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「あの日電話が不意に」 ヘッド・ハンティング体験

 「新入社員の候補としてジョン・ブロム君を推薦したのは、確か君だね」

 人事部長から確認を問われた。

 「さようですが、何か?」

 「推薦された候補者が雇用にまで漕ぎつけたら、推薦した人に臨時ボーナスが出ることは知っているよね?」、人事はそう案内した。

 ボーナス?

 初耳であった。

 スウェーデンの会社においてはボーナスという習慣はあまり聞かない。そもそもそのような代物を戴いたこともない。


 困惑のため無言で突っ立っていた私に人事は、ボーナスの金額を述べた。果たしてそれは、日本への往復航空券が二枚購入出来るほどの金額であった。


隣りの島と高速道路

 
 私は非常に複雑な心境に陥った。

 以前請け負った翻訳の中で、報酬の割には非常に難易度の高いものがあった。さらに、枚数も多かったため、納品には一か月間を要した。フルタイムの仕事もあったため、その月の平均睡眠時間は三時間であった。

 今回、人事の提示するボーナス金額は、この一か月の翻訳の報酬と同じものであった。

 すなわち、たった電話一本の報酬が、一か月間辛苦を舐めた労働の対価と同額であったということである。

 これを不条理と称すべきなのであろうか。

 不条理などまわりを見回せば、規模を問わずすれば山ほど転がっている。


不条理、不条理、不条理…


 「重いものを沢山運ぶ仕事と、コンピュータの前に座ってするお仕事、どっちがお金を沢山貰えるの?」

 コンピュータの前に座って仕事をしていた私のところへ、たまたま訪れていた十歳前後の近所の子供が近付き、問いを掛けた。

 私は、その子供の母親が、看護師であることを知っていた。彼女は、新人看護師の報酬がベテランの彼女のものよりも高額であると、嘆いていたことを記憶している。


 

 私は、私なりの見解を展開しようと、少女を見据えた。

 少女は無垢な表情で私を見上げていた。


 結局、

 「それは貴方のお母さんに訊いてみて」、と私は彼女の質問を回避した。

 人様の子供に、私なりの価値観を植え付けるようなことはしたくない。私自身、少女の質問への正解はわかり得ない。

 少女は、「重いものを沢山運ぶ仕事のほうが報酬は多い」、という回答を期待していたのであろうか。子供の質問と言うものは多くの場合、核心を突いているようにも感じられる。


隣りの島とさらにその隣の島


 果たしてジョンは雇用に漕ぎつけるのか。


 私はその後、何度かジョンと連絡を交わした。採用に有利になるための提案をするためであった。

 報酬を期待していたからではなく、私の業務負担を補助してくれる人材を渇望していたからである。彼とは以前、数年間一緒に働いていたこともあり、気心も知れていた。さらに、彼は業務の速さにおいては頭角を現していた。


 彼の雇用に関して、私には勤務先の意向は見えていた。

 雇用プロセスは、給料交渉等もあるため、相手の出方を伺いながらお互い有利になるように戦略を立てなければならない。

 勤務先の意向は、是非とも彼を雇いたい、ということであった。


 しかし、私には友人ジョンの意向が見えていなかった。気心の知れている友人とは言っても、転職は彼の将来に関わることである。それほど容易に判断は下すことは出来ない筈である。

 若く学習意欲の旺盛なIT技術者は、一種の分野に関しては、現在こちらでは引手あまたである。

 すなわち完全に売り手市場なのである。

 私のすべきことは、ジョンに対して、いかに職場が魅力的なところであるかを説くことであった。「宣伝」は私の得意とする行為ではなかった。



「あの日の午後、電話が不意に鳴ったんだ、僕はもう運命だと思ったね」

 晴れて雇用の運びとなったある日、ジョンがその心情をボソッと吐露した。

 その「電話」とは、私が彼に掛けた一本に言及しているわけであったが、私には、下記の杏里のヒット曲(私がカラオケで唯一唄える曲)の話とシンクロした。

 


 神妙な表情にて、私の掛けた一本の電話を運命であると宣う若い青年。

 私は自身が非常に迷信深い人間だということは自覚しているが、日本人でもない青年に「運命」などという語彙を連発されると、こそばゆい感覚が走った。

 「そんな大袈裟な」、と私が茶化すと彼は続けた。

 「大袈裟じゃないんだよ。実が君が電話をして来たちょうど一時間前に、ある大手の会社から不採用の通知を受け取ったばかりだったんだよ」

 なるほど。

 私が青年に電話をしたのは、自覚には欠けていたとしても、彼を当時の勤務先から引き抜くためであり、私のしたことは結局ヘッドハンターと同様の行為であったわけだ。



 ヘッドハンター、この職種は、私にとっては非常に苦手な職である。プロ意識を持っている方々にお会いしたこともあるが、候補者を「数打てば当たる」感覚のオブジェクト扱いをしているところと関わり過ぎた。

 しかし、かくいう自身も、数年前ヘッドハンター経由にて転職をした。

 一件、執拗に連絡をして来たリクルート会社があった。あまりに何度も電話を掛けてくるため、登録をするためだけに出向いた。

 そこは非常に小規模のオフィスであり、面接は会議室でもなくベランダのような空間で行われた。水もお茶も提供されず、面接者の上から目線の態度にも辟易し、オフィスを去る時には見送りもなかった。あまりの礼儀の欠如に驚嘆したため、その後、同社からの電話番号を認めた時には受話器を取らなかった。

 しかし、敵も負けてはおらず、電話番号を何度も替え、担当を替えて連絡して来た。根負けした私は、ある日、とうとう電話に応答してしまった。

 「やあ君、僕、XXXXパートナーズのオスカルっていうんだけど、どうぞよろしく。夏休みはどうだった?」、と若い青年の声が受話器の向こうから柔和に滑り出した。

 そして我に返った頃には、新しい勤務先の雇用契約書にサインをしていた。すなわち私は、この若いヘッドハンターのペースに完全に飲まれてしまったのだ。

 このヘッドハンターはおそらく、私を紹介した報酬として、少なくとも日本行きの往復航空券の五枚分以上の報酬は頂いたのであろう。

 
 私は、友人を紹介することにより報酬を得るという行為に対して非常に罪悪感を感じていた。

 しかし、私の電話一本がきっかけになり、彼のキャリアはかなりステップアップ(増給)することになったわけであり、彼にとっては悪い話ではなかった。


 罪悪感は抜けなかったが、私はくだんの「ボーナス」を受け取った。

 そしてその瞬間、この国が高税国スウェーデンであることを再認識した。

 日本行き往復航空券二枚分であるはずの「ボーナス」からは、高比率の贅沢品税が例外なく引かれている。
 
 結局手元に残ったのは、辛うじて、日本行き、往復ならず片道航空券分一枚分程度であった。

 電話一本の対価としては、より相応しいものである。



ご訪問を頂き有難う御座いました。

旅行記事は後日まだ続きますが、久しぶりに日常生活を綴りたくなりました。

「今、バカンスですか?」、と訊ねて下さる親切な方々がいらっしゃいますが、夏季は勤務をして、比較的涼しいスウェーデンに潜んでいるようにしております。こちらでも暑い日はありますが、熱中症になるような日はそれほどありません。皆様がこちらにいらっしゃる機会があれば夏季がよろしいかと思います。

身体を冷やす「冷却ベスト」等も販売されていると耳にしました。皆様どうぞ、様々な対策を採られて酷暑を凌がれて下さいね。

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