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人を信用するために必要なこと。自分が人を信じること、人が自分を裏切ることは何の関係もない!

俺の好きな小説12国記のセリフです。

・小説の中の一部

自分の見知らぬ異世界に来て酷い裏切りを受け親切にされても裏切られるだろうと拒絶を続けた陽子。
常に親切に助けてくれた楽俊に対してこんなに親切にしてくれるのは何か裏があるはずだと疑い続けてきたが楽俊が妖魔に襲われ離れ離れになってしまうそこで楽俊を助けに戻るかどうかの瀬戸際でのセリフ。


追い詰められて誰も親切にしてくれないから、だから人を拒絶していいのか。善意を示してくれた相手を見捨てることの理由になるのか。
絶対の善意でなければ、信じることができないのか。人からこれ以上ないほどやさしくされるのでなければ、人にやさしくすることができないのか。

「・・・そうじゃないだろう」

陽子自身が人を信じることと、人が陽子を裏切ることは何の関係もないはずだ。陽子自身が優しいことと他者が陽子にやさしいことは、何の関係もないはずなのに。

ひとりひとりで、この広い世界にたった一人で、助けてくれる人も慰めてくれる人も、誰一人としていなくても。
それでも陽子が他者を信じず卑怯に振る舞い、見捨てて逃げ、
ましてや他者を害することの理由になどなるはずがないのに

猿がヒステリックに笑った。ただ突き刺さる声で笑い続ける。

「・・・強くなりたい・・・」


・感じたこと
俺は一度裏切られた経験があるので陽子の気持ちが痛いほどわかる。
一度裏切られた人間がまたもう一度人を信じるのはすごく難しいことなんです。

もう一度信じてみようって何度も思うけど結局裏切られることはあります。
正確には裏切られたと感じること。
人それぞれ善意の形は違うし正義の形も違う、人のためと思っての行動が誰かにとってはおせっかいだったり迷惑だったりすることもあります。
言葉足らずだったり、誤解だったり、疲れていて声が荒げることもあるかもしれません。
同じように裏切られて人を信用してない人なのかもしれません。

だけど必ず、あなたのことを大事にしてくれる人、親切にしてくれる人はいます。
もしかしたら善意ではなく、何か相手にとってメリットがあるから優しくしているのかもしれません。
でも受け取った優しさ、行動は確かに自分にとってありがたいものです。
もしくは相手が優しくない人もいるかもしれません。

人からこれ以上ないほどやさしくされるのでなければ、人にやさしくすることができないのか。

俺は優しくしたいから優しくしたいし助けてあげたいから助ける。
全部は助けられないしそこにいる人すべてを助けたいとも思わない。
その時思ったしてあげたいことをすればいいと俺は思う。

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