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ドイツ総選挙の今日。2年前の旅を振り返って思うこと。

『AfDが第3党に躍進か』とか…。まーじーでーすーかーーーー。

さきほど投票が始まったであろうドイツから遠く離れた日本で、私は2年前のドイツでの出来事について思い出している。「あったかいドイツがあったら引っ越したい」と常々思っているほどドイツが好きな私(1回しか行った事ないけど)。寒いのが嫌いなので、いつか東南アジアかどこかの国がドイツみたいになってくれればいいなーと夢のようなことを考えている。

2015年の夏。WWOOFへの出発前は、ドイツに難民が押し寄せていると日本のニュースが頻繁に取り上げていた。それまであまり難民について考えたことがなかったけれど、ミュンヘン駅で市民が彼らを歓迎している映像を見た時、『ドイツに行ってみたい!』と思った。『ドイツ人を“ドイツ人”たらしめているものは何なのか?』見てみたいと思ったのだ。そして折角ドイツに行くならアウシュビッツも、と行き先にポーランドも追加した。この旅はその後の私に影響を与えていると思う。

「ドイツはなぜそんなに難民を受け入れるのですか?」

会う人会う人に聞いた。長距離列車やバス停で一緒になった人おばちゃん、ゲストハウスで一緒になった子、偶然知り合った難民支援団体の男の子(かっこよかった!)などなど。

「困っている人がいるんだから当然」「たくさん難民を出した過去があるから今は受け入れる番」という前向きな声があった。一方で、「嫌でも大きい声で言えないだけ」「経済が悪化すれば風向きは変わるんじゃない?」「もう本当にこれ以上は無理」と言う人もいた。

彼らからの回答で最も面食らったのは、

「世界で5番目に多く武器を輸出している国が難民を大量に受け入れているんだけど、どう思う?」

と逆に質問されたこと。まったく返す言葉がなかった。こう問いかけてきたのは、ヴェネツィア→ミュンヘンの長距離列車で同じコンパートメントになった50代くらいの“ふつうのおばさん”だった。“ふつう”が何か分からないけど、私にとってのふつうのおばさんがうち母親だとすると、“ふつうのおばさん”からそんな言葉が返ってきたのは驚きだったのです。うちのお母さん、そんなこと絶対言わないから。。。

この時、国境越え直前の駅で列車がずいぶん止まっていたので、どうしたの?ってその女性に聞いてみたら「難民が乗っていてちょっと揉めてる。まあよくあることよ」と。早速そんな洗礼を受けて、「わーーこれがドイツか!」と感心したのだった。

その女性はじめ、ドイツで会った人たち(あの国には色んな人種の人がいるので、ドイツ人とは言いきれない)の答えは様々だったけど、何より印象的だったのは、みんながみんな私の質問に即答だったということ。それだけ身近な話題だし、誰もが日頃から意見をもっている。それが当たり前みたいだった。自分の国のあり方、そして世界で起きていることについて、常に思考しているようだった。

ドイツと同じく難民が押し寄せていたイタリアでも、学生時代のホストマザーに再会して、難民について尋ねてみた。彼女の答えは「私はレイシストじゃないけど」と前置きした上で「働いても働いても彼らにお金が吸い取られていくのは正直うんざり」という答えが返ってきたのだった。

どの国の学生にも優しい彼女からそんな言葉が出たことに、自分との立場の違いを感じさせられた。彼女はドイツからの移民でイタリア人と結婚したのち離婚。介護士として働きながら、女手一つで二人の息子を立派に育て上げた人。至って質素な暮らしをしていた。うーーーん…自分が彼女の立場だったら同じことを思うのかもしれない…。きれいごとでは済まされないよな。

イギリスのEU離脱、トランプの大統領就任、自国第一主義とそれに伴う拝外主義的な空気…。この旅では、どことなくそれらの前触れのようなものを肌で感じた。そして『それもしょうがないのかもしれない』と思わせる片鱗があった。

だけれど。

この旅があったからこそ、私にとって、それは結論ではないのだ。だって物事は“ゼロか100か”じゃないから。グレーでいい。というか、グレーじゃないと色々キツイ。

だからこそ、難民受け入れに賛成する人ばかりじゃないのは当然で。だからと言って、AfDが第一党になることはこの先数十年(できれば未来永劫)はないんじゃないかと思う。

ドイツで会った人たちは、イタリア人みたいに底抜けに明るいわけじゃないけれど、見知らぬ私の質問に親切に論理的に答えてくれた。そして駅で地図を眺めていたら誰かしら「手伝おうか?」って声をかけてくれたし、ゲストハウスのルームメイトは一人旅の私をご飯に誘い、友人たちに紹介してくれ、そして彼らは「今日はケイコがいるから英語で話そう」と当たり前のように英語で話し始めたのだ。すげーーーーー。

オープンな気持ちでいること、人に親切にすること、イライラしないこと、理性的でいること、論理的に考えること、悲観的になりすぎないこと。これらは、旅で出会った人たちの生き方。こういう一つ一つの積み重ねがあれば、100%でなくても、大方まあ大丈夫なんじゃないか、と思う。

今は旅が終わってすっかりごく普通の日常の中にいる。旅をしているときのようなワクワクとか寛大さとかオープンな気持ちはどこかに行ってしまって、自分がとても閉じていると感じる。あのとき受け取って持ち帰って来たはずの感情を、持ち続けたいな。。。と思うのでした。

ドイツ総選挙の日に。



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