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クリスマスを「楽しまなきゃいけない」と思わされていないか?

 今年もいよいよクリスマスを迎え、一年が終わろうとしている。
街中にはカップルの幸せそうな姿が溢れ、お母さんは子どものためにクリスマスケーキを取りにいき、大人は有馬記念のテレビを見て興奮している。

さて、私は昔からクリスマスなどのイベント事には興味がなく、いつもと変わらない日常を送っている。
彼女がいるときはケンタッキーだのケーキだのと、形式的にクリスマスを楽しんだりはするが、一人のときはクリスマスだろうがなんだろうが、毎月来る単なる24日と25日という感覚で生きている。

クリスマスが終われば後は年越しまで一直線で、気づけば年が明けているだろう。
大晦日には一年の振り返り日記を書くのが毎年の日課なので、今年も書くつもりでいるが、それ以外はやはり毎月来る31日と同じ感覚しか感じていない。

世間ではクリぼっちだのなんだのと悲観的な声が聞こえてくるが、こちらはクリぼっちどころが常にぼっちである。
仕事が個人事業主であることは、常に孤独と隣り合わせであることを意味する。
もちろん、個人事業主だろうと仲間を見つけ、充実した人間関係を築いている人がいるのも事実だが、私は「寂しいから人間関係を作ろう!」というタイプではない。

「一人でいて寂しくないの?」とよく言われるのだが、基本的に人間は一人で生き、一人で死んでいくものである。
どんなに友達や家族に囲まれていたとしても、死ぬときは一人だし、生きているときも一人だと感じることが多い。
不思議なことに、私は大勢に囲まれているときほど、一人でいるときよりも孤独を感じる。

人間関係で大切なのは友達の数などではなく、他人との心の距離である。
たとえ年に数回しか会わない人であっても、心の距離が近ければそれだけで十分だ。
物理的な距離の近さでしか友達を感じられないのであれば、それは関係性のほうに問題があると言える。
人間関係は心を満たすものであり、心を満たすためには距離なんて関係ないのだ。

とは言っても、過去のエッセイで書いたように、私は他人に期待していない。

信用していないわけではなく、ただ人間という生き物は気まぐれで気分屋で言動がすぐ変わるのだから、期待するだけ無駄と思っている。
当の本人は嘘をついているとは微塵も思っていない状態でも、自分が相手に期待しているとそこに「裏切り」という概念が生まれる。
人間関係における裏切りとは、相手の行動によってもたらされるものではなく、自分が相手にどれだけ期待しているかによって決まるものなのだ。

他人に裏切られれば誰だっていい気はしないだろう。
だが、はじめから他人に期待していなければ、裏切りという概念が生まれないため、思ったとおりにならなかったとしても「まぁ、そんなもんだよね」と思うことができる。
人間関係のストレスの多くは、自分が相手に勝手に期待していることが原因なのだ。

クリスマスに一人で過ごすことに孤独や寂しさを感じるタイプの人も、クリスマスというイベント事に対して「期待」があったからこそ、一人で過ごすことに孤独や寂しさを感じるのだと思う。
クリスマスなんて最初からただの24日、25日だと思っていれば、「他人と楽しんでいる日」「恋人と幸せに過ごしている日」という期待がないから、一人だったとしても孤独や寂しさを感じることはない。
一人でいつも通り過ごすのが普通で当たり前だからだ。

孤独や寂しさも自分の期待から生まれるものであり、いつも通りの日常からの逸脱の日を期待することで、それが叶わなかったときに孤独や寂しさを感じる。
そして、SNSなどで他人のキラキラした光景を目にすることで、他人と自分を比べはじめ、そこに失望が生まれる。
その失望がさらに孤独と寂しさを加速させ、一人でいることに虚しさを感じさせていく。

人間関係に限らず、何かに期待することをやめると、目の前が開けたような感覚になる。
世の中の風潮に惑わされず、自分の感覚と価値観で物事を判断し、他人に欲しいと思わされるものではなく、本当に自分が望んでいるものを手にすることができる。

周りのみんながやっているからという理由で、他人や世間の価値観に乗っかっても心は満たされない。
現代社会はいたるところに広告が溢れ、心理学的に言えば常にサブリミナル効果を与えられている。
映画で主人公がコーヒーを飲んでいるシーンを見た後、自分もコーヒーを飲みたくなる、あの感覚のことだ。

クリスマスや年末といったイベントも、他人が楽しんでいる姿を見ることによるサブリミナル効果によって「楽しまなきゃいけない」と思わされているだけかもしれない。
他人のキラキラした生活を見なければ普段となんら変わりない一日だとしても、他人や世間の楽しんでいる姿を目にし、テレビやYouTubeなどで宣伝されていれば否が応でも意識の中に入り込んでくる。
それが自分と他人とを比較するきっかけとなり、孤独や寂しさが生まれる。

孤独や寂しさを感じることは悪いことではないが、本来感じる必要のないネガティブな感情に浸る必要はどこにもない。
それが他人や世間の風潮によって「感じさせられている」のだとすればなおさらだ。

イベント事を否定しているわけではないし、楽しい雰囲気に浸って楽しい気分になれるのであればそれでいい。
だが、もし他人と自分の生活を比較してネガティブな感情が湧いてきているのであれば、考え方を変えてみよう。

世の中の物事の価値はすべて相対的なものに過ぎず、比較する必要のないものと自分を比較する必要はない。
自分が本当に価値を感じることだけに集中していればいいのである。

Merry Christmas!


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