時代錯誤

先日、上司にキレられました。
わざとではありません。笑
私の伝えたかった意図を全てとらえてもらえず、ある単語のみに反応してキレられました。

「死ぬ」という言葉です。

私は今、紆余曲折あって、心が死んでいる状態です。主治医には一種の自己防衛反応だと言われました。
要は、良くも悪くも感情が浮き沈みせず、凪の状態なのです。最近こそマシになってきたものの、人間不信週間(終了時期は未定)なので、凪の状態でいることで動揺することなく生きていられるのだと思います。

今更ですが、私は人を育てる仕事をしています。何も知らない人からしたら、感情がないということは一見危険なように見えると思います。しかし、私からすれば、感情が落ちたときの絶望感、孤独感といったら地獄以外の何者でもありません。それがなくなっただけ、気持ちとしてはとても楽なのです。その説明をしたときに、私は上司に

「死ぬよりはマシだと思っています」

と言いました。
だってそう思いません?
私8月31日に急性薬物中毒起こしたんです。
本気で死のうとしたんです。
救急搬送されて処置がなければこの記事は最初から存在していません。

上司は私に、「死ぬという言葉を使ってはいけない。心配になるから」と私を叱責しました。
なにも私、死にたいって一言も言ってなくない…?

「自分で死を選んではいけない」「命は大切にしなければいけない」
当たり前とされていることです。

でももし、生きていてあまりにもつらくて、死んだ方が楽なんじゃないかと思うくらい苦しんでいる人がいたとして、ただただ「命は大切にしなければいけない」と教えて伝わるでしょうか。その人に届くでしょうか。
どうせ私の気持ちなんてわかるわけない、とシャットアウトされるのがオチです。

ゴールは決まってる。「命は大切にしなければいけない」ならばなぜそのゴールに辿り着くのか?理由を考えて納得して初めて言葉が本当に響く。その人の血と成り肉と成る。

綺麗事で臭いものに蓋をされるような、そんな感覚だった。
子どもの多様性について語る前に、働き手の多様性をまず認めて欲しい。
「組織」という安易な言葉でまとめようとされたことに、落胆してしまいました。

薄っぺらいなー。
私の方がよっぽど考えてるわ。
くそう。

私は、こんな先輩にはならないと決めた。

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