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生活保護受給者は生き方の1つであり、誰かのサンドバッグではない。

社会的弱者を叩く風潮を叩かれる側になって考えたこと。


世間の目というのはメディアが報じてるものが全てではないと思ってます。

今こうして生活保護受給者になった立場から見ると不正受給者のニュースや真偽不明の受給者の違反がクローズアップされてる事に憤りを感じつつも、これには根本的な叩く側の心理が見えてきてなかなか勉強になるなぁと感じてます。

生活保護になるまで自己管理ができなかったのか?とか税金泥棒と叩く側の心理の根本はどうにもできないと抱えてる不満が原動力だと思います。

社会的不満は家庭環境に影響しこうした攻撃側を大量生産する原因という所に火に油を注ぐ形で国民全体への一律給付金を近年は偏った層にしかされてない政策が余計ヒートアップさせてる気がしてなりません。

税金泥棒なら今までのニュースでも触れられてる納得いかない税金の使い方をしてる現政府の関係者であって、病気や失職で生活が立ちいかなくなった社会的弱者に使う言葉ではないと思います。

私もこれから生活保護受給になりますが、自分達の命を守る為に選んだ権利であり不満を発散させる人々のサンドバッグではありません。

1人の人間としての生き方が違うだけで標的にされるのは人権否定と同じです。

人々の現状に対する不満が弱者を叩く原動力というのは身近な例としてはあらゆる虐め問題に共通する部分があるのではないでしょうか。

私はアメブロでも昔書いてましたが、娘が教師や生徒からの虐め問題や私の過去の過ちから小学生低学年から中学卒業まで不登校になったのでその点に関しては未だに他人事とは捉えてません。

虐める側の背景には根本的に不満が強く根付いているのはわかりますが、その捌け口として弱者への攻撃というのは容認はしない考えです。

そして私は昭和の人間なので、高校卒業までの身辺で起きてる事に疎かったのかもしれませんが、こんなに人間同士って攻(口)撃し合うの?想像力がどんどん無くなっていってると恐さを感じてます。

生活保護者になった事は自分の人生スケジュールの1つ。


振り返れば私の人生の中で弱者の立場に立つ事が多かったというのは悲劇のヒロインぶるアピールではなくて必要な経験だったと感じてます。

単純に因果応報(原因と結果)のみで考えるなら、誰かにやったことが自分に返ってきたのだから苦しんで当然とか自分自身を責めて惨めさのみの答えだったでしょう。

自分含め他の人の人生への答えは因果応報もあるかとは思いますが、個々の成長の為に無限の答えがあると思ってます。

その中で経験できること、できない事もあります。
虐め問題も困窮環境も家庭環境への差別や自分が原因の大きな過ちで誰もが訪れるような事の無い裁判所にまで出廷した事もあります。(犯罪行為ではなく過去の任意整理関係での和解の件)

その逆にお金がたくさんある生活もしていい思いもしてきましたが、そこを羨み戻りたいとも思いませんし、かといってお金がない生活への恨みもありません。

そこで体験できた事もあり、私1人ではその生活を送れたわけではないので、そこは感謝の気持ちでいっぱいです。

しかし、こう言っては何ですが、お金があっても満たされていたのは一瞬でした。
それも私にとっては必要な経験だったんですね。

今の私がこれから経験しようとしてる事は過去からの自分への戒めではないと思ってます。

生活保護という知らなかった世界を知るという気持ちに切り替えをしてくると世間の目がどうのよりも自分がこれからどう生きていくのか?という興味と探究心に火がついたかな?と思えてます。

だからこのnoteの中であちこちお邪魔して生活保護以外でもいろいろな世界を散歩してご縁が繋がったら嬉しいなぁ……と。

最後までご覧いただきましてありがとうございます。


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