持っている人が必ず一人います。その役割を持つ特定の個人のことを***ソースと呼んでいます。

***ソース:「ビジョンを現実化(実現)するために、(怖い気持ちを抱くようなリスクがありつつも)リスクを最初に取って、イニシアティブを始めた特定の個人」。ソースはCEO等のように、任命により決まる役職ではなく、イニシアティブの始まりについての物語を思い出し、語り合うことを通じて、明らかになり、自然と生まれてくる役割。

このことについて補足すると、私たちの誰もが生まれながらにして自分の人生のソース「である」、と同時に特定のイニシアチブのソース「になる」、こともあるという、ソースについて語られる際には、2つの側面があるということです。

役割としてのソースの持つ3つの役目

提唱者であるピーターカーニックは、後者でいうソースという役割には主に3つあると言います。

1つ目が自身が始めたイニシアチブ(プロジェクト、エンタプライズ)のビジョンを受け取ること。

2つ目が何かを明確にした時にフィールドのメンバーにそれを伝えること。

3つ目が自身が始めたイニシアチブ、言い換えればエネルギーフィールドの境界を管理する(例:何が対象外で何が対象内なのか。何は絶対で、何はそうではないのか)こと。

詳しくはこちら参照

そして、本来、ソースは少なくとも8割以上の時間は、次に何をすべきか分からず、探しているそうです。

その不明確さを解消するために例えば、誰かに呼びかけて話を聴く・聴いてもらうといった機会を設けます。もし、必要なほどに明確であり、考慮に入れるべきポイントの抜け漏れがなければ、それを伝えたフィールド内の人たちにスムーズに受け入れられ、実行されていきます。

ソース同士のDeep Respectという関係性

ピーターが上記で言っていることは、ソースの役割を全うするために、いつでも必要な人に話を聴きにいくし、フィールド内の誰もがピーターにその件について、あるいは自身がサブソースとしてフィールド内でやろうとしていることを必要なくらい明確にするためにいつでも話を聴きにいくことができる、そういう「対等性のある関係」でありたいということだと捉えています。

ピーターのこの姿勢は、彼自身が「Deep Respect」と呼んでいるものであり、Respectの対象は2つあります。

1つは「お互いに自分の人生のソースであるという事実」に対するもの。もう1つは「自身が関わっているフィールドのソースが相手であるという事実」に対するもの。

前者のリスペクトは「人間としての対等性にまつわるもの」であり、後者のリスペクトは「物事を創造する際の順番にまつわるもの」と言えるため、この2つを同時に持つということは言い換えれば、フラットとヒエラルキーを両立させるとも言えます。

そして、だからこそ「フラットなだけの関係が望ましい」という盲点の残った自律分散化を志向する方々からは受け入れ難いというコメントをよくもらうのだそうです。「ん?ヒエラルキー?」という疑問が湧いた方は、こちらで紹介していますのでぜひ読んでみてください。

いかがでしょうか。私がこうありたい、という関係性をうまく言い表してくれているのがディープリスペクトだと感じています。

さいごに

私は子どもの頃の経験から、学生〜若手社会人の頃には歪んだ階層型的な人間関係を築くことが多かったように思います。

若手社会人の頃に、コーチング・マインドフルネス・カウンセリングといったことを学び実践することを通じて違う関係性を築いていく選択肢を持てるようになっていきましたが、今思えば、対立的なエネルギー・雰囲気を避けるという逃避の施策だったのかもしれません。

過去の体験から、対立的なエネルギー・雰囲気になった先に「嫌な気分」「傷つく」といった未来しか描けなかったがゆえにことが起こらないように避けるという戦略をとってきたように思いますが、途中で書いたようにその傾向を変えることができてきて数年が経ち、実践の促進をするためにソース・プリンシプルとそれを共に学び実践する仲間と出会わせてくれたのかもしれないなぁ、なんて思ったりしています。有難いことですね。

時には内面に取り組み、時には行動を変えることで、ありたい自身への発達を促進しているのがここ数年なのかなぁ。

なんとなく、年始からスタートしているアメリカ、日本の1950、60年代のムーブメントの探究も実は今回紹介したテーマに関係していたりするのかも?なんて思ったりしている今日この頃。

いや〜、自身がなぜティール組織に惹かれているのか?の要因が今回紹介した過去の体験にあったことを発見した時にもwow!と思いましたが、まさか同じ体験がソース・プリンシプルにも繋がっていたとは・・・。面白いものですね。


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