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医学部で楽しかったこと①ドイツのパン屋で1ヶ月働いた時の話

医学部のネガキャンばかりしていては良くないので楽しかった思い出を。正確にいうと医学部ではなくて一般教養時代の話ではありますが。
1年生の終わりに1ヶ月間、ドイツの田舎町でホームステイをしながら地元のパン屋さんで働かせてもらいました。

経緯

私は比較的大きい総合大学に通っており、1年次は学部関係なく皆全学キャンパスで講義を受けていました。この頃は医学関連の授業は一切なく、数学、物理、化学など必修の授業もあるものの、残りの単位は自分で好きな授業を選んで受けることができました。経済学、美術史など色々つまみ食いをした記憶があります。また、この1年間は他の学部の人たちと友人になれる最初で最期のチャンスでもありました。実際、選択で受講した少人数の授業などは同じような趣味の人達が集まるため、現在まで関係が続く良い友人と知り合うことができました。この点は、大きい総合大学の医学部へ進学した大きなメリットだったと思います。

本題に戻ると、ドイツのパン屋で働く経験は大学のプログラムを通してすることができました。私は高校時代からドイツ語に興味あり、大学に入ったら勉強すると決めていました。当然第2外国語もドイツ語選択にしたのですが、へんてこりんな先生に当たってしまい、授業はあまり勉強にならなかったので、主に独学していました。入学して前学期が終わり、夏休みに入ったころ、文学部のドイツ人の教授が主催するドイツでのインターシッププログラムがあることを知りました。教授の生まれ故郷の田舎町で現地の家族と生活しながら、職業体験ができるとのことで、現地でドイツ語にどっぷり浸かる最高の機会だと思い胸を躍らせました。しかし、よく見ると応募は5月で締め切られていました。ダメ元で教授にメールしてみると、「応募者は現在日曜日に集まってドイツ語のレッスンを受けており、夏休み明けに選考試験を行う。君はその授業にはもう参加できないが、教材をあげるので、自分で勉強して試験を受けてもよい。」とのことでした。というわけで夏休みを使って勉強し、試験に合格して無事参加できることになりました。後日談ですが、合格基準は教授の求める習熟度を満たしていたらというもので、私の年は7人が合格しました。例年は2~4人、0人の年もあったそうです。やる気のある人が多い学年だったのだと思います。医学部は自分だけで、皆工学部、経済学部、法学部などとバックグラウンドは様々でした。

ドイツへ行くまでの準備

そのプログラムは完全にそのドイツ人の教授一人で運営されており、ホストファミリーやインターンシップ先もローカル紙に広告を出すなどして、一つ一つ見つけてくれていました。例年より多く7人分探さなければならなかったので、教授もピリピリしており、「私一人で運営していてただでさえ大変なので、メールはその日のうちに返信してください」と怒られました。インターンシップ先については、こちらの希望になるべく添えるよう探してくれました。「あなたは医学生だから、病院にしますか」と聞かれたので、「病院は後で嫌になるほど働くことになるので、もっとドイツ文化を体験できそうなとこ、パン屋さんとかでお願いします。」と頼みました。
ドイツへ渡航する春休みまでの残り半年間、1、2週に一度日曜日に教授がメンバーを集めてドイツ語レッスンをしてくれました。そして渡航直前の1月にÖSD試験のA2を受験しました。
※ ÖSDはÖstreich(オーストリア)、Schweiz(スイス)、Deutschland(ドイツ)の頭文字をとった3国政府公認試験。ヨーロッパの言語試験はA1, A2, B1, B2, C1, C2の順番に難しくなります。

ヘッセン州オーデンヴァルト郡へ渡航

まずフランクフルト空港へ、その後電車で1時間少しかけて滞在地のオーデンヴァルト郡へ向かいました。駅にホストファミリーが迎えにきてくれており、それぞれの家庭へ向かいました。僕のホストファミリーは初老の夫婦。Michelstadtという小さな町の一軒家に2匹の犬とともに住んでいました。お母さん側の息子3人は独立し、同じ街の中にそれぞれのパートナーと住んでいました。辞書も活用し、頭の中で作文しながらなんとか会話しました。2人ともとても優しくて、私のたどたどしいドイツ語に優しく付き合ってくれました。ちなみにドイツ人は英語が上手な人が多いイメージですが、それは若者や仕事でヨーロッパの他の国の人達と交流があるような人たちの場合で、田舎町では英語はほとんど通じませんでした。ドイツ語を学ぶのにはこの上ない環境でした。

Michelstadt (真ん中の建物は昔の市役所。後ろに見えるのは教会。)

パン屋さん

1ヶ月のうち、最初の1週間は地元の中学校で1週間ドイツ語を学び、2週目からインターンシップ先へ行きました。パン職人の朝は早く、皆午前3時に出勤し6時の開店に間に合うよう働きます。私は手加減をしていただき6時からでいいよと言われました。
100年以上続く家族経営のパン屋さんで、店長は(多分)40代、お父さんは地域のパン屋連盟的の会長さんでした。店頭には店長のお母さんが立って接客していて、後ろのバックストゥーべ(厨房)は男の職場といった雰囲気でした。3人のベッカー(パン職人)、1人のコンディトライ(お菓子職人)が働いていました。ドイツへ来て1週間経ち、ようやくホストファミリーがゆっくり話してくれるドイツ語にそこそこ耳がなれてきたところでしたが、パン職人の男性たちは早口かつ方言混じりで、初めは全く聞き取れませんでした。しかし皆優しくしてくれたのでわからないなりにも楽しく過ごせました。
方言がどんな感じかというと、例えば「おはようございます」を表す、"Guten Morgen(グーテンモルゲン)"が、"G'moia(グモイア)"みたいになったりします。

午前3時の仕事始めにはまず前日仕込んだザワータイク(天然酵母の生地)を取り出し、生地をこねて形を作り、大きいパン(Brot)を焼いていきます。これはドイツの一家に一つは常駐するタイプのパンで、ライ麦全粒粉でできており、1週間以上日持ちします。ホストファミリー宅では朝ごはんや夜ご飯(kalt essen)に、こういうパンのスライスにチーズやハム・ソーセージを乗せ食べていました。酸味があり、噛めば噛むほど味が出てめちゃくちゃ美味しいです。

Brote
窯から取り出す様子

一通り大きなパン(Brot)が焼き終わると、今度は小麦粉メインの小さいパン(Brötchen)を作っていきます。ちなみに、ドイツ語で-chenが付くと小さくてかわいいかんじの雰囲気がでます。
すべて焼き終わったら、次の日にむけてザワータイクを仕込み、仕事終了です。だいたい午後1時くらいには終わっていました。それまではノンストップの力仕事です。

Brötchenたち

余談ですが、同僚の一人に同い年の人がいて、つまり当時20歳とかなのですが、15歳からフルタイムパン職人として働いているので社会人年数はすでに5年で、大学1年生の自分自身がかなり幼く感じたのを覚えています。ドイツでは日本でいう高校生になる15歳のタイミングで、パン職人等の職人をめざす人は職業訓練学校、電気技術者のような座学が必要な仕事を学びにいく学校、大学進学を目指す学校(日本の高校の普通科に近い?)を選ぶようです。

仕事終わり、週末など

毎日パン屋でのインターンシップも午後1時頃には終わり、土日はオフだったので、自由時間もたくさんありました。
ホストファミリーの二人が本当にいい人で、1ヶ月の間にできるだけ多くのドイツを見せてあげたいと、いろいろなところへ連れていってくれたり、様々な食べ物を食べさせてくれました。
Michelstadtは教会を中心に円状に石畳の町並みが広がり、城壁に囲まれているとても小さくかわいい街です。常々圧倒されたのは、殆どの建物が内部の改装工事等は行われているものの、基本的に中世からずっとそのままだということです。地震大国かつ木造建築が基本の日本では中々味わえない風情を感じることができました。そして私のインターンシップ先もそうですが、そこらに何気なくあるパン屋さんやお菓子屋さん、カフェが平気で100年、200年の歴史を持っていることも衝撃的でした。

ある週末にはドライブでハイデルブルクへ連れて行ってもらいました。ハイデルベルクはドイツ最古の大学があったりと歴史の深い街で、ネッカー川沿いに広がる町並みを見下ろす形でハイデルベルク城が構えています。この城は第2次世界対戦時にはアメリカ軍の駐留基地として使用されたとホストマザーが言うので、「なるほど、じゃあ城跡もその時破壊されたんだね。」というと、「いや、それは確かルイ14世の軍にやられたはず」とのことでした。ちなみに、ハイデルベルクの街なみがきれいな理由の一つは、第2次世界対戦中にアメリカ軍が空爆を避けたという理由も大きいようです。日本でいうと京都のようなイメージでしょうか。

さらに別の週末にはマールブルクというフランクフルトからさらに少し北へ登った街へも行きました。ここには、日本での知り合いの知り合いの先生の紹介で、マールブルク大学医学部の解剖学の元教授(引退済み)の方を訪ねて行きました。この方は英語が流暢だったので、本当に久しぶりに英語を話して新鮮な気持ちだったことを覚えています。

別れを惜しみつつも帰国

そんなこんなで楽しい1ヶ月間はあっという間に過ぎ、帰国の時となりました。ホストファミリーは本当に心温まる人たちで感謝してもしきれません。今でも時々
メッセージをやりとしていて、特にホストマザーの長男はその数年後に夫婦で日本に遊びに来てくれましたし、メッセージのやり取りも頻繁にしています。
この3年後の冬休みに再びMichelstadtを訪ねてクリスマスを一緒に過ごさせていただきました。また時間を見つけて遊びに行きたいです。

帰国後のドイツ語

この1ヶ月間は自分でも驚くほどドイツ語が伸びました。帰国後はすぐにB1の試験を受け合格しました。その後は中々ドイツ語を話す機会を作ることができず、会話の自信はどんどんなくなる一方でしたが、医学部5年生のときに再び思い立ち、B2を取得しました。現在はアメリカに住んでいてドイツを話す機会は全くと言っていいほどないのですが、どうにかまた勉強するルーティンを取り戻したいものです。。。
最期に、この経験からすでに8年近く経つのですが、改めてこの経験を実現させてくれた教授、ホストファミリー、パン屋の皆さんに感謝を述べたいです。

2017年クリスマスのMichelstadt

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