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頑張っていても成長を実感できない人たち
先日ある会社でキャリアのふりかえり研修を実施させてもらった。1年ぶりの再会。顔つきも逞しくなって、頼もしくなった受講生の面々。そんな研修の一幕での出来事。
「自分が成長したかどうかよくわからない」
「日々、仕事をこなすことに精一杯であまり記憶がない」
研修のふりかえりの時間で受講者から発せられた言葉だ。傍でみているぼくには彼らの成長が感じられるのに、受講者である彼らにその実感がない。自分を卑下するように振る舞う受講生たち。そして、こういうことは教育研修に関わっていればよく起こる。
このことをきっかけに改めてふりかえりや内省、リフレクションというものを考えてみた結論がこちらのツイートだ。
今日は若手研修でこれまでの社会人生活のふりかえり研修だったのけど、改めてふりかえりは重要。
— 勝又康仁@自己肯定感→働き甲斐改革 (@katsumata_en) May 25, 2019
健全な成長実感を経験している人は本当に少ない。多くの人が成長はしているけど、実感までは至らない。
それは、自分自身への認知が非常に厳しい、ネガティブであることに起因するように思える。
ふりかえりは、体験から何を感じ、何を学んだのかを考え、自分の知恵にすることだ。ひとつの経験から10学ぶ人もいれば、100学ぶ人もいる。その差は大きい。その学びの量を増やすためのひとつの方法がふりかえりだ。別名では、内省とかリフレクションと言われる。これが重要であることに異論はないだろう。
そして、成長実感がないのは、彼らの彼ら自身への認知が大きく影響しているのではないかと思う。どんな認知かというと、一言で言えば、彼らは自身に厳しすぎるのだ。
だから、自分をポジティブに捉えられない。
自分のこと好き?あなたの強みは?最近仕事でうまくいっていることは?という質問に答えられない人は驚くほど多い。
— 勝又康仁@自己肯定感→働き甲斐改革 (@katsumata_en) May 25, 2019
自分に厳しく、あるいは現実をネガティブに捉えているのだ。
ふりかえり・内省・リフレクションは大切だ。けれども、方法を間違えれば作用もネガティブになってしまう。
自分を厳しく捉えてしまうと、ふりかえりもネガティブなものになる。何を思い出しても、その意味をネガティブにに捉えてしまうからだ。過去をふりかえることそのものが辛くなってしまう。だから、体験からのポジティブな学びを生み出せない。
具体的にはこんなことが起こる。
例えば、できていないことがあると、成長している事実を捨象して認められなかったり、自分を無能だと感じてしまう。
— 勝又康仁@自己肯定感→働き甲斐改革 (@katsumata_en) May 25, 2019
できていないことがあっても、努力した分改善しているし成長もしている。そして、能力や価値が下がる訳でもないし、無能になる訳でもない。
認知は事実を簡単に歪めてしまう。
このように事実を正しく認識できなくなるのだ。あるいは、事実にポジティブな意味づけをすることが困難になってしまう。
そうすると人生は本当にネガティブなものに映る。
自分を認められない、褒めることができないと、そのネガティブな、自分で認めたくない認知と戦わないといけないので心的エネルギーを消耗する。
— 勝又康仁@自己肯定感→働き甲斐改革 (@katsumata_en) May 25, 2019
もちろん、そうなると仕事も辛くなってくる。
だから、健全に自分の成長を認め、その実感を得ることは、仕事人生の充実に欠かせない。
自分の成長を確認するためにふりかえりは重要だ。ただし、それはポジティブな意味づけができた場合に限る。または、ポジティブな意味づけの方法を教えながらふりかえりをさせることが重要になる。
ぼくたちは、ますます長い年月を働かなくてはならなくなる。人生100年時代に早期リタイアは望めない。そして、ぼくたちは起きている時間のほとんど半分を仕事に費やしているのだ。その長い仕事の時間を充実させることには大いに意義がある。
僕はこれまでもこれからも、ポジティブな認知を手にいれることを通じて、自己肯定感向上、そして自己実現を支援していきたいと思うのだ。
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