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「人生の再著述―マイケル、ナラティヴ・セラピーを語る」読書会に参加(1012)

「今日やったこと」を書く12日目です。

昨日の夜は、「人生の再著述―マイケル、ナラティヴ・セラピーを語る」第14回目に参加しました・
本の内容と理解するために、読書会後にちょっとメモをしようと思いながら、書けたのは一度っきりでした。

前回からは「精神病的経験と言説」を読んでいます。
以下の内容は、ほぼ本から抜き書きした内容です。

マイケル・ホワイトは、「精神病」と名づけることは、精神保健の専門家が、「諸個人の人生」を「病理化」していることだと言っています。

病理化言説に対して、批判されているにもかかわらず、維持され続けているいくつかの理由は
①精神保健の専門家たちの自己顕示がある。
病理化言説的話し方にある程度「精通している」ことを示したり、この言説によってもたらされる他人(病理化された人)へのふるまい方に一定の技量を示すことで、同僚から評価を受ける。
②精通と技量の提示が昇進の機会や、経済的好機につながっていること。
精神保健の専門家たちが、DSMの最新版に準拠せず、診療行為で生計を立てることは現実的に不可能になっている。
③「病理化言説」が客観的事実の追及を印象づける
さらに、病理化言説のきわめて例外的な発展と成功を説明できる理由は

・病理化言説は、慰めを得ることが難しくなっている社会で、慰めをもたらす可能性がある。
・援助を必要とする人々の問題を逸脱として定義できる。
・問題が文化的なものだという事実や、私たちの人生モードや思考モードの産物であるということを認めなくてもすむ。
・援助を必要としてきた人々の問題が、対人関係実践や自己実践の結果であるということさえ無視できる。

・その上、援助を求めてきた人々の問題が、ジェンダー、人種、エスニシティ―、階級、経済状態、年齢などといった私たちの文化における不平等な構造によってしばしば起きていることも無視できる。
自分たち(専門家)が、このような生き方や考え方の維持に関わってきたという共犯関係に直面しなくてすむ。

・人々の援助を必要とするような問題と、私たちの文化における人生モードや思考モードとの結びつきを見えにくくすることにより、私たちは人生という文脈に取り組む責任や、問題と関連した不平等な構造の覆いをはずす責任があることを直視しなくてすむ。と言っています。

「人生の再著述」の「精神病的経験と言説」より

問題があって援助を求める人々について、「精神病」と名づけることによって、専門家を含めた私たちが、社会の文脈にたいして、取り組まなければならないことから責任を免れているのだということが言われていると思います。

問題が起きたとき、その人の性格や育ちに原因があるとしがちですが、
その人は「真空」の中で、そのような性格に育ったわけではありません。
私たちも一人の人間として構成している今の日本の社会の中で育って、
その人が問題を起こしたのだという認識が必要だと思います。

しかし、今までの考え方から新しい考え方に移行するのはなかなか難しいなと日々感じています。

「今日やったこと」を書くために、もう一度「精神病的経験と言説」を読み直して、ほぼそのまま文章を取り上げました。

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