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学校を卒業するときの物騒な話

学校の卒業シーズンが来ましたね。
久しぶりにあることを思い出しました。
私が中学生の時代は、ヤンキーや校内暴力はまだまだ盛んな時でした。
校舎の裏は完全に治外法権。教師なんかは絶対に見回りに来なく、暴力が支配する裏エリアでした。
学生服のまま隣街に行くと、他校の縄張り争いでトラブル恐れもあるので、注意深くなければなりません。

その中で、卒業式を間近にしたころ、隣の中学校の不良グレープとの抗争の話が立ち上がってきました。最後のケジメかなんかで。
私は成績は良かったのですが不良グループとも一緒につるんでいたので、抗争に参戦するメンバー入りです。
同校の顔知った相手との殴り合いはやりましたが、学外と暴力沙汰になったことはありません。
高校の希望校も合格し、ここで問題を起こせば入学できず、親が泣くだろうなぁと思いました。
多分武器も使用されるだろうから、何とか致命傷を避けて、後に残らない範囲で痛いだけで済めばいいなぁなどと考えました。

私自身は何の得もありません。その他校に対する憎しみもなければ、どうこじれて抗争まで行くようになったのか知りません。
自分だけ逃げるかと頭をよぎりましたが、まあそれも卑怯だし、周りの友人とももう中学生が終わるので校内で立場がなくなることもないんですけど、やらざるを得ないんだなぁと思いました。


その後、なんだかんだ抗争の話は立ち消えとなりました。アホくさい中学生の話です。
これは、対外国との戦争で駆り出さられる国民もこんな感じなのかもしれないと後に思いました。
愛国心の高まりではなく、敵国に憎しみもなく、強制もなく、残す家族に抑制される力もなく、気づいたら戦場にいた感じかもしれません。
上辺の愛国心で煽られたウクライナ市民と、制度で追い詰められて招集されたロシアの若者が、気づいたら銃を向け合っている現状のように。

戦争などという恐ろしい話でもなくても、健康のこと、仕事のことでも、こんなつもりじゃなかったけど気づいたらそんな状況になってた、逃げたり辞めたりすれば済む話だけど、それもどうかなぁと曖昧なまま状況に置かれる、そんなことが多いのかもしれません。


まぁ、アホな中学生の話から社会について語るのは大げさなのでしょう。
現代の子供は、こんな物騒な話は無いんでしょうけど、別の形で様々な危険なことが多々ある世の中です。
比較的合理的な私でしたが、それでも中学生ぐらいはバカなので、子供を大人扱いしながらも大人ではないと、注意深く見てあげたほうがいいかもしれませんね。


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