azusa
直近のことなので、時系列はぐちゃぐちゃですが書いてみようかと。 今年の6月まで、小学校の教師をしていました。 大卒から3年ほど臨時採用で働き、2015年に採用。 今年で10年目でした。 まずは、教師を志した理由。 いずれまた綴りますが、私はコミュニケーションを取るのがとりわけ苦手で 学校では常にいじめられていました。 家は家で息が詰まる環境だったので(いずれ「愛着障害」パートで書きます) 学校にはほぼ休まず登校していました。 あ、ちなみに教師を志望する理由でよくある 「
最後に投降した日時が分からなくなってしまったくらいお久しぶりです。 この度、身辺に変化がいろいろありましたので、改めて執筆活動(?)を再開することにしました。 そのうち自己紹介もし直す予定です。 以前の投稿時からの変化としましては ・「愛着障害」であった可能性が高い ・仕事を辞めた(現在無職) ・やってた仕事は「教師」でした といったところでしょうか。 語りだすときりがないかと思われます… なるべく分かりやすく、読みやすく、でも一番は「心の向くままに」 綴っていけたらと思
昨日観てきました。 テレビ等の特集で紹介されていて、改めて宣伝ポスターを見たときに目に留まった「生きづらさ」という言葉。気になるに決まっているじゃないか。自分の永遠のテーマだもの。何なら大学の卒論のテーマに限りなく近い。というわけで今から卒論セルフカバーを執筆します。笑 私は、主人公の三上に若干近い目線で観ていました。彼の心情が分かりすぎて、共感しすぎて、途中胸が苦しくてその場から逃げ出したくなりました。ちゃんとまとめられる自信が皆無なのでなるべく映画の時系列で書きます…
先日、上司にキレられました。 わざとではありません。笑 私の伝えたかった意図を全てとらえてもらえず、ある単語のみに反応してキレられました。 「死ぬ」という言葉です。 私は今、紆余曲折あって、心が死んでいる状態です。主治医には一種の自己防衛反応だと言われました。 要は、良くも悪くも感情が浮き沈みせず、凪の状態なのです。最近こそマシになってきたものの、人間不信週間(終了時期は未定)なので、凪の状態でいることで動揺することなく生きていられるのだと思います。 今更ですが、私は人
タイトルの通りであります。 一人暮らしに戻ったことについてです。 休職中だし、実家にいた方が確実に貯金はできますよ。その通りですよ。 実家に戻ってきてから2カ月近くのとき、 私よりもしんどそうだったのが、母です。 おそらく私と持っている気質はほぼ同じ。 違うのは、医療に頼ろうとする気持ちがあるか否か。 このままだとどちらも潰れる。 父と話し合って、早く家を出たほうが良いという結論になりました。 母は私が出ていくのが嫌でした。 私のことが心配だからです。 でも、私と母がわか
左右対称、バランスをとるということは、自然の摂理に任せるのであればとても難しいことだと思う。 実際、人間の顔はほとんどが左右対称ではない。よく私は「歯並びがいい」と褒められることがあるが、実はかみ合わせが少しずれていて、口が少し曲がって見える。直したいとは思っているが、歯の治療跡等の問題があってなかなか難しい。無論、目の大きさ、顔のライン、髪の毛の量等、言い出したらきりがない。 もっとスケールを広げると、男女比や思想の違い、挙げだしたら止まらないほど世界のバランスはと
多分これは一生の課題であります。 私は、別名「幸せホルモン」というセロトニンという物質が著しく少ないようで、セロトニンの働きを改善する薬を毎日飲んでいます。 正直、これらを飲んで「おおおー今日めっちゃ調子いい!」とかいう実感はありません。「本当に効いているのか…?」と思いながらも、この手の薬は自分で勝手に止めてはいけないとのこと。まあ飲んでても落っこちることは多々あるので、飲んでいないと底なし沼にはまってしまうのでしょう。 いつか母親に「私は多分自分に対しての理想が高いん
小学校の頃から、毎日学校の図書室に行っては、毎日1冊ずつ借りていました。(多分読まずに返していたときもあったはず…)当時はまだアナログで、自分で借りる本のタイトルをカードに書いて、カードが増えるたびに色が変わっていくスタイルでした。周りよりずばぬけて冊数が多かったので、同じ色の人はいなかったです。 当時のお気に入りの本は今でも覚えています。かいぞくポケット、魔女っ子マージ、地獄堂霊界通信などなど…保育園のときに読んだ絵本も覚えています。一番好きなのは「こんとあき」。 大学の
父方の祖父母の家にピアノがあって、行くたびに弾いてた覚えがあります。 ここだけの話、父方の祖母は、父が中一のときに亡くなりました。精神的な病気による、いわゆる最近の芸能人で立て続けに起こってるやつです。祖父はその後再婚したので、本当の祖母の話を聞いたのは中学生くらいのときだっただろうか… 自分が4歳のときに、通っていた保育園に隣接されたピアノ教室に通わせてもらいました。自分でやりたいと言ったようです。そのときに、祖母のピアノを引き取らせていただきました。なので、もう半世紀も
自分のことなので自分で語れたらな、と。都合のいいこと言ってすみません。表現の自由ということでご勘弁を。 今仕事はしていません、ただし休職中です。給料はちょっと削られて入ってきています。どんな仕事かは今後の投稿で分かるかもしれません。 私としては1秒でも早く復職したいのですが、諸事情ございましてなかなか叶わず。4月から復職ということになっていますがそうもいかないようで。 いわゆるうつ病患者です。多分軽めだし一見そう見えないと思いますが。多くもなく少なくもない程度の服薬をして
何だか、自分が思っていた以上にたくさんの方がご覧いただいたようで、通知が届くたびに驚いてしまっていました…「スキ」が届くと、まるで告白された感覚ですよね(違う) 最初の記事は半ば勢いで投稿してしまったので、この記事では自分についてできる限り綴っていこうと思います。 名前:azusa(♀) 年齢:31 出身地:中部地方 居住地:関東地方 職業:休職中(給付金で生きてます)人手不足が社会問題化しているブラック職業 持病:うつ病(4年くらい)HSPの自覚あり 配偶者
自分にとっては思い切ったことをしようとしている。 いや、もともと筆まめというか、文章を書くことは好きだったはずなのだけれど。 自分を表現すること、語ることが楽しかったはず。 いつの日にか、自分の「好き」が肯定できなくなった。 自分の考えが間違っていると思うようになった。 自分がおかしい、自分がいけない、自分のせいで上手くいかない。 小学生の頃からそんなことを考えていた記憶がある。 その頃には「死にたい」と思っていたはず。 今年厄年、32歳になる年にやっと、私は