P#10 選べなかった、籠の中と外。

もう間もなく夏も終わる。

結局、パムはあの一件以降、外遊びをさせてもらうことができなかった。足の具合はすぐによくなったが、ドクターバルトいわく、心配は足だけではなかったのだ。

容赦なく照り付ける太陽のもと、長時間体を動かしたパムは軽い熱中症になっていた。本人も気付かないほどの軽い症状だったがそれゆえに、それ以降、屋敷中の誰もがパムの外出に気を遣った。

外で遊ぶなんてもってのほかなわけだ。

ある時、父親と一緒に街まで出かけることがあった。自分と同じくらいの子どもたちが自由に遊ぶ姿を馬車の中から見て、外遊びを禁じられた自分の不幸をおおげさに主人に嘆いた。

「あの子たちは遊ぶ自由はあるかもしれないが、勉強する機会はないし、働かなければならないという不自由がある。パムはそれでもいいのかね。」

主人がそういうと、パムは即座に

「わたし、お勉強はきらいだから構わないわ。」

「はっはっは。パムらしいな。確かに、今、あの子たちはうんと自由に見えるけれど、家が貧しくて朝早くから働いている子どもが多い。もしかしたら彼らは今日の仕事を終えて遊んでいるのかもしれないし、今は休憩時間かもしれぬ。」

パムは彼らの足元に大きな籠がいくつか置いてあることに気が付いた。

彼らが小さくなって見えなくなるころ、彼らのうち、一番体の小さな少年がその籠を背負って、いそいそと去っていくのが見えた。籠の重さに耐えかねてか、時々ふらつくその小さな体の少年を見て、パムには自分の世界と彼らの世界のどちらがいいのかわからなくなった。

そらからしばらく経ったある日のことだ。主人がパムに土産を買って帰ってきた。茶色の革張りの分厚い本だ。タイトルが金字で刻印されている。

主人は日頃からパムと空や雲、星の話をしたり、植物や動物の話をすることが好きだった。パムもまた、主人から聞く話に目を輝かせて飽きることなく聞くのだった。座学は嫌いだったが、主人の話を聞くときだけは何時間でもじっと座っていられた。

特にパムが好きだったのは空の話だ。

なぜ雨が降るのか、なぜ太陽は東から出て西に沈んでいくのか、パムは空を見るたびに誰が雨を降らせるのだろう、などと空想したり、またはまじめに仮説を立てたりするのが好きだった。

主人が自然科学に関するその分厚い本を持って帰ったとき、パムの興奮は屋敷が揺れるほどだった。

しかし、その興奮もつかの間、本を手にして中を開くと、細かい字ばかりで見るからにパムにはとても難しい内容だった。

最初のページの一行を読むのがやっとだった。それでもずしりと重いその本を、パムはまるで妹か弟でもできたかのように大事そうに抱えて頬ずりをした。

主人がこの本を買ったのには、実はもう一つの理由があった。

それは、この夏、外遊びを禁じられたパムへの同情だ。

専門用語ばかりのその本は、パムにとってはまるで、永遠と呪文が綴られた魔法の教科書のようだった。しかし、その分厚い本を膝の上に置くだけで、パムは自分が賢くなった気分になった。鼻歌を歌いながら、わけもわからずページをめくるのがその夏の日課になっていった。

午前中は家庭教師が屋敷に来てパムに勉強を教えてくれる。お昼ご飯を食べたあとは、一時間ほどピアノのレッスンだ。それから夕方まで好きなことができる時間には、本を眺めることが多くなった。

本の中の単語の意味を家庭教師に教えてもらったり、書いてある内容について訊いたりすることも多くなった。家庭教師は最初こそパムの好奇心を喜んでいたが、次第にパムの質問に自分の答えが追い付かなくなっていったほどだ。

座っているのが苦手だったパムは、夕方の本の時間を楽しみに、ピアノのレッスンもそれまで以上に集中して行うようになった。

屋敷の中にこもっているパムは、新しいその『友達』の出現で、リエベンのことはほとんど忘れていた。

リエベンもまた、いつもの仕事をこなすのに精いっぱいで、厩舎の中で一日の大半が終わった。たまに馬車を運ぶトマスの横に座るのを許されることはあったものの、あの日以来、屋敷の外でパムはもちろんのこと、主人にさえ会うことがなかった。

そんなある日の夕方、パムがいつものように窓際に座って本を読んでいた時ー正確には眺めていただけだがー、外で馬車が近づいてくる音がした。

パムの部屋の真下には屋敷の玄関がある。玄関前のスペースと広大な森へと続く前庭との間には馬車道があり、その道は街へとつながっている。

街と反対側の方向は、森を通り抜けて隣町へ行くための道だ。

しかし、その馬車の音はそのどちらでもなく、屋敷の裏から聞こえてくるようだ。不思議に思ったパムは、本から目を離し、窓からその音を頼りに馬車を探した。

それは、主人の外出のために厩舎から運ばれてきた馬車だった。パムははっとした。

御者席にリエベンが座っているのを見て、彼のことをしばらく忘れていた自分に驚いたからだ。思わず立ち上がると、分厚い本が鈍い音を立てて床に落ちた。

急いで、窓を開けて名前を呼ぼうとしたが、鍵がかかっていてパムにはそう簡単に開けられない。しばらくガチャガチャとやっていたが、いっこうに開く気配のない窓にしびれをきらして、パムは大声でリエベンの名前を叫んでみた。

しかし、声は届かない。

リエベンは馬車を御者に託してその場を去ろうとしていた。
パムは慌てて、外に出るべく階段を駆けおりていったが、玄関にたどり着いた頃にはリエベンとトマスの姿はすでになかった。

「遅かったかぁ。」

パムは落胆してそうつぶやいた。初秋の風がパムの栗色の髪の毛をふわりと揺らした。

このお話はマガジンで#1から読むことができます。


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