アシンメトリーがシンメトリーを目指す

 左右対称、バランスをとるということは、自然の摂理に任せるのであればとても難しいことだと思う。
 実際、人間の顔はほとんどが左右対称ではない。よく私は「歯並びがいい」と褒められることがあるが、実はかみ合わせが少しずれていて、口が少し曲がって見える。直したいとは思っているが、歯の治療跡等の問題があってなかなか難しい。無論、目の大きさ、顔のライン、髪の毛の量等、言い出したらきりがない。


 もっとスケールを広げると、男女比や思想の違い、挙げだしたら止まらないほど世界のバランスはとれていないと思う。それでも時間は止まらないし、私たちは生きていくしかない。いや、生きていくしかないと言い切るのも難しい。つい昨日私は「希死念慮」に襲われて何とか耐えて今日を迎えることができた。(睡眠導入剤と抗うつ剤のおかげ)「命は大切にしなくてはならない」という考えが絶対ではない。「苦しんでまで生きていく必要はない」と考える人も世の中にはいる。いるからこそ自殺者がいる。日本は先進国の中でずばぬけて自殺者が多い。


 話が逸れるように思われるかもしれないが(私の中ではつながっているのでごめんなさい)、私と母は仲が悪い。性格はそっくり。気が強く、落ち込みは激しい。感情の起伏にものすごく波がある。違うのは、向かうベクトル。母のベクトルを仮に内側とするならば、私のベクトルは完全に外に向かっている。血もつながっていて、性格も似ているのにもかかわらず、仲たがいをかれこれ数十年は続けている。定期的に通院している精神科で、「仲たがいした時間だけ、仲を修復するには時間がかかる」と言われた。それが確かならば、30年仲が悪ければ仲良くなるのに30年かかる。母は91歳になる。なのでおそらく一生無理なのであろう。


 本題に戻って、これだけ同じものや違うものがあふれているなかでどうやってバランスをとっていけばよいのだろうか。この世が大きな天秤として、どうやって釣り合うようになるのだろうか。
 ここ数日考えた私の「とりあえず結論」としては、結局は「相手を受け入れる」「歩み寄る」に尽きるのだろう、となった。考えを巡りに巡らせて結局このようなシンプルなものに行き着いた。


 個人的にタイムリーなので、夫婦関係で例えてみる。「同じ価値観である」ことが結婚の条件に挙げる人が多いような気がするが、いくら同じだからと言って上手くいくとは限らない。少なくとも私にとっては難しい…
 むしろ、私の場合は「自分と違う人」の方がよいのかもしれない。そもそも恋愛の時点で私は自分と正反対の人に惹かれる傾向がある。私は完全に右脳人間であり、部活も吹奏楽一筋、ジャンルはほとんど問わず音楽がないと生きていけない。だからこそ、物事を理論的に考えて論述できたり、スポーツが上手だったり、自分にない要素をもち合わせている人は尊敬する。(そうでない人も過去にはたくさんいたけどね…)まあ共通点が1個でもなければコミュニケーションが成立しないような気もするけど。


 結局何が言いたいかというと、アシンメトリーがシンメトリーを目指すには、アシンメトリー同士が合わさればいいということ。奇数と奇数が合わされば偶数になる。奇数も偶数もそれぞれのよさがある。そして何より椎名林檎はシンメトリーの神であるということ。(CDアルバムの歌詞カードを見れば理解できます。詳しく聞きたい人がもしいれば連絡ください)

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